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第一章第1話「灰塵の皇女」


静寂に包まれた王城の夜が、突然の足音によって破られた。


石造りの廊下を駆ける音が響く中、リナ=ヴァルメリアは深い眠りから引き戻された。白銀の髪が枕に広がり、淡い金の瞳がゆっくりと開かれる。彼女の私室の扉が勢いよく開かれ、息を切らした従女の姿が現れた。


「お嬢様!お嬢様!」


カリナが血相を変えて駆け込んでくる。普段は落ち着いた灰青の瞳が、今は動揺で揺れていた。深い栗色の髪は乱れ、いつもなら完璧に整えられている侍女服も慌ただしさを物語っている。


リナは静かに上体を起こした。夜着の裾を整えながら、カリナの様子を冷静に観察する。彼女の左手には、いつものように手袋がはめられていた。その手袋が微かに震えているのを、リナは見逃さなかった。


「どうしたのです、カリナ」


「王様が…お父様が…」


カリナの声が震えている。言葉を続けようとするが、喉が詰まったようになって上手く出てこない。彼女は膝をつき、リナの足元で深く頭を下げた。


「お父様がどうなさったのですか」


リナの声に感情の波は見えない。まるで日常の出来事を尋ねるような、静かで落ち着いた口調だった。だが、その静けさの奥に、何かを察した緊張感が隠されている。


「崩御…されました」


カリナの言葉が、部屋の空気を一変させた。だが、リナの表情に大きな変化は現れない。ただ、瞳の奥で何かが静かに動いたような気がした。


「いつのことですか」


「今しがた…侍医の方が確認されて…」


カリナは顔を上げ、リナを見つめた。


「お嬢様、今すぐ逃げましょう。王妃派の方々が動き出します。このままでは…」


「カリナ」


リナは手を上げて制止した。


「まず、確認をしましょう。お父様の元へ参ります」


「しかし、お嬢様。もうお時間がありません。王妃派の貴族たちは既に…」


「それでも、娘として最期をお見送りするのが筋でしょう」


リナは立ち上がり、窓の外を見やった。夜明け前の薄暗い空に、王城の塔が黒いシルエットを描いている。遠くから、慌ただしい声と鐘の音が聞こえてきた。


「王城が騒がしいようですね」


「はい…既に第一王子様のもとに重臣たちが集まっているとの話です」


リナは机の上に目をやった。そこには、父王から譲り受けた古い錬金術書が置かれている。革装丁の表紙には、複雑な魔法陣が刻まれていた。


「この本も持参しましょう」


「お嬢様…」


カリナの声に心配が滲む。


「大丈夫です。私は何も間違ったことはしていません」


リナは錬金術書を手に取った。その瞬間、本がわずかに温かくなったような気がしたが、すぐにその感覚は消えた。


「お支度をしてください。お父様にお会いしてから、今後のことを考えましょう」


「承知いたしました」


カリナは立ち上がり、手際よくリナの着替えを準備し始めた。その動きには、侍女として長年培った技術だけでなく、緊急時における判断力の鋭さも見え隠れしていた。


リナは鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。そこには、昨夜まで第三皇女として生きていた少女の面影があった。だが、何かが変わろうとしている予感が、彼女の心の奥で静かに響いている。


「お嬢様、お召し物の準備ができました」


「ありがとう、カリナ」


リナは振り返り、差し出された衣服を受け取った。深い青の布地に銀糸の刺繍が施された、皇女にふさわしい装いだった。


「これが、この服を着る最後の機会になるかもしれませんね」


「お嬢様…そのようなことは…」


「現実を受け入れることから始めましょう」


リナは静かに微笑んだ。その笑顔には悲しみも怒りもなく、ただ運命を受け入れようとする静かな決意だけがあった。


着替えを終えたリナは、もう一度窓の外を見やった。東の空がわずかに明るくなり始めている。新しい一日の始まりだった。だが同時に、彼女にとっては古い生活の終わりでもあった。


「参りましょう、カリナ」


「はい、お嬢様」


二人は部屋を出た。廊下には、既に他の使用人たちの慌ただしい足音が響いている。王の死という大事件が、王城全体を混乱に陥れていた。


リナの足音だけは、その混乱の中でも静かで規則正しかった。まるで、これから始まる嵐の中心で、ひとり冷静さを保とうとしているかのように。


「お嬢様、心の準備はよろしいですか」


歩きながらカリナが問いかけた。


「ええ。どのような運命であろうと、受け入れる覚悟はできています」


リナの言葉には、17歳の少女とは思えない落ち着きがあった。だが、その落ち着きの裏に、まだ気づかぬ力が眠っていることを、この時の彼女は知るよしもなかった。


王の死が告げられた夜明け前の王城で、第三皇女リナ=ヴァルメリアの新たな物語が、静かに幕を開けようとしていた。


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