第12話「朝の別れ」
夜明けと共に、王城の正門が静かに開かれた。
リナ=ヴァルメリアとカリナは、手にした簡素な荷物と共に、石畳の上を歩いていた。朝の冷たい空気が頬を撫で、白い息が小さく立ち上る。
「お嬢様」
カリナが振り返った。
「本当に、このまま出発されるのですか」
「ええ」
リナは淡い金の瞳で正門を見つめた。
「約束の時間です」
だが、正門に近づいた時、意外な光景が待っていた。
「リナ」
小さな声で呼びかけたのは、セレスティアだった。第二皇女は早朝にも関わらず、正装で現れている。その手には小さな包みが握られていた。
「セレスティア…」
「これを」
セレスティアは急いで包みを差し出した。中には、昨夜完成させた追跡用の護符と治療用の薬草が入っている。
「必ず持っていて。もし何かあったら、私たちにも分かるから」
リナは包みを受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あと、これも」
今度はカリナに向かって、別の小包が渡された。イザベラからの資金だった。
「第一皇女殿下から、旅の資金としてお預かりしました」
カリナの瞳に涙が浮かんだ。
「恐れ入ります」
その時、正門の向こうから馬車の音が聞こえてきた。立派な装飾が施された馬車だったが、よく見ると御者の席にフェリックス王子の姿があった。
「兄様」
セレスティアが驚いて声を上げた。
「何をしているのですか」
「馬車の手配をした」
フェリックスが飛び降りてきた。
「どうせなら、最初の街まで楽に行けるようにと思ってな」
リナとカリナは呆然としていた。王子自らが御者を務めるなど、前代未聞のことだった。
「でも、そんなことをして大丈夫なのですか」
リナが心配そうに尋ねた。
「問題ない」
フェリックスは胸を張った。
「朝の散歩の途中で、偶然出会った旅人を乗せてやるだけだ」
カリナが感激して涙を拭った。
「皆様…」
「泣くのはまだ早い」
声をかけたのは、城楼の上からだった。見上げると、アルベルト第一王子の姿がある。彼は姿を現すことはなかったが、確実に見送りに来ていた。
「兄上…」
フェリックスが呟いた。
アルベルトは何も言わなかったが、右手を胸に当てて静かに敬礼した。それは、王族としての公式な見送りの儀礼だった。
リナは城楼を見上げ、深く一礼した。
「ありがとうございます、アルベルト兄様」
その時、イザベラも別の城楼から姿を現した。彼女もまた、右手を胸に当てて敬礼する。
「お元気で」
イザベラの声が、朝の静寂に響いた。
リナの瞳に、ついに涙が浮かんだ。感情を抑制することに慣れた彼女でも、この瞬間ばかりは心が震えていた。
「皆様…本当に…」
「さあ、出発しよう」
フェリックスが明るく声をかけた。
「いつまでも立っていると、王妃派の連中に見つかってしまう」
リナとカリナは馬車に乗り込んだ。座席は思いのほか快適で、長旅に配慮した装備が整えられている。
「準備はいいか」
フェリックスが御者席から振り返った。
「はい」
リナが答えると、馬車がゆっくりと動き始めた。
王城の正門を通り過ぎる時、リナは窓から振り返った。城楼に立つ兄姉たちが、まだ見送ってくれている。
「ありがとうございました」
小さく呟いた言葉は、風に乗って城の方へ飛んでいった。
馬車が王城から遠ざかるにつれて、建物は次第に小さくなっていく。だが、家族の想いは心の中に確実に残っていた。
「お嬢様」
カリナが隣に座りながら言った。
「素晴らしいご兄弟様方ですね」
「ええ」
リナは微笑んだ。
「私は、とても愛されていたのですね」
馬車の中で、セレスティアから受け取った護符がほんのりと温かくなっていた。それは、家族の絆が距離を超えて続いていることの証だった。
「フェリックス殿下」
リナが前方に声をかけた。
「どこまでお送りいただけるのですか」
「最初の街道の分岐点まで」
フェリックスが答えた。
「そこで、お前たちを信頼できる護衛に引き渡す」
「護衛?」
「ヴァルドという剣士だ。腕は確かだから安心しろ」
カリナとリナは顔を見合わせた。王族たちの支援は、想像以上に綿密に計画されていたのだ。
「でも、そこまでしていただいて…」
「家族だからだ」
フェリックスが振り返った。
「政治がどうであろうと、家族は家族だ」
リナの胸が温かくなった。追放されても、自分は決して一人ではない。愛する家族がいて、忠実なカリナがいる。
「カリナ、後悔はありませんか」
「どうしてそのようなことを」
カリナが驚いたように答えた。
「私にとって、お嬢様と共にいることが何よりの幸せです」
馬車は街道を順調に進んでいく。朝日が昇り始め、新しい一日の始まりを告げていた。
「これが、私たちの新しい人生の始まりですね」
リナが窓の外を見ながら言った。
「はい」
カリナが頷いた。
「どのような困難があっても、お嬢様と共になら乗り越えられます」
護符の温もりが、リナの心を支えていた。家族の愛と忠実な侍女の支え、そして愛する人の想い。それらすべてが、彼女を新しい未来へと導いている。
王城での生活は終わった。だが、本当の人生は、今まさに始まろうとしていた。
記憶を継ぐ者としての旅路が、静かに、しかし確実に始まっていく。朝の光に包まれた馬車と共に。
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