表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

ある程度のどんぐりの背比べって、必要なことなんだと思う

作者: P4rn0s

私は、SNSが無い方が良いとは思っていない。

便利だし、誰かを救っている側面があることも、きっと事実だ。

遠くにいる誰かの言葉に救われたり、孤独だと思っていた感情に名前が付いたりする。

そういう奇跡のような瞬間が、あの場所には確かに存在している。


それでも、私は時々考える。

あそこは、人が立つには少し早すぎる場所なのではないか、と。


人は本来、もっと狭い世界で自分の輪郭を知る。

同じ教室、同じ職場、同じ町。

能力も、環境も、経験も、だいたい似通った人間同士で比べ合い、ぶつかり合いながら、少しずつ自分の位置を覚えていく。

勝ったり、負けたり、認められたり、無視されたり。

その繰り返しの中で、「自分はこのくらい」という感覚を身につけていく。


けれどSNSは、最初から完成された人間ばかりを並べて見せてくる。

努力の途中や、何者でもなかった時間は削ぎ落とされ、結果と称賛だけが流れてくる。

そこにいるのは、自己表現において明確な才能を持った人間たちだ。

言葉の選び方を知っていて、見せ方を理解していて、評価される構造を無意識に掴んでいる。

彼らが凄いことに異論はない。

むしろ、あれは一つの技術であり、努力の結晶でもある。


ただ、その舞台にいきなり立たされる側の心は、あまりにも無防備だ。

現実で、同じくらいの実力を持つ誰かと競った経験がないまま、世界の上澄みだけを見せられる。

上には上がいる、という言葉の「上」だけを、最初に突きつけられる。

それを目指すことが前提の空気の中で、何も持っていない自分は、最初から欠けた存在のように感じてしまう。


本当は、すべての人間が頂点を目指す必要なんてない。

そもそも、それは構造的に不可能だ。

けれどSNSは、その不可能を努力不足のように見せる。

到達できない理由を、個人の価値の低さにすり替えてしまう。


現実の世界で、顔の見える誰かと競い合わなかった人ほど、その罠に落ちやすい。

最初から、凄すぎる誰かと自分を比べてしまう。

そして、努力を始める前に落胆し、競うことそのものをやめてしまう。

負けることすらできないまま、勝負の外に出てしまうのだ。


私は思う。

ある程度、心が成熟してからでなければ、SNSは扱えない。

負けた経験や、思い通りにならなかった時間を経て、それでも自分の価値を手放さずにいられるようになってから。

才能の差を理解し、それを理由に自分を否定しなくなってから。

そうでなければ、あの場所はただの残酷な比較装置になる。


成熟とは、諦めることではない。

届かない場所があると知ったうえで、それでも自分の歩幅を信じられることだ。

誰かの成功を見て、自分の失敗と結びつけなくて済むことだ。


SNSは、成熟した人間にとっては武器にも、居場所にもなる。

だが、まだ自分の輪郭を知らない人間にとっては、心を削る刃でしかない。


だから私は、今日も画面を閉じる。

競う相手は、顔の見える数人でいい。

同じ速度で息を切らし、同じ地面で転び、同じ高さを見上げる人たちとで十分だ。

それだけで、心はもう十分に消耗する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