ほたてモーニング
翌日、
「おはよう。パパ」
暖かな朝日と鼻腔をくすぐるコーヒーの匂いとともに、昨日見た幻は堂々と現実として姿を現したのだった。脳が遂に完全に故障したのかと思ったが、しかし残念なことに間違いなかった。
「なんだこれ」
テーブルの上には、作った覚えのない朝食と思われる物体が美味そうな匂いをリビング中に漂わせている。
キッチンには、エプロンを身に纏った昨日の不審者の姿があった。寝ぼけ顔で現れた俺を見るなり、おはようと声をかけてくる。挨拶されたのは何年ぶりだろうか。
「朝食だけど」
「それはそうだろう」
「あと、調味料ここに置いとくから」
「助かります」
「ん。じゃ、食べよ」
至れり尽くせりのルームサービスに感動で心が震え………ることもなく、ただただ困惑した。なんで飯が用意されてるんだ。お前はどこの誰なんだ。昨日のはやっぱりリアルイベントだったのか。そしてそのエロいエプロン姿は一体どういうことなんだ。
席に座った少女は理解不能な顔をしている俺の視線に気付いて、
「家出の間、これぐらいのことはさせてよ。パパ一人で住んでるんだから家事大変でしょ?今日から私がするから」
と、さらっと言った。どうやら家事を引き受けてくれるらしい。
確かに母親は俺が生まれてすぐに亡くなったし、父親は単身赴任中で今は家にいないわけだから、めちゃめちゃに助かるんだけども。
ん、待て。なんで俺の家庭事情知ってんだこいつ。
「だ!か!ら!娘だっつってんでしょ。まだ信じてないの!?」
未来人と思われる女は砂糖入りコーヒーを一気にぐびっと飲んだ。意外と豪快だな。
彼女は一瞬ニヤッとすると、俺の個人情報についてスラスラ流れるように話し始めた。生年月日、家族構成、好物、性癖、黒歴史、俺しか知らない過去エピソードといった情報を次々に言葉にして並べていった。
「あー、あとこれもあるか。この頃のパパのスマホには癒し系中年人妻の囁きASMRと、机の引き出しの中には数ヶ月にも渡って書き続けた力作の自作官能小説が……」
「もういい、パパの負けだ」
ほぼ土下座に近い体勢で俺は床に這いつくばり、うめき声をあげた。
負けた。
この世には多くの悪が存在するというが
、果たしてこれを超える悪行がこの世界に存在するのだろうか。
ほたては逃げ回る蟻を楽しそうに追いかけ踏み潰していく幼児のように、ベラベラと我が叡知なる創作の内容を語っている。それどころか、語るだけでなく、あそこの展開はダメだった、とか、読者を引き付けるならこういった表現が有効、みたいな助言もし始めた。
あぁ…………。
くそ。
しにたい。
向こう五年は創作活動なんてしない。うあぁ………………。
もう認めざるを得ない。
こいつの言っていることは、多分本当なんや。
いや、正直こいつが俺の娘なのは受け入れがたいけども、こんだけ滅茶苦茶な事が続いてるんだから、信じないのも無理があるだろう。
意味分かんないけども。とりあえずはそういう風に納得しておこう。
というか、こんなことを娘に知られているとか未来の俺は一体どうなってるんだ。
「家出してきたって言ったよな」
「うん。言ったね」
「………どゆこと?」
「どういうことも何も、そのまんまだけど」
「なんでわざわざこの時代にきたんだよ。行くところなんて他にいくらでもあっただろ」
「別に。正直、どこでもよかった。たまたまここを選んだってだけ」
「適当かよ」
「ねぇ、最初私見たときどう思った?」
「化物だと思った」
「それだけ?自分と似てるなーとか思わなかったの?」
「似てねぇよ。俺の血じゃそこまでの顔面はつくれねぇよ」
「本当にそーだよね。というか、私のこと可愛いって思ったんだ?パパいやらしーうざ過ぎキモ過ぎ臭すぎ」
これがクラスメイトの女だったら号泣しながら自室に閉じこもり、推しのVに赤スパを送って慰めてもらっていたことだろう。
薄々気付いてはいたが、こいつ結構毒舌だったりする?教育はどうなってるんだ教育は。
「まぁ、きっと母親の遺伝子が凄いんだな」
「……………」
あれ。
ほたては表情を一切変えなかった。
しかし、若干不機嫌な雰囲気になったのを何となく感じた。そして、彼女はそれきり何も喋らなくなった。
