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今宵、真紅の口づけを  作者: 悠凪
1.出会いのとき
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5

 やっぱり迷ってしまった…。

 エレオノーラは確信したくない事を、大きな溜息と共に思う。

 どうにも、知っている道にたどり着かない。もともと深い場所には何かあるのか、磁場の影響かは知らないが、迷いやすいと言われている森。それを感情に任せて走ってしまって、気付けばこの有様。穏やかな緑が逆に恐ろしく感じる。

「これ…どうしたら良いの?」

 涙が滲んで視界が悪くなる一方のエレオノーラは、疲れが溜まっていてその場にへたり込んだ。いくら成人していないと言っても、やはり太陽は苦手だ。倦怠感は増すばかりで、時間も無駄に過ぎていく。ついでに、こんなことになってしまった情けない自分に自己嫌悪が膨れがって来た。

 長い金髪が地面につくのもかまわず、がっくりとうなだれたエレオノーラはしばらくそのまま動けなかった。

 徐々に、木漏れ日の色が茜色になってきている。と言うことは太陽が西に傾き始めていると言うことだ。

 このまま行けば、野宿…?

 低俗な魔物が徘徊するこの森を一人で過ごすことなんて、考えただけでも身震いしてしまう。残った力をむやみに使って良いものかは分からないが、とにかくここにいてはいけないと思い、再びエレオノーラは立ち上がった。

「…あれ?…なんか、おかしい」

 ふわふわとした、地面の感覚に、自分が立っていられなくなる。見える木々がやたらと揺れている。反転しそうな視界に思わずエレオノーラはきつく目を閉じた。立ち上がりかけていた膝を再度がっくりと折って、その場にうずくまる。

 ダメだ…体が言うことをきかない。

 そう思えば思うほどに、意識が遠のきそうで必死に頭を振って抗う。でも意味のないその行為でさえ体力を奪っていくような気がした。

「パパ、ママ…ヴェルナぁ…」

 涙の混じってかすれた声が、周りの緑に溶け込むようにして消えていく。もううずくまることすら困難で、ごろんと地面に体を横たえ、エレオノーラの意識が完全に落ちそうになったとき、ふわりと体が浮き上がった。

「大丈夫か?」

 低い、落ちついた声が鼓膜に届いて、うっすらと青い瞳がその声の主を見ようと瞼を持ち上げた。ぼんやりと、重なるようにした緑の中にみえたのは、栗色の髪と瞳。

「だ…れ?」

「俺」

「エルネスティ…?」

「あたり」

 そんな短いやり取りがあった。滑らかな藍色の、長衣越しの温かなエルネスティの体温が心地よくて、エレオノーラはふわりと微笑みかけた。

「なんで…?」

「は?」

「私の事、探してくれたの?」

「それは、成り行き?この間助けてもらったし…」

 優しくはない言い方だが、それでも自分を探してくれたのが素直に嬉しくて、エレオノーラは花が咲いたような笑顔を見せた。

「ありがとう。でも貴方までここに来て大丈夫?迷ったりしない?」

 問いかけると、エルネスティは、エレオノーラを抱えなおして近くの木を見せた。小枝に鮮やかな赤い紐がついている。周りと見ると、それがいくつもあって、エレオノーラはキョトンとした顔で栗色の瞳を見た。

「一応慣れた森だけど、この辺だけは目印つけて歩いてる」

「そうなんだ」

「水、飲むか?」

 エレオノーラを木の陰に座らせて、エルネスティは腰に括りつけていた水筒を差し出した。喉の渇ききっていたエレオノーラは素直にそれを受け取り、体を潤す。喉に流れる水の感覚がこれほど心地いいと思ったのは初めてかもしれない。一気に半分ほど飲んだのだが、エルネスティは全部飲んでおけと言ってエレオノーラにその水筒を押し付けた。

