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労働というストレスに、報酬が見合っていない

 留年確定通知メールを読んで、僕はスマホを伏せた。

 あくせく働くのは性に合わない。地位も名誉も名声も必要ない。労働というストレスに報酬が見合っていない。だから、僕は労働なんてしない。それが、現実世界でも異世界だったとしても。

 僕はしがない大学生だ。大学生活はいつも単位との戦いだ。保険なんていらない、最低限でいい。そんな地に足ついた考えにより、留年した。後悔は一切しなかった。大学生活の延長は、怠惰ではなく合理だ。それが留年確定の末辿り着いた答えだ。一人暮らしのアパートでダラダラしていると、時代遅れの固定電話が鳴った。僕の意志で置いているわけではない。一人暮らしの条件として仕方なく残している監視用の回線だ。それが何を意味しているのかは容易に想像することが出来る。

「あんた、何か言うことあるでしょ」

 母親はいつも僕に答えを言わせる。そのおかげで無駄な会話が一つ増えることに気づいているのか。

「留年の件かな?」

 とぼけてみたが、火に油を注ぐだけであった。叱咤激励とは名ばかりの叱責に次ぐ叱責。いや叱咤である。早く電話を切りたい、という衝動をかき消すように頭に激痛が走った。善い行いをしておくべきだったか。一抹の後悔を認識する前に僕の意識が切られた。


「あ、あの。大丈夫ですか」

 目が覚めると、眼前にはこの世を制圧できるほどの美貌を持った女性が僕に話しかけていた。それだけではない。後頭部に優しい温もりが伝わってきている。つまるところこうだ。美女に膝枕をされている。

「大丈夫に見えますか」僕はぶっきらぼうな口ぶりで言い返してしまった。

「すいません。こんな森の中で気を失われていましたので」

「僕は一人で生きていきますので」上手く返すことが出来ない。

 恥ずかしくなり、美女から逃げるように逃げた。短い会話から分かると思うが、僕は女性に慣れていない。慣れる段階にいない。小学校ではそれなりにモテていたが、中学校に上がり、女性とは疎遠となった。高校、大学に関しては女性と一言も話していない。というか、今この状況で考えることではない。まずは、森を抜けなくては。森を抜けるには道を見つける必要がある。道を必死に探していると、僕は迷子になった。似たような光景が続き、方向感覚はとうに失っていた。もしかしすると、最初から持ち合わせていなかったかもしれない。冷静にならなければ。僕は、急ぐ足を何度も叩き、その場に立ち止まる。周りを見渡しても、木。とにかく木。森なので当たり前なのだが、文明の気配がしない。耳を澄ませると背後から微かに足音が聞こえる。希望と期待を込めて勢いよく振り返るとイノシシらしき化け物が近づいてきている。僕は痛めた首を摩る余裕もなく、またも走ることを余儀なくされた。先ほどは自分から走り出したのだが。なぜ、こんなにも走らなければいけないのだ。逃げ切り、生きるという報酬は走るというストレスと釣り合うのか。そんなこと議論の余地などあるわけがない。走るに十分足る報酬だ。これでも小学生の頃は六年間リレーの選手であった。走りには自信があったが、イノシシに勝てるはずがない。後方を向くと、イノシシは既に近くにいた。近くで見ると、イノシシほど可愛くなかった。ただの化け物だ。化け物に脚力で勝てると思っていた自分が恥ずかしい。もう無理だ。諦めよう。走ることが生きるを超えた。僕は振り向く。立ち止まり、両手を広げ、目をつむる。これでも散り際には拘るのだ。しかし、想定よりも長いこと両手を開いている。おかしい。もう喰われているはずだが。恐怖に抗い、目を開けると化け物は切り刻まれていた。あまりに無惨な姿が目に焼き付く。

「大丈夫ですか」先ほどの美女が返り血を浴びて言う。

「何とか大丈夫です」

「そうですか。良かった」美女は静かに笑みを浮かべる。

「ここはどこなんですか?あなたは誰なんですか?あの化け物は何ですか?」

 僕には聞きたいこと知りたいことがたくさんある。

「私はミチャエルです。あなたは?」

 マイケルのスペルを覚えるときの中学生英語じゃないんだから。

「僕は、楠田重治(くすだ しげじ)です」

「かなり厳つい名前されてますね」ミチャエルは笑って言う。

「それで、ここはどこなんですか?」

「ここは、バンジョウ国です」

 バンジョウ国。聞き馴染みの無い国名に呆気にとられてしまう。僕は察しがいい方だ。そのため、自分の現状を理解することが出来た。異世界転生というテンプレに放り込まれたである。あの化け物はモンスターであるのだろう。かなり高いランクのモンスターであるに違いない。

「そうですか。それでは失礼します」僕は、ミチャエルに感謝を伝え、去る。

「ちょっと、楠田さん。待ってください」

 僕は呆れながらミチャエルを見る。

「心配なので私が町まで送ります。送らせてください」ミチャエルは頭を下げて、お願いしてきた。

 美女が僕にそこまでするなんて人生に二度もあることではない。気分が良くなり了承した。

「今日は、夜遅いのでここで寝ていきましょうか」ミチャエルはテントを張りながら言う。

「まだ、日は落ちてないですよ」僕は至極まっとうなことを言う。空はまだ、目に刺さる青色と、黄金色の太陽が健在だ。

「楠田さん、おかしなこと言わないでくださいよ」僕の発言はボケだと認識したミチャエルは笑っている。彼女の目にはこの空がどう映っているのだろう。

 慣れない土地で過ごすにはかなりのエネルギーが必要である。僕は結局ミチャエルの言う通り、野宿をすることにした。テントの中には僕とミチャエル。男と女。僕はこんな状況を経験したことは無い。興奮と焦燥が混ざり、僕の体は動かなくなった。


 ふと、視界の隅で奇妙な文字が発光した。


 スキル:不労生存

 ――条件確認

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