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君をおもえば  作者: おはぎ
プロローグ
14/16

ミイ

 次のネットワークの日、ユージインさんと香山さんと桔平は先生の家に集まって、今までのことについて話し合った。マッテオさんたちも困っているということには、皆驚いていたし、どうも呪関係は、もともと人じゃない人たちの技術だったんじゃないかという結論に至った。なぜ人がそれを使えるようになったかはわからなかった。

「まあ、ほとんどのことはわからないままだしね。それでもいいんじゃない。」

「それじゃダメ。なんだか面倒なことになってきているから、マッテオさんたちも何とかしようとしてるんじゃないの」香山さんは呆れたように言った。そして桔平に向かって「教えてもらえるといいわね。慎重にね。相手を不快にさせないように。誰かみたいに」と言った。

「気を付けます」香山さんの一言は、最近桔平の心を和ませるようになった。

 全員そろってネットワークの中へ入った。入ると皆思い思いのほうに散っていった。桔平はマッテオさんを探さなければならなかった。ネットワークの不便さは、待ち合わせをすることだった。特別どこという目印も、何もなかった。とにかく空間が広がっていて、距離感もなにもわからなかった。漂っているうちに目的の人に会うのを待つしかなかった。桔平は漂いながら、周りの人を観察した。話し込んでいる人もいるし、桔平みたいにただよっているだけの人もいる。風船みたいな形の人から、普通の人の姿の人もいる。その合間に、宇宙空間で漂うデブリと呼ばれるようなものが飛んでいく。あれはいったいなんだろうと桔平は思った。宇宙でもないのに。不意に野太い犬の鳴き声がした。桔平はその声に聴き覚えがあるような気がした。

「待たせたかな」マッテオさんだった。マッテオさんは、外の世界とほぼ同じ姿だった。

「いいえ」

「じゃ、行こうか」マッテオさんが先に進んだので、桔平は慌ててその後について行った。しばらく行って、ある出口にたどり着いた。そこを抜けると、ピンク色の反乱だった。

「やあ、ミイ」マッテオさんが、ピンク色の中にいる人を抱きしめた。その人の、女性の目は白目がなく、すべてが紫でアメジストの宝石色に輝いていた。そしてその目がじっとマッテオさんの肩越しに桔平を見つめていた。不快そうに見えた。桔平もその女性を見つめたが、それ以上に周りの色が気になって仕方なかった。壁や家具の一部がピンク色で、そのピンクもサーモンピンクから、桜色、派手なピンク色、くすんだピンクなど様々な色が使われていた。そしてカーテンや机の一部には白やクリーム色が使われ、そう思ってみると、おそらくそのミイという女性の好みでこの部屋は飾り付けられているんだろうと、桔平は思った。窓の上の小物置場みたいなところには宝箱のようなものが置かれ、その箱は金色の縁取りが施されていた。部屋はどう見ても少女趣味だった。ただ桔平は女性の部屋に入ったことはないので、これが普通なのかどうなのか、判断はできなかった。

 マッテオさんが桔平を呼び寄せた。

「桔平、ミイだ。ミイ、桔平だ。話しただろう」桔平は「こんにちは」とは言ったが、何となく部屋の雰囲気に落ち着かず、そわそわした。ミイという女性は、桔平を眺めていたが、不快そうには見えるものの、瞳が紫に輝いているので、実際にどう思っているかはわからなかった。