ふーん。ほーん。
なんとなく察した。
なるほど。家出の原因というのはどうやらそこら辺らしい。
親子喧嘩か。よくある話だとはいえ、母と娘、父子家庭の俺には理解できない複雑なものがあるのだろう。なぜ家出先がここなのかは意味不明だが。
他にもいろいろと聞きたいことがあるが、まずはほたてが作ってくれた物を腹に入れることにした。
「いただきます」
未来から持ってきたという謎の調味料を恐る恐るかけ、黄金色の卵焼きを一口。
…………。
ん、うめーな、これ。
久しぶりの卵焼きの味は格別だった。
思わずにやけてしまう。
ほたては目の前の俺に無関心といった様子で、黙々と箸を動かして調理されたものを小さな口に運んでいく。
と、見せかけて、実は俺の反応をチラチラ確認している。食事の出来を気にしているのだろうか。
俺は思ったことをそのまま言うことにした。
「いつものご飯の10倍うまいよ。ありがとう」
「……誇張表現やめろ。あと褒めんの下手すぎ」
冷めた声音で机の下で俺の足を軽く蹴ってきた。
うーむ。この娘、どうやら反抗期真っ只中らしい。年頃の娘は父親を生理的に受けつけなくなるというが、あれは本当だったのか。世界中の父親がこれに悩まされると思うと、涙が止まらねぇぜ。ぐすん。
と思っていた。
針山みたいな雰囲気を放っているが、よく見ると、口の端が若干プルプル震えていた。おまけに耳もほんのりと赤くなって…………あ、なに目そらして照れてんだよ(笑)。
ニヤニヤ笑う俺に、ほたては「死ね」とひと言吐き捨てた後、米をおかわりしに席を立った。
「未来の俺ってどんな感じだ?」
しゃもじで米をもりもり茶碗に盛っているほたてに聞いてみた。
「………別に、普通のパパだけど」
「虐待とかしてないよな?」
「するわけないでしょ。どんだけ親になるのに自信ないの」
「生活能力のない俺が子持ちの親ってのは考えられないな。この能力は一生伸びることはないと思ったのだが……」
「ホント、大人のパパと同一人物とは思えない。さっき、ゴミ袋片づけたけど、カップ麺のゴミしかなかった。どうなってんのパパの食生活」
「飯なんて食えればなんでもいいだろ?体が動けばそれでいいんだし。なんで料理なんて手間をかけなければならないんだ?」
「死んでしまうからだよ」
あと今更だが、こいつ、料理における俺の好みをきっちり把握してやがった。どうやら未来では味覚事情まで把握されているらしい。
この後も、俺からの数多くの質問をほたては返答したり、秘密だと言ったり、プライバシー侵害だ死ねと蹴りつけたりしたのだった。さすがに男女経験を聞いたのはまずかったか(笑)。
食事が始まって三十分。
そろそろ終わる頃合いだろう。
最後に、一つ聞いてみることにした。
「なぁ、ほたてよ」
「なに、パパ」
「この時代に来てやりたいことはないのか?」
ほたては箸を止め、目を丸くしてこちらを見てきた。
こいつは、たまたまこの時代を選んで来ただけだと言う。あくまで泊まりに来ているだけだ、と。
しかし、ただこの家にいて家事をするだけっていうのもつまらないものだろう。何か、この時代ならではの行ってみたいところとか、やってみたいこととかはないのだろうか。
別に、どこにもいかずにずっとこの家にいるっていうのも俺としては構わないのだけれど。この家の実質的な主人は俺な訳だし。
父親は生粋の仕事人で、俺とこの家のことは前々からずっと放任している。冷たいといえば冷たいのだろう。俺としては好き勝手できるし問題ないんだけど。
「うーん、そうだね」
ほたては棒読みのセリフを吐いた後、まるで最初から決めていたかのように自身の意を伝えた。
「とりあえず学校行く」
思わず米を数粒ほどミサイル発射した。ゴホゴホと咳き込む。
ほたては俺と同い年。
高校はまだ卒業していないらしい。
だから、ほたても俺と同じく高校に行く。
うん、なるほど。
つまり。
いや、待て。やっぱりわかんない。
「私、今日からパパの高校に行くから」
俺と同じ遺伝子を受け継いでいるとは思えない宝玉のような瞳を爛々と見せつけて、娘は力強く宣言したのだった。




