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今宵、真紅の口づけを  作者: 悠凪
11.目覚め
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6

 エルネスティはすぐさま家を飛び出した。

 エレオノーラを追いかけるために、薄いシャツとズボンのまま、冷え切った冬の夜空の下に。

 しかし既に少女の姿は通りにはなかった。静まりかえった夜の気配の中に、自分の鼓動がいやに大きく聞こえて、身体が寒さ以外の理由で震えた。

「どこいったんだ……」

 勝手に出た言葉を拾い上げてくれるものなどいない。情けなく震えているその声を他人事のように聞いているのは自分だった。

 俺は、何をやってるんだ……。

 少年は自分の無力さと、少女を泣かせてしまった事に苛立ちを隠せないでいた。あんなに感情を昂ぶらせたエレオノーラを見たのは初めてで、そこまでさせてしまったのが自分だと思うと、謝りたいし抱き締めたいし、自分がどれだけエレオノーラを好きなのか、もう一度伝えたい。

 人間と吸血族が一緒にいるなんてことは不可能だと、分かっている。襲うものと襲われるものが同じ時間を共有できるはずもない。

 だから、これはなるべくしてなったもの。当たり前のことだった。

 しかしそんな分かりきった事でさえ、頷けないくらいに少年はエレオノーラを好きだ。常識とかそんなものを受け入れられるくらいなら、最初から守るなんて言わなかった。

 実際に何もしてやれないけれど、それでも気持ちだけはあげられる。あのきれいな心を持つ少女に。自分の持つ全てをあげても後悔などしない。何もかも自分はエレオノーラのものなのだから。

 そう、少女が欲しがる身体の中の血も。

「エレオノーラ……」

 最愛の名前を呟いて、エルネスティは走り出す。闇雲な探し方しか出来ないが、動かずにはいられない心のままに、金色の髪の毛と真紅の瞳を持った少女を探して街の中をさ迷う。

 どこを走っていったのかも分からない一人の少女を探すのはかなり難しかった。人がいれば目撃者もいたかもしれない。しかし夜中にそんな人がいるほど栄えてもいない町の中はどこまでも静かだった。エルネスティの走る姿だけが、唯一の人影。

 乱れた呼吸を整えるために、エルネスティは小さな家の壁にもたれかかり、頭を項垂れた。結っていない栗色の髪の毛がさらりと零れて少年の顔を隠す。狭くなった視界には俯いているせいで愛想のない地面しか見えなかった。

「……どこにいる?」

 不安に揺れる声がまた零れた。情けないことこの上ない震え方をしている自分のそれに、渇いた笑いしか出てこない少年は両手で顔を覆うと天を仰いだ。

 こんな事になるのなら、何が何でも一緒にいるべきだった。先ほど感じた無力さと苛立ちに加えて後悔までも溢れてくる。普通に離れているだけでも辛いのに、それなのに今はどこにいるのかも分からない。大きくない町の中でも、エレオノーラがどこにいるか見当もつかないことが、エルネスティには怖くてたまらなかった。

 馬鹿みたいなことだとは思うけれど、このまま会えなくなったらと思ってしまう。あんなに泣いている顔が最後だなんて。エレオノーラに会えなくなるなんて、殺してくれた方がましだと、少年は叫びたかった。

 薄く開いた栗色の瞳。自分の指の間から見えるのは、瞬く星と優しい光を落とす月。人間にも魔族にも平等に輝いてくれるそれらを見て、エルネスティはまた泣きそうになった。

 でも泣いている時間はない。早く探さなければいけない。寒さの中でかじかんだ両手に力を入れて、少年は立ち上がった。少女のあの瞳の輝きは、人を求めているときの吸血族のそれ。少年でなければ、誰かが確実に狙われてしまう。何も出来ないと分かっていても、それをなんとかしたかった少年が歩き出したばかりの足を止めた。

 少し離れた曲がり角に、いる。

 長い腰まである金色の髪を緩やかに靡かせた少女。薄い寝衣のまま、何をするでもない様子で立ち尽くしているその様子は、月明かりに照らされて柔らかく儚く見える。

「エレオノーラ……?」

 エルネスティが、あくまで普段どおりに名前を呼びながら近づく。それに少女は一呼吸間を置いて、ゆっくりと身体ごと少年に向き合った。エルネスティは特に反応を示さないエレオノーラに静かに近づいていく。どうか逃げないでくれと心の中で祈りながら。もう何も心配は要らないからと、語りかけながら、大きな手を差し出した。

「……帰ろう」

 もっと気の利いた言葉が出ないのかと自分で呆れてしまうほど、口から零れたのはシンプルなものだった。それでもその中には愛情を込めたつもりだった。手の届く距離まで近づいた少年は、はっきりと顔が見えるようになったエレオノーラを見て息を飲んだ。栗色の瞳を見開いて、精巧な人形のように表情のない少女の顔を見つめる。

 白く整った顔に見える妖艶な牙と、滴ったのだろう赤い血のあとが首筋から胸元に残っている。真紅の瞳より生々しいそのあとを隠すこともなく、少女は黙って立っていた。細い体がゆったりとしたその寝衣の中で小刻みに震えている。青みを帯びるほどに透き通った顔は、造作こそエレオノーラだが、やはりその表情のなさがいつもの少女には思えないほどに妖艶さを醸し出していた。

「エレオノーラ……」

 少年は胸の痛みを抑え切れないように、着ているシャツの胸元を握り締めた。

 やはり、奪ったのか。

「俺が、分かるか……?分かったら、返事してくれないか?」

 ぼんやりとした眼差しを向けられているのが、辛い。いつものあの笑顔を見せて欲しくて、少年はそんなことを言った。ますます声が震えてしまうのを隠さずに、ただ少女に呼びかけた。

「…………わ、か……る」

 小さな声で、エレオノーラは答えた。揺らめく真紅の瞳を瞬かせて、それから次第に焦点があってくるように、瞳の中にいつもの色を溢れさせた。

「分かる……エルネスティの声……私を呼んでくれて、ありがとう」

 少女はそう言って、ぎこちないけれど、それでもふわりと微笑んだ。しかしその次の瞬間には、大粒の涙を零した。いつもの瞳になったエレオノーラの涙を見たエルネスティが、たまらないようにその細い身体を抱き寄せる。すっかり冷たくなった互いの体温を少しでも温めあうように抱き締めて、綺麗な髪に頬を摺り寄せた。

 最愛の少年の腕の中に引き込まれた少女もまた、その震える腕を少年の背中に回す。しっかりとしたエルネスティの身体を力一杯抱き締めたエレオノーラが子供のように声を上げて泣きだした。

 自分のしてしまった事に、繊細な少女の心はついに耐え切れなくなって、そのまま意識を手放した。

 夢も見ないほど暗くて冷たい意識の底に、抗えないままに落とされていった。

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