エピローグ
「お母さん、ごはん、ごはん」どたばたとユーリがリビングに駆け込んできた。食卓の上にある母親の準備したものの中で、片手で食べられるものを口に放り込みながら、「今日、友達と学校終わってから、ライブに行くから。心配しないで」とキッチンに向かって言った。そして母親が返事をする前に家を飛び出していった。ユーリのとかしてないぼさぼさの髪は、朝の光を受けて、黒々と輝いていた。
「ユーリ」手をふきながら、母親がキッチンから慌てて出てきたとき、もうユーリはいなかった。母親はぶつぶつ文句を言いながら、娘の食べ残したものを、口に運んだ。ちょうどその時父親が寝室からのっそり出てきた。
「ユーリは早いな。俺も目が覚めたよ。」
「あの子、最近運動系の部活動を始めて、朝練ですって」
「なんだい?」
「テニスだそうよ。それに今日はライブですって」母親はあきれ顔をしながらも、嬉しそうな表情で言った。少し前まで、ユーリは全く動くことができず、両親とも、娘はもうすぐ亡くなるだろうと確信していた。それが今は部活だの、ライブだのを楽しんでいる。そんな娘の姿を見ることがこの上もなく幸せだった。
「今、食事準備するわ」母親はキッチンへ引っ込んだ。父親は彼女の弾んだ様子を見るのも幸せだと感じた。娘の死を思って嘆き悲しむ彼女の姿も見るに堪えなかった。
父親はテレビをつけた。一面で患者組織の売買に関する事件が扱われていた。
「研究機関に所属する研究員が、研究目的で提供された患者の組織を不正に売却していたとして、臓器移植法違反の疑いで逮捕されました。捜査関係者によると、逮捕されたのは東京都内の研究施設に勤務していた40代の男性研究員で、患者の同意を得ずに患者から採取された組織を第三者に販売していたとされています。この事件は、警視庁が進めていた臓器売買に関する捜査の一環で明らかになったもので、研究員の供述から、人間から採取した組織の売却を専門に扱うグループの存在も浮かび上がっています。現在、警察はこのグループの実態解明を進めており、関係者への事情聴取を行っています。捜査当局は営利目的での売買とみており、組織的な関与の有無を含めて慎重に捜査を進めています。今回の事件は、国内外の研究倫理と医療制度の信頼性に大きな影響を与える可能性があり、関係機関では再発防止策の検討が急がれています。」
父親は、椅子に座ってぼんやりとユーリの組織も研究機関に持っていくと言っていたなと考えた。一瞬、呪術師が急に治療をやめると言い出したことを思い出し、ユーリの組織もと考えたが、ユーリは臓器じゃないじゃないかと思いなおして、落ち着いた。
母親が父親の食事を準備して、キッチンから運んできた。
「どうしたの?」
「いや、ひどい話さ。研究用に提供された患者の臓器を売買していたんだと」
「まあ」母親は顔をゆがめた。
「今、人の臓器を使う必要なんかないでしょう」
「そうだよな、そういえばユーリの治療は次いつ?」父親が尋ねた。
「さあ、いつだったかしら」母親は日程を確認し、「一カ月後くらいね。もうそれで終わりじゃないかって言われたわ」
「よかったな」
「そうね。ほんとに」母親が安心したように微笑んだ。
母親と父親は向かい合って食卓に坐り、ユーリの帰りが遅いなら、二人で食事に行こうかと話し合った。二人で食事に行くこともずいぶん久しぶりだった。