第18話「夜の記憶」
深夜の宿屋は静寂に包まれていた。
リナは浅い眠りの中で、奇妙な夢を見ていた。いや、夢というには余りにも鮮明で、現実感を伴っている光景だった。
石造りの実験室で、一人の錬金術師が薬草を調合している。その人物の顔は見えないが、手の動きは驚くほど熟練している。まさに今日、リナが森で薬草を採取した時と同じような手つきだった。
『記憶は血に刻まれる』
どこからか声が響いた。錬金術師が振り返ると、そこにはリナと同じ白銀の髪を持つ女性の姿があった。
『継承者よ、我らの知識を受け取れ』
光景が変わった。今度は古代の神殿のような場所で、複数の人影が円を描いて立っている。彼らの手には、様々な薬草や鉱石が握られていた。
『鑑定の力は、真実を見抜く』
『だが、その代償として、汝は多くの記憶を背負うことになる』
中央に立つ人物が、リナに向かって手を差し伸べた。その瞬間、膨大な知識が一気に流れ込んできた。
薬草の特性、鉱石の性質、古代の調合法、そして…死者たちの最期の記憶。
戦場で命を落とした兵士の痛み、病気で苦しんだ患者の絶望、愛する者を失った悲しみ。それらすべてが、リナの心に重くのしかかってくる。
『これが、吸収の力の本質だ』
声が続いた。
『汝は死者の記憶と共に生きることになる。その孤独に耐えられるか』
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リナは汗をかいて目を覚ました。
心臓が激しく鼓動し、呼吸が荒くなっている。隣のベッドで眠るカリナを起こさないよう、静かに起き上がった。
窓辺に歩み寄り、夜空を見上げる。星々が静かに瞬いているが、その光さえも、今は何か違って見えた。まるで、古い記憶の断片が星の光に重なって見えるかのように。
手の平を見つめると、微かに光る線が浮かび上がっていた。それは今日、鑑定スキルを使った時に現れたものと同じだった。
「これが…私の力」
小さく呟いた瞬間、別の記憶の断片が脳裏を過った。
砂漠の遺跡で、一人の男性が古い石版を解読している光景。彼もまた、リナと同じような光を手に宿していた。
『記憶の海に辿り着けば、すべての真実が明かされる』
男性の声が聞こえた。
『だが、その前に多くの試練を乗り越えねばならぬ』
記憶の断片は、そこで途切れた。だが、リナの心には確信めいたものが生まれていた。自分の旅の最終的な目的地は、その「記憶の海」と呼ばれる場所なのだろう。
「お嬢様」
カリナの声で振り返ると、侍女が心配そうにこちらを見ていた。
「お目覚めになったのですね。何かあったのでしょうか」
「夢を見ていました」
リナは窓辺から離れ、ベッドに戻った。
「古い記憶のような夢を」
「記憶…ですか」
カリナが身を起こした。
「はい。まるで、昔の錬金術師たちの体験を追体験しているような」
リナは手の平の光る線を見つめた。
「私の中に、何かが宿り始めているようです」
「それは…危険なことなのでしょうか」
カリナの声に不安が滲んでいた。
「分かりません」
リナが正直に答えた。
「ただ、これが私の運命なのでしょう」
彼女は父王の書斎で読んだ古代文献の内容を思い出していた。記憶の継承についての記述があったはずだ。
「カリナ、もし私が…普通でなくなったとしても、見捨てないでください」
「何を仰いますか」
カリナが驚いたように答えた。
「お嬢様がどのようになられても、私は傍にいます」
「ありがとう」
リナは微笑んだが、心の奥では不安が募っていた。古代の記憶が混入することで、自分のアイデンティティが曖昧になっていくのではないか。
窓の外で、夜風が木々を揺らしている。その音が、まるで古い時代からの囁きのように聞こえた。
『恐れることはない』
風の音に混じって、声が聞こえたような気がした。
『汝は一人ではない。我らの記憶と共に歩むのだ』
リナは再びベッドに横になったが、なかなか眠りにつけずにいた。頭の中で、様々な時代の記憶が断片的に浮かんでは消えていく。
薬草を調合する手、古代文字を解読する瞳、魔法陣を描く指先。それらすべてが、まるで自分の体験であるかのように鮮明だった。
「これが、継承者としての運命…」
呟いた時、ようやく眠気が襲ってきた。だが、その眠りもまた、新たな記憶の断片で満ちているのだろう。
朝が来れば、また日常が始まる。ギルドでの依頼、薬草の採取、人々との交流。だが、その日常の裏で、古代からの記憶が静かに蓄積され続けている。
リナの旅は、単なる追放からの逃避行ではない。それは、過去と現在、そして未来を繋ぐ壮大な継承の物語なのだった。
深夜の静寂の中で、記憶を継ぐ者の真の覚醒が始まっていた。星空の下、新たな運命への扉が静かに開かれようとしている。
カリナの寝息が規則正しく響く中、リナは古代からの記憶と共に、再び眠りについた。明日もまた、新しい発見と新しい記憶が待っているのだろう。
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