「でもエルネスティの分がなくなっちゃう」

「俺はさっき飲んできた。だから大丈夫だ」

「さっき…?そう言えばクリフ。いないね」

 あの黒い犬の姿が見えないことに今気付いたエレオノーラが言うと、エルネスティは眉間に皺を寄せて髪の毛をかき上げた。

「お前のこと食っちまいそうだったからあの場に置いてきた」

「あ…ごめん」

「別にお前が謝ることじゃないだろ?」

「でも…私が魔族だから、あの子も不快に思ったんだと思うし」

 自分で言っておきながら泣けてきそうで、長い睫毛を伏せてエレオノーラは嘆息した。それにエルネスティはふと優しい顔になって、エレオノーラの絹糸のような髪の毛を撫でた。

「余計なこと言わなくて良い。暗くなる前に送ってやるから」

 そしてそのまま、背中をエレオノーラに向ける。

「…何?」

「早く乗れ」

「おんぶってこと?」

「それ以外になるがあるんだ」

 ちらりと目線を向けられて、エレオノーラは目を丸くした。まさかそんなことをしてくれるなんて思わなかった。でも、歩くのはまだ無理だと自覚しているエレオノーラは、黙ってエルネスティの背中に自身の体を預けた。エレオノーラを背負って軽々と立ち上がったエルネスティは、ゆっくりと歩き出す。時々片手で器用に赤い紐を枝に結びながら、戻っては先に進むと言うことを繰り返し、次第にエレオノーラでも分かる場所にまで戻ってくることが出来た。

 その間、エレオノーラは背中からエルネスティを観察していた。細くくせのない栗色の髪の毛は、一番長い所で背中の中ほどまである。それを紐で無造作に結っているが、小奇麗に見えるのが不思議だった。横顔は正面から見えるのとはまた違って、少し大人びて見える。きめの細かい肌はエレオノーラでさえ羨ましいと思う位に整っていた。決して軽くはないエレオノーラを長い間背負っていても、息の切れない体は普段から鍛えているのか、しっかりとした背中にエレオノーラは安堵すらしてしまっていた。

「ここまで来たら、もう大丈夫だよ」

 家から目と鼻の先まで来ると、エレオノーラはエルネスティに言った。

「本当に大丈夫か?」

「うん。もうそこだから」

 エレオノーラが答えると、エルネスティは少し考えた後、そっとエレオノーラを下ろした。幾分体の軽くなっていたエレオノーラはしっかりと立つことができて自分でも安心した様子で、長身のエルネスティを見上げて笑う。

「ね?もうしっかり立っていられるし。大丈夫…ありがとう」

「そっか。…じゃあ」

 エルネスティは短くそれだけ言うと、背中を見せてエレオノーラから離れようとした。それを、エレオノーラは藍色の長衣をつかんで引き止めた。

「エルネスティ」

「……なんだ」

 肩越しにエレオノーラを見てエルネスティは答える。エレオノーラは少しだけ緊張した面持ちで問いかけた。

「やっぱり、魔族は嫌い?」

 エルネスティは投げられた質問に目を見開き、しばらく返事をしなかったが、そのうち大きな溜息をついてエレオノーラに向き直った。その目には何か押し殺したような色がある。

「魔族を好きになることはない。人間と魔族は相容れないものだと思っている…」

「………そう」

 やっぱり。

 そう思いつつも、ここまで送ってくれた少年の優しさに、ほんの少しだけ期待したエレオノーラは、がっくりと肩を落として俯いた。

「でも」

 不意に頭上から聞こえた声は、ほんの少しだけ優しい声音だった。エレオノーラが顔を上げると、表情はあまりないが、しっかりとエレオノーラを見る栗色の瞳があった。

「お前には恩がある。それに、お前なら、それほど嫌じゃない」

 そう言うと、エルネスティは長衣を翻して森の奥に消えていった。

 残されたエレオノーラは、その場に立ち尽くしたまま、胸の中に湧き上がった温かい気持ちで微笑んでしまうのを止められなかった。

 

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