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第2話「記憶の混濁」


深夜の宿屋で、リナは再び奇妙な夢に襲われていた。


だが今回は、以前よりもはるかに鮮明で混乱に満ちていた。一つの夢ではなく、複数の人物の人生が同時に展開されているかのような感覚だった。


古代の神殿で祈りを捧げる女性錬金術師。戦場で傷ついた兵士たちを治療する宮廷薬師。砂漠の遺跡で古代文字を解読する学者。それらすべてが、まるでリナ自身の体験であるかのように感じられる。


『我らの記憶を受け継ぐ者よ』


複数の声が同時に響いた。


『汝もまた、同じ道を歩むのだ』


光景が切り替わった。今度は、リナと同じ白銀の髪を持つ少女が、薬草を調合している光景だった。だが、その少女の表情は絶望に満ちている。


『記憶を背負うことは、孤独を背負うことだ』


少女の声が聞こえた。


『やがて、汝は自分が誰なのかを見失うだろう』


---


リナは冷や汗をかいて目を覚ました。


心臓が激しく鼓動し、呼吸が乱れている。だが最も恐ろしいのは、夢の内容が夢だったのかどうか確信が持てないことだった。


「私は…リナ=ヴァルメリア」


自分の名前を呟いてみる。だが、その名前さえも、まるで他人のもののように感じられた。


「私は17歳で、第三皇女で、追放されて…」


記憶を辿ろうとするが、自分の人生の記憶と、夢で見た古代の人々の記憶が混在している。どれが本当の自分の経験なのか、判別が困難になっていた。


手の平を見つめると、光る線がより鮮明になっている。まるで古代の文字が刻まれているかのようだった。


「これは誰の手?」


自分の手を見ているはずなのに、まるで他人の手を見ているような錯覚に陥る。


その時、隣のベッドでカリナが身じろぎした。


「お嬢様?」


カリナが目を覚まし、リナの様子に気づいて慌てて起き上がった。


「どうなさいましたか。顔色が真っ青ですが」


「カリナ…私は、誰ですか」


「何を仰いますか。リナ=ヴァルメリア様でございます」


「本当に?」


リナの声が震えていた。


「私の記憶が、曖昧なのです。自分の人生なのに、まるで他人の人生を見ているような」


カリナは急いでリナの側に座った。


「お嬢様、私の手を握ってください」


温かな手の感触が、リナを現実に引き戻した。


「私はカリナです。10年間、お嬢様にお仕えしております」


「カリナ…」


「お嬢様は7歳の時にお母様を亡くされ、それから私がお世話をさせていただいております」


カリナが静かに話し続けた。


「お好きな花は白いバラ。苦手な食べ物は辛いもの。雷の音を聞くと、いつも少し怯えた表情をなさいます」


リナの瞳に、徐々に焦点が戻ってきた。


「そして、セドリック様のことを愛していらっしゃいます」


「セドリック…」


その名前を聞いた瞬間、混乱していた記憶が整理され始めた。深紅の瞳と漆黒の髪。優しい微笑み。最後の面会で交わした言葉。


「そうです。私は、セドリックを愛している」


「はい。そのお気持ちは、どのような記憶が混じろうとも、変わることはありません」


リナは深く息をついた。


「ありがとう、カリナ。あなたがいなければ、私は自分を見失っていたかもしれません」


「お嬢様は、お一人ではございません」


だが、カリナの表情には深い心配の色があった。これまでも、リナの様子の変化に気づいてはいたが、今夜のような混乱は初めてだった。


「お嬢様、最近、調合をされている時の様子が変わっています」


「どのように?」


「まるで、別の方が作業をしているかのような手つきになる時があります」


カリナの指摘は的確だった。


「そして、完成した薬の品質も、以前とは比べものにならないほど向上しています」


「それは、古代の錬金術師たちの記憶が混入しているからです」


リナが説明した。


「私の中に、過去の技術者たちの知識と経験が蓄積されている」


「それは素晴らしいことのように思えますが…」


「代償があります」


リナは窓辺に立った。


「彼らの記憶が増えれば増えるほど、私自身の記憶が薄れていくような感覚があります」


月光が部屋を照らし、リナの白銀の髪を美しく輝かせている。だが、その美しさの裏に、深い孤独が隠されていた。


「このまま進めば、いずれ私は『リナ』ではなく、『古代の記憶の集合体』になってしまうかもしれません」


「そのようなことは、させません」


カリナが立ち上がった。


「私が、お嬢様を『リナ様』として支え続けます」


「でも、カリナにできることには限界があります」


「いえ、他にも方法があるはずです」


カリナは考え込んだ。


「古代の記憶が混入するなら、それを制御する方法も古代に記されているのではないでしょうか」


リナの瞳に希望の光が宿った。


「そうですね。記憶継承の技術があるなら、それを制御する技術も存在するはず」


「明日、ドルフ師に相談してみましょう」


「はい」


リナは再びベッドに戻った。だが、すぐには眠れずにいた。


「カリナ、もし私が…本当に自分を見失ったら」


「その時は、何度でも思い出させて差し上げます」


カリナの声には、絶対的な忠誠と愛情が込められていた。


「お嬢様の本当のお名前、お好きなもの、大切な人々のこと。すべてを覚えております」


「ありがとう」


リナは小さく微笑んだ。


外では夜風が木々を揺らし、古代からの囁きのような音を立てている。記憶を継ぐ者の宿命は重いが、支えてくれる人がいる限り、希望を失うことはない。


だが、時間と共に記憶の混入は激しくなっていくだろう。それに対処する方法を見つけなければ、リナの人格は古代の記憶に飲み込まれてしまう。


朝が来れば、また新しい依頼と新しい記憶が待っている。その循環の中で、リナは自分自身を保ち続けることができるのだろうか。


カリナの寝息が規則正しく響く中、リナは複雑な想いで夜明けを待った。記憶を継ぐ者としての運命と、一人の人間としての尊厳。その両方を守り抜くための戦いが、静かに始まろうとしていた。


---


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