「あなたが裏の呪を教えてほしいという人?」声はかすれて高かった。

「はい」

「マッテオが言うから教えるけど」彼女は嫌そうに言った。

「ミイ、そんなこと言わないでくれ。桔平は私に有益な情報をくれたし、彼の友達や仲間にはこれからも協力してもらうことがあるんだ。桔平は大事な仲間なんだ」

 ミイという女性は不快そうな様子を隠そうとはしなかった。

 桔平はこのミイにどこかで会ったのではないかと思い始めた。こんな紫の目、もし会っていたら絶対覚えているはずだけどな、と桔平は考えていて、あっと思って、

「むらさき風船」思わず口に出してしまった。

「何、むらさき風船て」

「あ、いや、すみません」そうか、あの時の風船か。人の姿だとこんな風になるのか。桔平は改めてミイをじっと見つめた。ミイも桔平をじっと見つめていた。そしてふと、

「あれ、あなたって」と言った。

「やっぱり」桔平は言った。

「なんだ。よかった。あなたならよかった。桔平ね。よろしく」ミイはにっこり笑った。マッテオさんが、「二人は知り合いだったのかい」とミイに尋ねた。

「知り合いじゃないけど、私が来たばかりの時、話をしたことがあるの」ミイは嬉しそうに言った。ユージインさんは、むらさき風船だった時のミイを少女だと言っていたが、目の前の人は大人の女性だった。

「よかった。」

「冷たかったけどね」ミイは付け加えた。

「あの時は、すみません。急いでいたから」桔平は慌ててとりなした。

「いいよ」ミイは桔平の腕に自分の腕をからめた。桔平は、驚いて振りほどいた。ミイはその桔平の仕草に傷ついたように見えた。

「ミイ」マッテオさんが口を出した。

「この星では、そういうことは通常しないものなんだ。私たちの星とは違うと何度言えばわかるんだ」

 桔平はドキドキする気持ちを抑え、「いや。大丈夫。驚いたから。僕もごめん。振り払ったりして」とどぎまぎしながら言った。

「ミイはこの星の作法になかなか慣れないんだ。そうだ、桔平、ミイに教えてあげてくれないか。この星の作法。私が注意しても、なかなか聞き入れないところもあるし、桔平はこの星の住人なんだから。ミイも本気で聞くだろうし」とマッテオさんが追加した。

「そうして、桔平。私が教えるだけより、ずっと楽しそう」ミイは機嫌を直して笑顔で言った。紫の目は一層輝いた。桔平はエリックの言葉を思い出した。女の子は気持ちいい。ミイが桔平に絡めた腕はきゃしゃで、男みたいに角張っていなくて、柔らかかった。ちょっと力を入れると折れそうな感じだった。身体も柔らかく、ふにゃふにゃしていた。桔平はずっとドキドキしていた。エリックの言葉が頭を駆け巡って、マッテオさんの話は耳に入らなかった。

「君の友達から連絡が来たよ。彼も色々と調査しているようだね。一緒に取り掛かることにしたんだ。桔平?」

「ああ、すみません。」桔平はマッテオさんの声にはっとした。

「ミイ、桔平は非常に戸惑っているよ。人を戸惑わせることはよくない」

「ごめんなさい。」ミイは素直に桔平に謝った。そして「私が教えることってできるのかな。こんな感じで」と不安そうな様子をみせた。

「君しか知らないんだから、仕方ない」マッテオさんはしばらく考えて、「桔平の先生の家はどうだ。そこなら桔平の先生もいるし、桔平も落ち着くだろう。だいたい、この部屋は落ち着かないよ」とあきれ顔で言った。「ピンク色ばかりじゃないか。前よりも増えているぞ。」マッテオさんもそうなんだ、と桔平は安心した。

「とてもかわいいのに」ミイは膨れ顔をした。本当にほほが膨らんでいるので、桔平はおかしくなった。

「桔平の先生の家ってどこなの。」

「私が連れていくよ。そうだ、これから一緒に行こうか。ミイも覚えておくといい」マッテオさんは一回来ただけで、先生の家へ行く方向など、あんな空間の中で覚えたらしかった。

 マッテオさんの先導で、ネットワークの中に入り、先生の家を目指した。マッテオさんは全く迷う様子もなく進んだ。桔平はちょっと進んだだけで、もうミイの家がどこにあったかもわからなくなったし、自分がどこにいるのかもわからなくなった。ミイは次に来られるのかなと考えて、ちらっとミイの方を見ると、ミイは不安なさげな様子だった。この人たちは、この空間の進み方をよく知っているのか。俺とは違う力があるのかもしれないと桔平は考えた。そしてミイがそばにいても少し落ち着いた。

 先生の家には、誰もいなかった。桔平は先生が考えた裏の呪の説明をミイにした。桔平自身も先生の書いたものを説明するのは難しかったので、それがミイに伝わるとは思えなかったが、ミイは先生の書いたものを簡単に解読した。そして「だいぶいいけど、肝心のところが違う。でも自力でここまでできるのはすごいよ。桔平の先生ってすごいね。この星の人でしょ」と桔平に向かってにこっと笑った。

