第3話「弔いの儀」
王城の大広間は、厳粛な空気に包まれていた。
高い天井から下がる巨大なシャンデリアの光が、黒い布で覆われた壁面を静かに照らしている。広間の中央には父王の棺が安置され、その周囲を色とりどりの花々が取り囲んでいた。だが、美しい装飾も、今日ばかりは悲しみの色に染まって見える。
リナ=ヴァルメリアは、他の皇族たちと共に棺の前に並んでいた。深い青の喪服に身を包んだ彼女の姿は、他の誰よりも静かで落ち着いて見えた。白銀の髪を後ろでまとめ、淡い金の瞳は父王の安らかな寝顔を見つめている。
隣に立つ兄姉たちの表情は、それぞれ異なる感情を物語っていた。
第一王子アルベルトは、王位継承の重圧に押し潰されそうな顔をしている。25歳という年齢にも関わらず、一夜にして背負うことになった責任の重さが、彼の肩を大きく下げていた。深く刻まれた眉間の皺が、内心の苦悩を物語っている。
第一皇女イザベラは、いつもの知的で冷静な表情を保っているが、よく見ると目の奥に憂慮の色が見えた。22歳の彼女は政治の機微に敏感で、父王の死が王国にもたらす変化を誰よりも理解していた。
第二王子フェリックスは、怒りを必死に押し殺そうとしているようだった。20歳の彼は兄弟の中でも最も感情豊かで、父王への愛情も深かった。だが今、その怒りは父王の死そのものではなく、別の何かに向けられているように見える。
第二皇女セレスティアは、19歳という年齢らしく、涙を堪えるのに必死だった。時折、リナの方を気遣うような視線を送っている。兄姉の中で、彼女だけがリナの置かれた状況を純粋に心配しているようだった。
一方で、参列者の中には明らかに敵意を向ける視線もあった。王妃派の貴族たちだった。彼らの冷たい視線が、まるで「場違いな存在」とでも言いたげにリナに注がれている。
グレゴール=バルトハウス侯爵の視線は、特に鋭かった。彼は表面上は弔いに相応しい厳粛な表情を浮かべているが、リナを見る目には計算高い光が宿っている。まるで、彼女の反応を観察し、何かを見極めようとしているかのように。
僧侶の読経が広間に響き渡る中、リナはそっと父王の棺に歩み寄った。他の参列者たちが見守る中、彼女は膝をつき、棺の縁にそっと手を置いた。
その瞬間、不思議なことが起こった。
リナの手の平から、微かな光が立ち上った。それはあまりにも淡く、ほとんど誰にも気づかれないほどのものだったが、確かに存在していた。
光と共に、リナの脳裏に映像が流れ込んできた。断片的で曖昧な映像だったが、それは確実に父王の記憶だった。幼い頃のリナを抱き上げている光景、母の死を悲しんでいる場面、そして最近の政治的な議論の一部。
『リナを守らねば…』
父王の想いが、まるで風のように彼女の心に流れ込んでくる。
『この子だけが…真の継承者…』
映像はそこで途切れた。リナは静かに手を引き、立ち上がる。表面上は何事もなかったかのように振る舞ったが、内心では驚きを隠せずにいた。
これが、夢で体験した古代の記憶と同じ現象なのか。父王から何かを「吸収」してしまったのか。
「リナ」
小さな声で呼びかけたのは、セレスティアだった。涙に濡れた瞳で、心配そうにリナを見つめている。
「大丈夫です」
リナは微かに微笑んで答えた。その笑顔には、いつもと変わらぬ穏やかさがあったが、セレスティアには妹の何かが変わったような気がしてならなかった。
儀式が進行する中、リナはカリナの緊張した表情に気づいた。侍女は広間の隅に控えているが、その灰青の瞳は絶えずリナを見守っている。左手の手袋が、わずかに震えているのも見えた。
やがて儀式が終わりに近づいた頃、グレゴール侯爵が前に出てきた。
「第三皇女殿下」
彼の声は表面上は丁寧だったが、底に冷たさを秘めている。
「儀式の後、別室でお話があります。重要な件ですので、必ずお越しください」
リナは静かに頷いた。
「承知いたしました」
その瞬間、兄姉たちの表情に変化が現れた。アルベルトはより深刻な顔になり、イザベラは眉をひそめた。フェリックスは明らかに怒りの色を見せ、セレスティアは不安そうに唇を噛んだ。
彼らは皆、グレゴールの言葉の裏にある意味を理解していた。これは単なる「お話」ではない。リナの運命を左右する重大な局面の始まりだった。
儀式が終わると、参列者たちは三々五々と広間を後にし始めた。リナは最後にもう一度父王の棺を見つめ、心の中で別れの言葉を告げた。
『お父様、私はどのような運命でも受け入れます。あなたが私に託してくださったものを、大切にいたします』
棺からは何の返答もなかったが、リナの手の平には、まだあの不思議な温もりが残っていた。それは父王からの最後の贈り物なのかもしれない。
カリナが静かに近づいてきた。
「お嬢様、心の準備を」
「ええ。参りましょう」
リナは振り返ることなく、運命の扉へと向かっていった。広間に残る花の香りが、彼女の後を追うように漂っている。それは、王女としての最後の記憶となるのかもしれなかった。
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