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君をおもえば  作者: おはぎ
プロローグ
3/16

呪術師

 3日後、呪術師がユーリの病室に現れた。お父さんの言ったように、お父さんより年を取っていて、ごく普通の人のように見えた。年は40歳くらいかなとユーリは考えた。

 呪術師は、ユーリに向かって、いくつか説明をした。呪は、二つ。一つは、肌を柔らかくするもの。この呪は、全く不快ではなく、気持ちがいい。もう一つは、今の硬い皮膚を取り去るもの。これはとても痛い。

「痛いってどのくらい?」ユーリは思わず聞いた。呪術師は、バカなことを聞く子だというような様子でユーリを見て、「皮膚を取り去る痛みだ」と言った。ユーリは、怖くなった。「麻酔もしないで、皮膚をはがすなんて、普通じゃない」と言うと、「呪は、普通じゃない」と呪術師は答え、「どうする?」と聞いた。お父さんとお母さんがいろいろ呪術師に質問した。ユーリは痛みについて考えていて、お父さんとお母さんの質問は殆ど耳に入ってこなかった。お母さんが「ユーリやめてもいいのよ」と話しかけた。

「体の中はどうなるの?」ユーリは尋ねた。呪術師は、ユーリをじっと見つめて、「体の中で固まったところは、呪を通して、体外に排出される」と言った。いったいどういう理屈でそうなるのか、ユーリには全くわからなかった。硬くなった皮膚ははがれ、硬くなった内臓は排出される。そんなことってあるの?

「どうする?呪を唱えるには、時間がかかる。早く始めなければならないが」呪術師は、時計を気にしながら、言った。呪術師が目をやった時計は、今はほとんど見ない文字盤のついた腕時計だった。変わり者なのか、うんとお金持ちなのか、そんなことをユーリは考えた。「やってみます」ユーリは答えた。呪術師を信用したわけではないが、今のままだと、もうすぐ死ぬ。お父さんもお母さんも何も言わないけど、ユーリはわかっていた。皮膚を取り去る痛みってどんなだろう。今の医療は、患者に痛みを与えることをできるだけ避けるようになっていたので、ユーリは病院で痛みを感じたことはほとんどなかった。自分が耐えられるかどうかは、わからなかった。でも、どちらにしてもいつも今や普通にある皮膚の裂ける痛みもユーリには耐えられなかった。

 呪術師は頷き、ユーリの枕元に移動した。「先に皮膚を柔らかくする呪だ。そのあと取り去る呪を唱える。」呪術師は言葉少なだった。お父さんとお母さんは、ベッドの足元へ移動した。ユーリは、呪術師をじっと見つめていた。呪術師はゆっくり目を閉じると、ユーリが一度も聞いたことのない言葉を、これもまた聞いたことのない旋律に乗せて、唱えだした。呪術師、一人しかいないのに、何人もの人が同時に謡っているような、不思議な音色だった。ユーリの頭はぼんやりしはじめ、そのせいかユーリの周りの空気も、多くの湿気をはらんだように、重くなっていくようだった。そして呪術師の呪は、ユーリの皮膚を通って、体の中に侵入してくるような気がした。ユーリは、昔行ったパラオを思い出した。熱帯の熱く湿った空気は、肌にまとわりつき、体の中まで潤していくような気がした。ユーリにとって、それは、心地よい侵入だった。

 どのくらい時間が経ったのか、呪は花がしぼむように消えていった。ユーリは、それが終わったことに気づかず、ぼんやりとしたままでいた。しかし次の瞬間、呪術師が次の呪を唱え始めると、全身、皮膚、体の中まで切り刻まれるような痛みがユーリを襲った。それは、呪術師の口から刃物が飛び出して、ユーリの身体に突き刺さったような感じだった。

「きゃああああ」あまりの痛さに、ユーリは金切り声をあげた。呪術師は、ユーリのその声にぶつけるかのように、より大きな声で呪を唱え始めた。ユーリの声と呪術師の声は、とても大きかったので、病室の外へ当然漏れ出たと思うが、誰も病室へは入ってこなかった。それどころか、ユーリの叫び声と呪術師の呪がぶつかって、かえって病室はしんと静まり返っているようかのようだった。お父さんもお母さんも、呪術師を止めることすらしようともせず、二人ともぼんやりと、様子を眺めているだけだった。

 後になって、思い返してみても、痛みのあまり、ユーリはほとんど気絶していたんじゃないかと思う。ほとんど気を失っていたとしても、強烈な痛みから逃れることはできなかった。痛みは体中に突き刺さるようで、また体の中も鋭い刃物でえぐられるような痛みが駆け回るようだった。ユーリは、自分が声を出しているかどうかもわからなかった。苦痛は果てしなく続き、いつ終わるのかということを考えることもできなかった。

 どのくらい経ったのか、呪は途切れた。痛みから解放されて、やっとユーリは気を失うことができた。呪術師は、お父さんとお母さんに向かって、ユーリが目を覚ますまで寝かしておくこと、目が覚めると嘔吐が始まるので、すべて吐かせてしまうこと、しばらく経つと皮がはがれてくるので自然に任せておくこと、そのはがれた皮は後で取りに来ることを伝え、料金を受け取って帰った。

 その日からユーリは3日間ほど寝続けた。そして目が覚めると、胃の中のものだけじゃないかもしれないけど、たくさん吐いた。皮膚も少しずつはがれおち、はがれおちたところには新しい皮膚ができていた。ぽろぽろとした小さいものや大きいものがいくつもはがれおちた。

  1週間ほどして、ユーリは起き上がれるようになった。でも痛みのせいで、ひどく消耗していて、なかなか歩くことはできなかった。ユーリが起き上がれるようになった頃、呪術師より若い男性が、ユーリのはがれた皮を取りに来た。そしてユーリの両親に、これから呪を受けに通ってくる必要があることを伝えた。

 両親からそのことを聞いたユーリは、絶望した。

「まだ続けないといけないの?」ユーリは泣きべそをかいた。

「嫌でしょうけど、起き上がれるようになったし、もう少しすれば、自由に歩けるようになるわ」お母さんはとりなした。

「とても痛かった」思い出すことも難しい痛みのこと考えると、ユーリの目から涙がこぼれた。

「もうしたくない」ユーリは唇をかんだ。

お父さんもベッドサイドにいたので、手を伸ばしてユーリを抱きしめた。「つらかったんだね」

 お母さんもユーリの様子を見て、手で顔を覆って泣き始めた。「どうして…」

 お父さんもお母さんもユーリも、ほかに選ぶ道がないことはわかっていた。でもほかの方法がないだろうかと願わずにいられなかった。これからユーリが体験し続けるだろう苦痛は、家族みんなの苦痛だ。みんな、その苦痛をどうやって乗り越えていけばいいか分からなかった。












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