大書庫に残らない私の記録
初投稿です。
至らぬ点が多々あるかと思いますが、温かい気持ちで読んでいただけますと幸いです。
その世界では、死者は「星になる」のではなく、「記録になる」と言われていた。
記録とは、神殿の地下深くにある〈大書庫〉に保存される光の粒子のことだ。誰がどこで生まれ、何を願い、どんな選択をして、どんな最期を迎えたのか――そのすべてが、光として封じられる。
そして稀に、その記録を読むことのできる者が生まれる。
私、朝霧 澪は、その「記録」を読める側の人間だった。
――少なくとも、ここに来てからは。
◇
目を覚ましたとき、見知らぬ天井がある、なんて生易しいものじゃなかった。
石造りの天井、空気に混じる焦げた香草の匂い、窓の外には二つの月。何より、自分の身体の内側に、明らかに「何か」が流れている感覚があった。
魔力だと知ったのは、その日のうちだった。
私はこの世界で、「記録読み(レコーダー)」と呼ばれる存在として生まれ直していた。死者の残した光を読み取り、未来に起こりうる出来事の断片を知ることができる能力者。王都では国家の重要機密を扱う存在として、半ば神官のように扱われているらしい。
未来が見える――と言っても、便利な予言なんかじゃない。
見えるのは「死の記録」だけだ。
誰かがいつ、どこで、どうやって死ぬのか。断片的に、唐突に、夢のように流れ込んでくる。それは避けられる場合もあれば、どうしても変えられない場合もあった。
路地裏で襲われるはずだった少女。
崩落するはずの橋の上にいた騎士団の一隊。
毒を盛られるはずだった王子。
ひとつ、またひとつと「記録」を書き換えていくたび、世界は少しだけ静かになった。
――でも、そのたびに。
自分の中の何かが、削れていく気がした。
◇
「澪様、最近お顔色が優れませんね」
侍女のリゼットが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫。ちょっと夢見が悪いだけ」
嘘ではなかった。夢は、確かに悪かった。
最近は、自分自身の死ぬ光景ばかりを見るようになっていたからだ。
燃え盛る塔の中で、黒い翼を持つ魔族に貫かれる自分。
氷の湖の底に沈んでいく自分。
誰にも知られず、書庫の奥で息絶える自分。
そして、共通しているのは――そのどれもが、誰かを救った「後」だということ。
記録は、嘘をつかない。
だから私は理解した。
この力は、未来を救うためのものじゃない。
「代償」を決めるためのものだ。
誰かが生き延びる未来を選ぶたびに、帳尻を合わせるように、別の死が確定していく。そして、その「空席」を埋めるのが――私なのだと。
◇
最初に夢を見たのは、五歳の冬だった。
雪の降る夜、私は知らない男の死を見た。路地裏で、剣に貫かれて、血を吐きながら何かを叫んでいる。目を覚ましたとき、喉が焼けるように痛くて、自分まで死にかけている気がした。
三日後、夢で見たのと同じ場所で、その男の遺体が見つかった。
それからだった。
知らない誰かの「最期」が、夢として流れ込んでくるようになったのは
神殿に引き取られ、「記録読み(レコーダー)」として育てられてからは、死者の残した光に触れることで、記録を意識的に読み取れるようになった。触れた瞬間、その人間が辿った最後の数分間が、まるで自分の体験のように流れ込んでくる。
それまで夢として流れ込んでいた光景は、光に触れることで、はっきりとした「視界」として再現されるようになったのだ。
――見なければ、助けられない。
そう言われて、何度も何度も、知らない誰かの死をなぞった。
泣きながら。
吐きながら。
数年経ってずいぶん慣れた頃には、泣くことも吐くこともなくなっていた。
◇
十四歳のとき、初めて「変えた」。
市場で、暴走した魔獣に踏み潰されるはずだった少年。
夢で見た通りの時間に、夢で見た通りの場所へ行って、ほんの少しだけ彼の進む方向を変えた。それだけで、未来はずれた。魔獣の爪は空を切り、少年は無傷で生き延びた。
簡単だった。
拍子抜けするほどに。
――未来は、変えられる。
その事実は、私を少しだけ救った。
けれど。
その夜、初めて「自分の死」を見た。
知らない戦場で、背中から槍に貫かれている。口の中に血の味が広がって、息ができない。膝から崩れ落ちる感覚が、なぜか妙にリアルだった。
目を覚ましたとき、自分の胸を何度も強く叩いた。ちゃんと息ができているか確かめるために。
それからは、未来を変えるたびに見るようになった。
別の死に方の、自分を。
◇
「帳尻合わせ、ってやつですよ」
神官長は、まるで天気の話でもするように言った。
「世界は均衡を保とうとします。救われる命があれば、その分、別の命が失われる。あなたの力は、その『空席』を埋める役割を担っているのでしょう」
「……つまり、私が死ねば、誰かが生きるってことですか」
「ええ。おそらくは」
慰めの言葉は、なかった。
代わりに、次の任務が与えられただけだ。
◇
救った命の数は、覚えていない。
覚えているのは、増えていく「自分の死に方」だけだ。
燃え落ちる塔の中で。
氷の湖の底で。
毒に侵された寝台の上で。
誰にも知られず、書庫の奥で。
共通しているのは、そのどれもが、誰かを救った「後」だということ。
未来は、変えられる。
でも、消えはしない。
どこかで、誰かが、代わりに死ぬ。
それが、私になるだけだ。
◇
魔王討伐の作戦が始まったのは、春だった。
王都の記録によれば、討伐隊はこの遠征で全滅する。原因は、魔王城の最深部にある〈時環の魔法陣〉。侵入者の時間を巻き戻し、永遠に同じ戦いを繰り返させる禁術だ。
唯一の突破口は、魔法陣の核を外部から破壊すること。
ただし、それを行う者は、魔法陣の中に取り込まれ、時間の外側に置き去りにされる。
帰還は不可能。
「やっぱり、私が行くしかないか」
当然の結論だった。
これまでだって、そうしてきたのだから。
騎士団長のアルトは、最後まで反対した。
「君一人の命で世界が救えるなんて、そんな都合のいい話があるか!」
「あるよ」
私は笑った。
「だって、そういう風にできてるんだから」
◇
魔法陣は、確かに時間を歪めていた。
一歩踏み込んだ瞬間、景色が幾重にも重なって見える。未来の自分が剣を振り下ろし、過去の自分がそれを受け止め、現在の自分がその隙間をすり抜けて進んでいく。
核は、すぐに見つかった。
黒曜石のような球体が、空間の中心に浮かんでいる。
そこに手を伸ばした瞬間、無数の「記録」が流れ込んできた。
救われたはずの少女が、別の場所で命を落とす未来。
生き延びた騎士たちが、戦争を長引かせる未来。
毒を免れた王子が、独裁者になる未来。
そして――。
私が何もしなかった世界。
そこでは、魔王は討たれず、人々は滅び、誰の記録も残らなかった。
光のない、大書庫。
空っぽの世界。
指先が、震えた。
それでも、核に触れる。
砕ける音が、確かにした。
◇
時間が止まる。
音も、光も、感覚も。
ただ、意識だけが残る。
ああ、なるほど。
ここが、「外側」なんだ。
誰の記録にもならない場所。
忘れ去られるための、空白。
遠くで、誰かの声がした気がした。
たぶん、アルトだ。
きっと、彼らは帰れる。
少女も、騎士も、王子も。
みんな、未来に進める。
私のいない未来に。
それでいい。
最初から、そういう役割だったんだから。
だから――。
ああ、あの時死んでおくんだったな。