 桔平は、先生の家でもなんだかドキドキした。ネットワークの中で落ち着いたのにと桔平は疑問に思った。第一、彼女はこの星の人間に擬態しているんだから、この姿じゃないんだよなと考えた。不思議とその考えは少し桔平の心を落ち着かせた。

 マッテオさんは、落ち着いたように椅子に座って、桔平とミイのやり取りを眺めていた。

「この家は落ち着くよ。君の先生はセンスがいい」

「それってあたしの部屋が、センス悪いって言ってる」ミイは鋭く反発した。

「そうは言ってない。」

「そう言った」ミイとマッテオさんは同世代のように言い合いを始めた。桔平はその様子をぼんやり眺めていた。

 そうこうしている内に、皆帰ってきた。マッテオさんはミイをみんなに紹介した。ミイは緊張した様子だったが、ユージインさんや香山さんとはすぐ打ち解けて、楽しそうに話すようになった。そしてふと、「そういえば、あの裏の呪は誰が書いたんですか。かなりいい線いってたけど」と尋ねた。

 先生は嬉しそうに会話に加わった。「あれ、いい線いってましたか。ずいぶん苦労したんですよ」と話し始めた。そして呪について、なんだか二人は盛り上って話し始めた。

 マッテオさんは、そんなミイの様子を見ながら、ユージインさんと香山さんにアソシエーションで起きていることを簡単に話した。

「これから何が起きているのか、もう少し明らかになると思います。今回、桔平から話を聞いたことで、よくわからなかったことが明らかになると思ってますよ」と言った。

「そう、ところで、二コラはどうしてるんですか」と香山さんが聞いた。

「二コラは」とマッテオさんは、顎を撫でて考えるそぶりをした。

「今度、パーティーがあるのでいらっしゃいませんか。人が多い方が楽しいし、彼も喜ぶと思いますよ。香山さんがいらっしゃると知ったら」

「ぜひ」香山さんは艶やかに笑った。

 桔平は、キッチンで飲み物を準備していたので、そういうやり取りは知らなかった。ユージインさんがキッチンに来て、ミイと先生が盛り上がっている様子を桔平に伝えた。

「あの二人はなんだか気が合うんだね」

 全員、桔平の準備したお茶を飲みながら、これからどうするか少し話し合った。桔平と先生は、ネットワークのある日、ミイから裏の呪を教わることはすぐに決まった。ユージインさんは裏の呪を探していたのだから、もうそれ以上は関わりたくはないと言い、香山さんもそれに賛成だった。先生は、裏の呪の方に夢中でそれ以外のことは全く興味を示さなかった。

 それでもマッテオさんは、何かわかったら連絡すると約束した。


 次のネットワークからミイは先生の家を訪れるようになった。最初に桔平たちが使っている呪をミイの前で披露した。ミイはそれを顔をしかめながら聞いていた。

「うーん、これじゃ、患者は辛いんじゃない」

先生は食いつくように「どうしてわかるんだ。この呪は特に患者に苦痛を与えるんだ。ただそうでなければいけないと思っていたんだが」と言った。

「うーん、どう説明していいかわからないけど…」とミイは言い、桔平たちの唱えた呪をすぐに繰り返し始めた。その音律は繊細に上下し、全身に柔らかく響き、あんなにユーリを苦しめた呪とは別の物のようだった。

「こんな感じかな。二人のは、雑な感じじゃないかと思う。」

 先生は食い気味に「教えてくれ」と言い出したので、桔平は慌てて「ごめん、患者が待ってるから、先に裏の呪を教えてほしい。早くしないと彼女が」と先生をにらみながら言った。

「そうだ。そうよね」ミイは言い、音律を書いてきたと紙きれを取り出した。今どき鉛筆で殴り書きしたようなものを先生は桔平より早く手を出し、ミイから奪い取った。

「これか。私が書いたものと似てるところもあるし、違うところもあるな」

先生は、ミイの殴り書きを眺めながら、当然のことを言った。

「そうでしょ」と、二人がまた盛り上がりそうになったので、桔平は慌てて、「教えて、ミイ」と言った。ミイは、桔平がいることを思い出したように「そうよね」とまじめな顔になって言った。


