第2章第1話「薬師の評判」
クレストヒルの町に、リナの名声が響き始めたのは、ドルフ師との協働から3日後のことだった。
「リンさん、お忙しいところ申し訳ありません」
朝一番に宿屋を訪れたのは、町の有力商人ガードナーの使用人だった。上質な服装に身を包んだ中年の男性は、深々と頭を下げている。
「ガードナー様がぜひお会いしたいとのことで」
リナは朝食の手を止めて振り返った。
「どのようなご用件でしょうか」
「奥様のご病気の件です。長らく床に臥せっていらして、これまで多くの薬師の方にお願いしたのですが…」
男性の表情に深刻さが浮かんでいた。
「ドルフ師から、リンさんなら可能かもしれないとお聞きしまして」
カリナがリナと視線を交わした。既に複数の依頼を抱えているが、断る理由もない。
「分かりました。すぐに伺います」
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ガードナー邸は町の高級住宅街にあり、石造りの立派な建物だった。
「ありがとうございます、リンさん」
ガードナーは50代の貫禄ある男性で、町の商業組合の重鎮として知られている。だが今、その顔には深い心配の色が浮かんでいた。
「妻のエルザがもう2ヶ月も床に臥せっております」
寝室に案内されると、やつれた女性が横たわっていた。顔色は青白く、呼吸も浅い。
「症状をお聞かせください」
「高熱が続き、食欲もありません。時折、幻覚のようなものも見ると申します」
リナは患者の手首に触れ、脈を確認した。同時に、鑑定スキルを慎重に発動させる。瞳が一瞬だけ光ると、詳細な情報が頭に流れ込んできた。
「これは…毒草による慢性中毒症状ですね」
「毒草?」
ガードナーが驚いて声を上げた。
「しかし、エルザは薬草などには触れておりません」
「日常的に摂取している食品や薬はありますか」
「そういえば、美容のために特別な茶葉を取り寄せて…」
リナは茶葉のサンプルを見せてもらった。鑑定スキルで調べると、美容効果のある薬草に、微量の毒草が混入していることが判明した。
「この茶葉に問題があります。『紫陽花草』という毒草が混ざっていますね」
「そんな…信頼できる商人から購入したものですのに」
「おそらく、採取時に誤って混入したのでしょう。見た目が似ているので、間違えやすい組み合わせです」
リナは調合の準備を始めた。だが、薬草を手に取った瞬間、奇妙なことが起こった。
突然、別の人物の記憶が脳裏に浮かんだのだ。
『この組み合わせで解毒薬を作るのだ』
古代の錬金術師と思われる人物の声が聞こえ、手の動きが勝手に始まった。リナ自身の意識とは別の、熟練した技術が手を導いている。
「大丈夫ですか?」
カリナの心配そうな声で、リナは現実に戻った。気がつくと、完璧な解毒薬が完成している。
「ええ、問題ありません」
リナは動揺を隠しながら答えた。
「これを1日3回、5日間続けて服用してください」
薬を服用した夫人は、わずか30分で顔色が回復し始めた。
「信じられません…」
ガードナーが涙を浮かべて感謝を述べた。
「リンさん、これは奇跡です。お礼はどれほどお支払いすれば」
「適正な報酬で結構です」
だが、ガードナーは金貨10枚もの大金を差し出した。
「これでも足りないくらいです」
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その日の午後、今度は町の貴族デイトン子爵の使者が現れた。
「子爵様がお目にかかりたいとのことです」
デイトン邸はガードナー邸よりもさらに豪華で、まさに貴族の館といった佇まいだった。
「リンさん、お忙しい中をありがとうございます」
デイトン子爵は30代の知的な男性で、王都の政治にも関わりを持つ人物として知られていた。
「実は、私の持病についてご相談したいのです」
子爵の悩みは慢性的な頭痛だった。政務で忙しく、常に痛みに悩まされているという。
リナは再び鑑定スキルを使用した。すると、また古代の記憶が混入してきた。
今度は、宮廷薬師と思われる人物の技術だった。
『貴族の病には、身分に見合った薬を』
『ただし、真の治療は心の安寧から』
古代の記憶に導かれるまま、リナは特殊な調合を行った。薬効成分に加えて、精神を安定させる効果のある薬草を組み合わせる。
「これは…香りからして違いますね」
子爵が感嘆の声を上げた。
「宮廷薬師が作る薬のような上品な香りです」
服用後、子爵の表情が明らかに楽になった。
「素晴らしい。長年の苦痛から解放された気分です」
子爵は金貨15枚という破格の報酬を支払った。
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夕方、宿屋に戻ったリナを、興奮した様子の宿屋の主人が迎えた。
「リンさん、大変です!町中が話題でもちきりですよ」
「話題と申しますと?」
「『奇跡の薬師が現れた』って。ガードナーさんもデイトン子爵様も、リンさんのことを絶賛していらっしゃるそうで」
カリナが心配そうにリナを見つめた。
「お嬢様、あまり注目されすぎるのは危険では」
「そうですね」
リナも同感だった。だが、もっと気になることがある。
部屋に戻ると、リナは今日の出来事について考え込んだ。薬草を調合する際に現れた古代の記憶は、明らかに異常だった。
「私の中に、別の人の技術や知識が宿っている」
窓辺に立ち、手の平を見つめる。薄っすらと光る線が見える。
「これが、継承者としての力なのでしょうか」
だが、その力には代償があるようだった。古代の記憶が混入することで、自分のアイデンティティが曖昧になっていく感覚がある。
「カリナ」
「はい」
「もし私が、私でなくなったとしたら…」
「そのようなことはありません」
カリナが断言した。
「お嬢様は、どこまでもお嬢様です」
その夜、リナは複雑な気持ちで眠りについた。薬師としての成功は嬉しいが、それが古代の記憶に依存していることに不安を感じていた。
窓の外で夜風が木々を揺らし、まるで古い時代からの囁きのように響いている。記憶を継ぐ者としての運命が、確実に動き始めていた。
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