第8話「兄姉の密議」
深夜の王城で、第二皇女セレスティア=ヴァルメリアの私室に、静かなノックの音が響いた。
「入ってください」
扉を開けて入ってきたのは、第二王子フェリックスだった。いつもの自由奔放な表情ではなく、深刻な面持ちを浮かべている。
「セレスティア、話がある」
「リナのことね」
セレスティアは涙の跡が残る顔を上げた。19歳の彼女は、兄弟の中で最も素直に感情を表現する。
「ああ」
フェリックスは部屋の中央に置かれた円卓に向かい、椅子を引いて座った。
「俺たちにできることを考えよう」
セレスティアも向かい側に座る。テーブルの上には、彼女が用意した魔法の道具類が並んでいた。追跡用の護符、治療用の薬草、小さな魔法石など。
「私はこれを渡しました」
セレスティアは護符を手に取った。
「この護符があれば、リナがどこにいても分かります。もし危険があれば…」
「すぐに助けに行ける」
フェリックスが彼女の言葉を引き継いだ。
「俺も考えていた。ヴァルドを送ろう」
「ヴァルド?」
「未開発地区出身の剣士だ。俺が見出した男で、腕は確かだ」
フェリックスは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。外は雨が降り始めている。
「表向きは『偶然の出会い』ということにして、リナの護衛をしてもらう」
「でも、それがバレたら…」
「バレないさ。ヴァルドは元々放浪の剣士として活動している。自然な流れで接触させることはできるだろう」
その時、扉が再び開かれた。入ってきたのは第一皇女イザベラだった。22歳の彼女は、いつもの知的で冷静な表情を保っている。
「お二人とも、こんな時間に何を相談しているのかしら」
「イザベラ姉様」
セレスティアが驚いて立ち上がった。
「大丈夫よ。私もリナのことを案じているから」
イザベラは優雅に部屋に入り、円卓の椅子に腰掛けた。
「政治的には動けないけれど、個人として支援する方法はある」
彼女は小さな革袋をテーブルに置いた。中から金貨の音が聞こえる。
「これをカリナに渡してちょうだい。旅の資金として」
「イザベラ姉様…」
セレスティアの瞳に再び涙が浮かんだ。
「泣かないで。私たちは諦めるわけではないのよ」
イザベラは立ち上がり、窓の外を見やった。
「リナは賢い子。きっと自分の道を見つけるわ」
「でも、一人で大丈夫だろうか」
フェリックスが心配そうに呟く。
「一人ではないわ」
イザベラが振り返った。
「カリナがいる。それに、私たちの想いも一緒よ」
「そうですね」
セレスティアが立ち上がり、護符を握りしめた。
「この護符を通じて、私たちはいつでもリナと繋がっている」
三人は円卓を囲んで立ち、しばらく沈黙した。それぞれが妹への想いを胸に秘めている。
「アルベルト兄様は…」
セレスティアが小さく呟いた。
「来ないのでしょうか」
「兄上は王としての立場がある」
フェリックスが答えた。
「だが、心の中では俺たちと同じ気持ちのはずだ」
実際、廊下の向こうでは、第一王子アルベルトが密かに三人の会話に耳を傾けていた。彼もまた、妹を案じる気持ちは同じだったが、王位継承者として表立って行動することはできなかった。
「私たちで十分よ」
イザベラが言った。
「政治は政治、家族は家族。それを分けて考えることも必要」
「でも…」
セレスティアが躊躇していると、扉が静かに開かれた。
今度は、カリナが顔を出した。
「失礼いたします。お嬢様の荷物を取りに」
「カリナ」
セレスティアが駆け寄った。
「これを」
護符と薬草の入った小包を手渡す。
「必ずリナに渡してください」
「ありがとうございます、殿下」
カリナが深く頭を下げた。
「それから、これも」
イザベラが革袋を差し出した。
「旅の資金です。遠慮なさらずに」
「恐れ入ります」
カリナの瞳にも、感謝の涙が浮かんだ。
「フェリックス殿下」
フェリックスが前に出た。
「ヴァルドという剣士を送る。街道で偶然を装って合流させるから」
「承知いたしました」
カリナは三人を見回し、深く一礼した。
「皆様のお気持ち、必ずお嬢様にお伝えいたします」
彼女が去った後、三人は再び円卓に座った。
「これで、私たちにできることはやった」
イザベラが静かに言った。
「あとは、リナを信じるだけ」
「そうですね」
セレスティアが頷いた。
「リナは強い子です。きっと大丈夫」
「ああ」
フェリックスも頷いた。
「だが、もし何かあれば、俺たちは迷わず動く」
「もちろんよ」
イザベラが微笑んだ。
「政治的制約があっても、家族の絆まで制約されるわけではない」
三人は手を重ねた。それは、妹への愛情と、これから始まる支援の誓いだった。
廊下の向こうで聞いていたアルベルトも、静かに自室へと戻っていく。王としての重圧に押し潰されそうになりながらも、弟妹たちの行動を黙認するつもりだった。
王族の絆は、政治的陰謀よりもはるかに強いものだった。そして、その絆こそが、やがてリナを支える大きな力となることを、この時はまだ誰も知らなかった。
雨音が次第に強くなり、新たな嵐の始まりを告げていた。だが、王城の一室では、愛情という名の光が静かに灯り続けていた。
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