 ミイが唱えだした裏の呪は、当然ながら桔平たちの表の呪とは全く違ったものに聞こえた。さっき聞いたミイ自身の唱えた表の呪ともまるで違っていた。もっと繊細で、息遣いにも気を配っているように思えた。そもそも息継ぎをしているかどうかすらも、わからないくらいだった。音律はミイの唱えた表の呪よりも、よりひそやかに上下し、というより、おそらく普通の人には上下しているという事すら気づかないくらいの上下で、音楽として聴いていると退屈で仕方ないものに違いなかった。呪の文言は、音律の合間に合間に変わるといった感じで、音と全くあっていない関係ない場所に置かれていた。桔平はとても自分がこれを唱えられるとは思えなかった。隣で聞いている先生を見ると、目が爛々として、身を乗り出して聞き入っていた。一音も聞き漏らさないという様子だった。桔平は、ひそかに先生が彼女に唱えた方がいいんじゃないかと思い、心の中で大きなため息をついた。その溜息は、先生に聞こえたはずだが、先生の集中は途切れなかった。

「ふう、こんな感じ。」ミイは、お茶をごくごく飲んだ。

「桔平が感じたのは正しいよ」とミイは言った。桔平は驚かなかった。ミイの方が音に敏感で、それは桔平の体?心?の中まで聞き取ることは、呪を聞けば理解できたからだ。

「ミイ、僕や先生はいいけど、それは他の人にはしないというより、言わない方がいいことだよ」と桔平は注意した。それはマッテオさんに言われた桔平とミイの間の約束だったからだ。

「わかった」ミイは神妙に聞いた。

「最初から教えてくれ」先生はミイに言った。ミイや頷き、最初の一小節を唱えた。先生がそれに続けた。

「そうじゃない、こう」ミイは繰り返した。先生も繰り返すが、やはりミイから注意された。

「桔平もやって」二人の様子を見ていた桔平にミイが促した。桔平もミイがやっていると思われるとおりにやってみたが、やはりミイからは注意された。

「二人とも、息をするタイミングが早すぎるし、激しすぎる。音律以前の問題かな。もう少し柔らかく、聞いてる人が気づかないくらいじゃないと。この呪は特に。人の体の中に入り込む呪は慎重じゃないと。関係ないところまで傷つけてしまう。」

 その後桔平と先生は最初の一小節を何度も何度も繰り返したが、ミイの注意は続いた。その日は、数時間続けても、次の小節までたどり着くことはできなかった。

「たぶん、今までの癖がついていて、つい今の通りにやっちゃってるんだと思う。自主練して」とミイは言った。

「わからないところは、連絡してくれれば、教えるから。」

ミイは、次回のネットワークの日を約束して、ネットワークを通って帰っていった。桔平は疲れ切っていたので、帰る準備をしていた。先生は、疲れた様子も見せず、ミイから教わったところを繰り返していた。桔平はたまらず「先生が彼女に唱えたらいいんじゃないんですか」と言った。

 先生は、桔平をじろりと見て、馬鹿なことを言うなと言葉にならない声で言い、呪を繰り返し始めた。

そして「桔平もちゃんと練習しろよ」とだけ言った。


 それから数回ネットワークの日に二人は裏の呪を練習した。その日以外にも各自で練習したが、最初の小節から進みはしなかった。こんな調子で、彼女の治療ができるようになるんだろうかと桔平は自信を無くした。先生は、全く進まない事なんか気にしたそぶりはなく、飽きる様子も見せずに、何度も繰り返していた。ミイも、あまりの出来の悪さにあきれないのかと思ったが、そんなこともなく、何度も同じことを注意したり、やって見せたりしてくれていた。

 そんなある日、ユージインさんと香山さんがネットワークへ行った帰り、先生の家に立ち寄った。5人は、桔平の用意した軽食をつまみながら、しばらく会わなかった間の話をした。香山さんとユージインさんはマッテオさんのパーティに参加したそうだった。

