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今宵、真紅の口づけを  作者: 悠凪
8.軋む歯車
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 もう何度も夢を見た。

 濃い紅の綺麗な瞳を純粋な狂気に輝かせているヴェルナが、シャンパン色の髪と翡翠色の青年を襲う夢を。

 細くて白いヴェルナの手が、背の高い青年を抱き締めるようにして、首元に顔を埋める。舞い散る花のように、肩で切り揃えられた艶やかな髪が踊って、その華奢な後ろ姿を際立たせていた。

 現実で見た光景はそこまで。

 しかし夢の中では、視点がヴェルナになっている。間近に見ているその青年の肌。健康的な色に日焼けをしている滑らかな首筋に、思わず生唾が沸いてしまう。甘い、この上なく極上に甘い香りが脳の奥深くに浸透していくのを感じる。こんな食欲をそそる香りは知らない。

 食欲、と言う表現であっているのだろうか。体の隅々から、精神から求めるその欲は、何をしてでも満たしてしまいたい…まるで媚薬のような効果を持っている。

 だから、夢の中でエレオノーラはヴェルナと同じ行動を取る。

 アーツのその甘い香りをもっと身体に入れたくて、その香りから想像する赤い血を身体に入れたくて、口をあけずにはいられない。白い綺麗な牙を、柔らかな肌に埋め込みたくてたまらなくなって、食らいつく。

 グッと、自分の体の一部が誰かの中に入る瞬間、目もくらむほどの恍惚に襲われる。総毛立つ感覚に眩暈がして、昂ぶる神経を抑える事などできない。蕩けるようにその感触を楽しみ、意識は放たれるかのごとく心地良さを感じてしまう。

 まさに「快楽」だ。

 全身でそれを楽しみ、赤い血をことごとく奪っていくうちに、満たされてる自分の根底を思い知る。甘くて芳醇で、馨しい香りと、決して人間には理解でいないだろう最高の美酒に、エレオノーラはうっとりとした真紅の目で、空を見上げる。

 澄んだ空を見上げて、そして堕ちる。

 自分の中にあるその本能に、たまらなく恐怖を感じて、目を覚ます。




 もう何日もこうして目を覚ます少女の顔は疲れきっていた。毎日ろくに食べる事ができず、やっとの思いで口にした僅かな食べ物も、時間をおかずに吐いてしまう。夜は眠るまで時間がかかり、眠ってもこうやって夢を見ては飛び起きる。浅い断続的な眠りでは、いつまでたっても身体を癒す事なんてできるはずもなかった。

 ベッドの上で上体を起こして、乱れた髪をかき上げる。額には汗が浮かんでいる。

 夢を見たあと、エレオノーラは恐怖も感じているのだが、確実に体の高揚を感じている自分もいた。夢なのに、あまりにも現実のような感覚を与えてくる。何もかも鮮明でしっかりと思い出されてしまうそれに、頭の片隅ともいえないような僅かな隙間で、楽しいでいるような人格が、少女の中に育っていた。

「怖い…」

 ぽつりと呟いた声は、月明かりが差し込む部屋の中で誰にも拾われることもないままに消えていく。寒さを増した季節の月は、澄みこんだ空気の中で柔らかな淡黄色の荘厳な光を湛えて見えた。

「もう、一月…」

 あの日から一月。何をしていても月日だけは、人間も魔族にも関係なく与えられる。同じ時間を持つ毎日は、受け止める状況によって早くも遅くも感じる。

 エレオノーラは思う。少年の事を。青年のことを。青年の家族や友人の事も。

 あの日、突然人生を終わらされた青年の周りの人間は、どんな一月を過ごしているのだろうか。泣いて悲しんで、魔族を憎んでいるのだろうか。愛すべき家族だったり、友人だったアーツを亡くした悲しみの淵に、いるのだろうか。

 栗色の髪と瞳の少年も。

 まだ思い出すその少年の叫びは、聴覚と言わず、エレオノーラの中にある。眼差しも、感情もどれもかすむことなく少女に刻み込まれている。

 もう会えない。

 そう思って、あれから森にも行っていないので、実際エルネスティがどうしているのかも知らない。アーツの周りの人たちのことも、何も知らないエレオノーラは想像しては苦しくて申し訳なくて、震える心を持て余すだけだった。

 ヴェルナもなんとか普通に振舞っているが、やはり自分がしたことに対する後悔は大きく、家からあまり出なくなってしまった。いつも元気な少女二人が揃って家の中に篭りがちになっているのを、大人たちは気にかけながらも、昔自分達も経験した事だと、そっといたわりを持って見守ってくれている。

 エレオノーラは、もう何度目になるのか分からない空の白みをベッドから見ながら大きく溜息をついた。胸の中にある鉛を飲み込むように身体を抱え込む。

 会いたい。

 そんなわがままでどうしようもない気持ちを押さえ込む。どの顔で会いに行くのか。この、少年の最も忌み嫌う赤を持っている自分が姿を見せるなんて、気でもふれたのかと思われてもおかしくない。

 しかし少女の中にある、無垢な気持ちはただそれを求める。会いたくて会いたくて仕方がない。あの優しい眼差しを向けてもらいたい。微笑んでもらいたい。声が聞きたい。手に触れたい。

 どこかもう、自分はおかしいのかもしれない。そう思ってしまうくらいに、エルネスティを求めている。それから、アーツにも会いたかった。

 もうこの世にはいない青年のお墓に行って、ちゃんと謝って、お別れが言いたかった。今はもう少年には会いに行く事ができないが、お墓になら、一人でも行けるだろうか?

 ふと少女はそう思って、揺れ惑う真紅の瞳を伏せた。金色の髪の毛が明るくなっていく部屋の中でふわりと輝き、揺れる。エレオノーラの動きに合わせて滑らかに揺れている前髪の間に見えるその瞳が、前を向いた。

 せめてアーツに謝りに行こう。

 震える手をぐっと握って、少女はクローゼットを開けた。

 

 

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