第5話「兄姉の葛藤」
--- アルベルトの苦悩
謁見の間を出た後、第一王子アルベルト=ヴァルメリアは自室に籠もっていた。
重厚な机の上には、既に山積みになった公文書が置かれている。父王の死から一日も経っていないというのに、王国の統治は待ってくれない。25歳の彼の肩には、国家の重責が重くのしかかっていた。
「リナ…」
彼は名前を呟き、深く息をついた。窓の外を見やると、王城の庭園が見える。そこは、幼い頃に兄弟姉妹で遊んだ思い出の場所だった。
アルベルトの記憶の中で、リナはいつも静かで聡明な妹だった。他の兄弟が騒いでいる時も、彼女だけは本を読んでいたり、薬草について研究していたりした。その落ち着いた佇まいは、時として彼よりも王族らしく見えることすらあった。
「国の安定のため…」
自分に言い聞かせるように呟く。だが、その言葉は空虚に響いた。
机の上の羊皮紙に、ペンで文字を書こうとする。しかし、手が震えて上手く書けない。王としての決断と、兄としての感情が激しく葛藤していた。
扉がノックされ、侍従が顔を出した。
「アルベルト殿下、貴族会議の準備が整いました」
「…すぐに参ります」
彼は立ち上がり、王冠を手に取った。これから先、何度この冠を被らなければならないのだろうか。そして、その度に妹のことを思い出すのだろうか。
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--- イザベラの計算
第一皇女イザベラ=ヴァルメリアは、自室で古い政治書を読んでいた。
22歳の彼女は、王族の中でも特に政治的洞察力に長けている。外交経験も豊富で、他国との関係についても深く理解していた。だからこそ、今回の決定が王国にもたらす影響を、誰よりも正確に予測できていた。
「愚かな判断ね」
彼女は本を閉じ、冷静に分析した。
リナの追放は、表面的には王妃派の勝利に見える。だが、長期的に見れば王家の結束を破綻させ、国民の信頼を失わせる可能性が高い。特に、庶民出身の母を持つリナへの共感は、一般民衆の間で高まるだろう。
「でも…」
イザベラは窓辺に歩み寄った。政治的現実として、今のタイミングでリナを守ることは不可能だった。王妃派の力が強すぎる上、アルベルトは即位したばかりで基盤が弱い。
「私にできることは…」
彼女は机の引き出しから、小さな革袋を取り出した。中には金貨が入っている。これならば、政治的な問題を起こすことなく、妹を支援できるだろう。
使用人を呼び、密かに指示を出した。
「これをカリナに渡してください。誰にも気づかれないように」
「承知いたしました、殿下」
使用人が去った後、イザベラは再び本を開いた。感情と政治を分離する術を、彼女は幼い頃から身につけていた。だが、今夜ばかりは、その術が完璧には機能しなかった。
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--- フェリックスの怒り
第二王子フェリックス=ヴァルメリアは、訓練場で剣を振るっていた。
20歳の彼は王族の中で最も自由奔放で、政治的な駆け引きを嫌っていた。だからこそ、今回の決定に対する怒りは純粋で激しかった。
「くそっ!」
練習用の人形を一刀両断にする。木屑が宙に舞い上がり、彼の怒りの激しさを物語っていた。
フェリックスにとって、リナは守るべき妹だった。彼女の静かな知性と優しさを、誰よりも理解していた。血統がどうであろうと、そんなことは関係ない。家族は家族なのだ。
「俺に王位継承権なんてなければ良かった」
彼は剣を鞘に納めると、決意を固めた。政治的には動けないが、個人としてできることはある。
近衛騎士の中で信頼できる者を思い浮かべた。ヴァルドという男がいる。彼は未開発地区の出身で、フェリックスが見出した優秀な剣士だった。
「ヴァルドを呼べ」
「はい、殿下」
付き従っていた従者が駆けて行く。フェリックスは窓から夜空を見上げた。
「リナ、俺は諦めない」
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--- セレスティアの決意
第二皇女セレスティア=ヴァルメリアは、涙に暮れながらも行動を起こしていた。
19歳の彼女は感情豊かで正義感が強く、政治的な計算よりも純粋な愛情で行動する。リナの追放が決まった今、彼女にできることは限られているが、それでも妹のために何かをしたかった。
「これを使って」
セレスティアは小さな魔法の護符を取り出した。それは彼女が得意とする魔法で作り上げた、追跡可能な特殊な道具だった。
カリナが密かに部屋を訪れていた。
「セレスティア殿下…」
「カリナ、これをリナに渡して」
護符を手渡しながら、セレスティアは必死に涙を堪えていた。
「この護符があれば、リナがどこにいても分かるの。もし危険があれば、すぐに助けに行ける」
「ありがとうございます、殿下」
カリナの瞳にも涙が浮かんでいた。
「それから…」
セレスティアは別の小包も差し出した。
「薬草と治療用の道具。リナの旅に必要になるはず」
「必ずお渡しいたします」
カリナが去った後、セレスティアはリナの部屋へ向かった。もう一度、直接話をしたかったのだ。
部屋の前で躊躇していると、中からリナの静かな声が聞こえてきた。
「入ってください、セレスティア」
扉を開けると、リナが荷造りをしていた。いつもの落ち着いた表情で、感情の波は見えない。
「リナ…」
「心配しないでください」
リナは微笑んで答えた。
「私は大丈夫です。むしろ、これは新しい始まりかもしれません」
「一緒に逃げよう」
セレスティアは衝動的に提案した。
「私も王城を出る。二人でどこか遠くへ…」
「ダメです」
リナは優しく首を振った。
「あなたには、ここでやるべきことがある。アルベルト兄様を支え、王国を守ってください」
「でも…」
「私は一人ではありません。カリナがいます。そして…」
リナは護符を見つめた。
「皆さんの想いも、一緒に持って行きます」
セレスティアは最後に、リナを強く抱きしめた。
「必ず、また会いましょう」
「ええ、きっと」
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四人の王族は、それぞれ異なる方法で、同じ妹への愛情を表現していた。政治的制約の中でも、血の絆は消えることはない。
そして、その絆こそが、やがてリナを支える力となることを、この時はまだ誰も知らなかった。
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