「リカちゃんは、二コラといい感じだったよね」

 香山さんは、ふふふと笑った。「あれから連絡とってるの」とユージインさんが続けると、香山さんは「まあね」ともったいぶって答えた。「彼とてもやさしい、イタリア男性って女性に優しいじゃない」

そこにミイが「ニコルは、そんなに優しくはないよ。」と割って入った。

「そんなことないわ」香山さんが否定した。

「だって」とミイが抗議し、それに対して香山さんが答えている様子を見て、ユージインさんはやれやれという様子だったし、先生はまるで気にしていなかった。しばらく二人が言い合っているのを見ていたユージインさんが「ところで、ミイちゃんはどうして裏の呪を知っていたの」と話を逸らすそらすように聞いた。ミイは香山さんとの言い合いをやめ、ユージインさんの方を向いた。

「私の家は神官の家系なんだ。だからいろんな呪について小さい頃から教え込まれていて、多分、桔平や先生がなかなか真似できないのはそのせい。他の人の唱える呪よりとても、なんて言うか」

「どうしてここに来たの?」香山さんもさっきまでの言い合いは忘れたようにミイに聞いた。

「私の星、政争が起きていて、安全じゃない。私の家もどうなるかわからない。だからマッテオのいるここに来たんだ。」

「そうなんだ。ご家族と連絡は取れるのかい?」

ミイは悲しそうな顔になった。紫の目に涙があふれた。「連絡とろうと思えばとれるけど、もしとってると、私がここにいるってわかるし、そうしたらここに来た意味がなくなるから」

「心配ね」香山さんがミイのほほを撫でた。

「うん。私は何もできないんだ。早く落ち着くといいけど、落ち着かないかもしれない。私には何が起きてるか、もうわからないんだ。」ミイは顔をくしゃっとさせて泣き始めた。

「悪いこと聞いちゃったね。」ユージインさんが言った。

ミイは首を横に振りながら、「ううん、誰かに話したかったのかも。一人で、マッテオも二コラも、他の人もいるけど、心配なんだ。」と言った。

 桔平はミイが泣くのを見ていると、明石ユーリのことを思い出した。彼女もこうして泣いてるんだろうか。早く覚えないとと桔平は焦った。

「だめだよ。桔平」泣いていたミイが、桔平に言った。「そんな風に焦るからよくないんだ。先生より、桔平が上達が遅いのはそのせいもある。この呪は沈静だ。桔平が焦ると、鎮静のための息遣いが意味をなさなくなるんだ。」

 ユージインさんと香山さんは、ミイのその言葉を聞いて驚いた顔をしたが、何も言わなかった。先生が

「そうか。呪によってそういう意味もあるんだな」と勢い込んで言った。ミイは涙をぬぐって、「そう。だからこの呪は危ない。身体の機能を止めてしまう。とても慎重に唱えないと、すぐに患者を死なせてしまうんだ。」と続けた。

 桔平は、自分にそんなことできるんだろうかと考えたが、やらなければならないのだった。


 桔平は自分のオフィスで静かな音楽をかけて椅子に沈み込み、焦りを抑えることなんてできるんだろうかと考え続けた。窓の外は、夏を過ぎ、立ち枯れた木々が連なっていて、すっかり冬の景色になってしまっていた。空もどんよりとしていて、今にも雪が降りそうな様子だった。ついこの間、うるさいくらい泣いていた鈴虫や、コオロギなんかは、もういなくなったのだろうか。部屋に流れる音楽しか聞こえてこなかった。

 桔平は、焦りを抑えるということについて、あてもなく調べものをし続けた。すると禅修行という言葉が現れた。以前先生が言っていたことだよな。昔の日本の宗教だと思いながら、読み進めていると、摩訶止観という言葉が出てきた。止観の止はサマタ瞑想を、観はヴィパッサナー瞑想を指すとのことだった。大昔の初期仏教とやらの瞑想と説明がされていたが、何のことやら全くわからなかった。桔平はとにかく瞑想なんだなと思ったが、それを自分が一人でできるとも思えず、どこへ教わりに行くのかもわからなかった。そもそもこんな昔のものやってるところがあるのかと思い、調べると、修行を受け付けているところはあった。山の上の寺で行っているようだった。桔平には現実的に思えず、調べ物をやめた。ミイに聞いてみようと思った。

