第15話「最初の町」
街道の分岐点で、リナとカリナはフェリックスと別れを告げた。
「ここからは徒歩になる」
フェリックスが馬車から荷物を下ろしながら言った。
「ヴァルドとは次の町で合流する手筈になっている」
「本当にありがとうございました」
リナが深く頭を下げると、フェリックスは苦笑いを浮かべた。
「礼なら、元気な姿を見せることで十分だ」
彼は馬車に戻ると、手綱を取った。
「達者でな、リナ」
「はい。兄様もお元気で」
馬車が去っていく後ろ姿を見送った後、リナとカリナは歩き始めた。二人だけの旅路の始まりだった。
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夕方、街道沿いの小さな町に到着した。
バーレンと呼ばれるその町は、商人や旅人が行き交う中継地点として栄えていた。石造りの建物が立ち並び、メインストリートには様々な店舗が軒を連ねている。
「宿屋を探しましょう」
カリナが提案した。
「はい。でも、あまり目立たない場所が良いですね」
リナは外套のフードを深く被り直した。まだ王城から近い場所では、第三皇女として認識される危険があった。
町の中心部から少し離れた場所で、「旅人の宿」という看板を見つけた。建物は古いが清潔そうで、宿代も手頃な様子だった。
「いらっしゃいませ」
宿屋の主人は50代の男性で、人の良さそうな笑顔を浮かべていた。
「お部屋をお探しですか?」
「はい。二人部屋を一つお願いします」
カリナが代わりに答えた。
「かしこまりました。お名前は?」
「リン」
リナが偽名を使った。
「リンと申します。こちらは侍女のカリナです」
「リンお嬢様ですね。どちらからいらしたので?」
「王都の方から」
「そうですか。王都は今、大変なことになっているとか」
主人の何気ない言葉に、リナの心臓が跳ね上がった。
「大変なことと言いますと?」
「王様が崩御されたそうで。それに第三皇女様が追放されたとかいう話も聞きますが…」
リナとカリナは顔を見合わせた。噂はもう、ここまで届いているのだ。
「そうですか…」
リナは平静を装って答えた。
「政治のことは、私たちには関係ありませんから」
「そうですね。庶民には庶民の生活がありますからな」
主人は鍵を渡しながら、親しみやすい口調で続けた。
「お食事はいかがなさいますか?ウチの女房の料理は評判なんですよ」
「お願いします」
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部屋に荷物を置いた後、二人は食堂に向かった。
木製のテーブルと椅子が並ぶ素朴な空間で、数組の客が食事をしている。商人らしき男性、職人風の夫婦、そして旅装の若い男性の姿があった。
「こちらへどうぞ」
主人の妻と思われる女性が、窓際のテーブルに案内してくれた。運ばれてきた料理は、パンと野菜のスープ、それに肉の煮込み料理だった。
「美味しいですね」
リナが感想を述べると、女性は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。お嬢様は上品な方ですね」
「そんなことはありません」
リナが謙遜すると、隣のテーブルの商人が話しかけてきた。
「お嬢さん、どちらまで?」
「南の方へ」
リナが曖昧に答えると、商人は頷いた。
「南なら、街道が整備されているから安全ですよ。ただし、未開発地区の方は避けた方がいい」
「未開発地区?」
「ああ、知りませんか?王国の南東部にある、まだ開発が進んでいない地域です。魔物も多いし、ギルドの管理も行き届いていない」
リナの心に、かすかな興味が芽生えた。未開発地区という響きに、なぜか惹かれるものがあった。
「でも、最近はそこも変わってきているとか」
職人風の男性が会話に加わった。
「新しい管理者が赴任したそうで、開発が進み始めているらしい」
「へえ、そうなんですか」
リナが相槌を打つと、男性は続けた。
「侯爵家の次男坊らしいですが、なかなか有能な方だとか」
カリナがテーブルの下で、リナの手をそっと握った。セドリックのことかもしれない、という無言のメッセージだった。
食事を終えた後、二人は部屋に戻った。
「お嬢様」
カリナが小声で言った。
「先ほどの話、もしかして…」
「セドリックのことかもしれませんね」
リナが頷いた。
「でも、今は確認する術がありません」
窓の外を見ると、町には夜の静寂が訪れていた。街灯が温かな光を放ち、平和な夜景が広がっている。
「初めて、一般の方々と同じ宿に泊まりました」
リナが呟いた。
「どのようなお気持ちですか」
「不思議と、落ち着きます」
リナは微笑んだ。
「皆さん、とても温かくて。これが、本当の人々の暮らしなのですね」
「はい。お嬢様にとって、良い経験になることでしょう」
その時、廊下から足音が聞こえてきた。誰かが階段を上がってくる音だった。
「新しい客のようですね」
カリナが呟いた。
足音は彼女たちの部屋の前で止まった。そして、隣の部屋の扉が開く音がした。
「明日は、どちらへ向かいましょうか」
「南へ進みましょう」
リナが答えた。
「できれば、ギルドのある町まで」
「承知いたしました」
二人はベッドに入ったが、リナはなかなか眠れずにいた。今日一日で体験した新しい世界のことが、頭の中を巡っている。
宿屋の人々の温かさ、他の客との何気ない会話、そして初めて知る庶民の暮らし。すべてが新鮮で、同時に心地よかった。
「これが、私の新しい人生なのですね」
小さく呟いた言葉は、暗闇の中に静かに消えていった。
王女としての人生から、一人の旅人としての人生へ。リナの真の物語が、静かに始まろうとしていた。窓の外で夜風が頬を撫でていく。それは、新しい世界への第一歩を祝福しているかのようだった。
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