 次会った時、ミイの腰までの長い髪は、紫とピンクと水色に変わっていた。

「どうしたの。それ」

「かわいいでしょ。」とミイは自慢そうにかきあげた。毛先は緩やかなウェーブがかかっていて、確かにきれいだったし、色の白いミイには似合っていたが、なんとなく桔平は文句をつけたくなった。

「変だよ」

「どこが」ミイは唇を尖らせた。とてもきれいな色じゃないと言いつつ、鏡の前で髪の毛をさらさらとかきあげたり、くるりと回ったりした。すると彼女の動きに合わせて、スカートが円形に広がった。そういう様子は、ユージインさんの言うように少女に見えた。

「この間までの髪はどうしたの」

「あれ。なんだか気分じゃなくなったから。」ミイは桔平の釈然としない様子をみて、プイっとそっぽを向いた。

「さあ、やろう」と先生が奥から二人に声をかけた。

 相変わらず、二人は第一小節から進まなかったが、先生は少しずつミイの息遣いをまねることができるようになってきたようだった。それは桔平にもわかった。

 少し休みを取っている間、桔平はミイに摩訶止観について尋ねた。

「それはわからないけど、私の家でも修行っていうものはあったよ」ミイは、桔平の準備した甘いお菓子をほおばりながら、言った。

「ミイもやったの」

「うん」

「これ、おいしいね。桔平の用意するお菓子っていつもおいしいね」

「よかったら持って帰ったら。どんなことをしたの」

「うーん、こっちでなんて言ったらいいかわからないな」ミイは首をかしげた。

「とにかく、そういうことをしないとダメなのかな」

「桔平は」とミイは言いつつ、桔平の方へ身を乗り出した。そして両手で桔平の顔をぐっと自分の方へ引き寄せ、「口の構造が…」と言い始めた。

 桔平の心臓が勝手に大きく脈打ったので、「やめろ」とミイの手を振り払った。

「ごめん」ミイは、はっとしたように手を引いた。

「君の星ってそんなに簡単に人に触るのか」桔平は腹だちまぎれにミイを責めた。

「うん」とミイは口の端を下げて悲しそうな表情になった。

 先生が「せっかく教えてくれているのに、ひどいな桔平は」と口を出した。「教えてくれないか。口の構造の何が違うんだ。」

「うん」ミイは眼のふちをぬぐいながら「私と二人は口の構造が違うんだ。もちろん私はここの星の人の構造をまねてるけど。でも、そんなところまでは擬態が私には難しくて。もう少しいるとできるのかもしれないけど。口からのどに繋がるところが違うと思う。二人の息の仕方は私と違うと思うから。だからそこを気を付けないといけなくて。私の口の動きをまねるより、そう。息継ぎの音を真似した方がいいと思う」と気を取り直したように言った。

「この星のマナーをミイに教えてほしいと言われてるんです。マッテオさんから」桔平は言い返した。

「うん、ごめん。すぐ触っちゃうんだ。私。気を付ける」とミイは言った。そう言われて桔平は後ろめたい気分になった。「いや、いいんだ」

「とにかく、今教わったことに気を付けよう」と先生が言い、また練習を始めた。

 桔平は気が散らないように、焦りを抑えるように、そしてミイのごくわずかに聞こえる息遣いをまねることができるように、目を閉じた。桔平は、隣で先生の唱える呪が邪魔だと感じた。

 目を閉じると、桔平は幾分か前よりも集中できるようになったように思った。一小節終わるとミイは前よりはいいよと言ってくれた。ミイが帰った後、桔平も家に帰ろうとすると、先生が桔平を珍しく呼び止めた。

「君の心臓の音がうるさくて、集中できない」それだけ言って、すぐに寝室へ引っ込んだ。

「それはこっちもです」桔平は真っ赤になって寝室に向かって言い返したが、返事はなかった。桔平はますます焦りを抑えなくてはと考えたが、どうしていいものやら見当もつかなかった。



























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