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第10話「セドリックの苦悩」


セドリック=ローゼンの私室は、深い静寂に包まれていた。


机の上には、父ヴァイオレット=ローゼン侯爵からの手紙が置かれている。蝋燭の炎に照らされた羊皮紙の文字は、まるで彼の心を責め立てるかのように見えた。


『家門の存続のため、時には厳しい選択が必要となる。個人の感情に惑わされることなく、大局を見よ。第三皇女との関係を断ち、ローゼン家の未来を守れ』


セドリックは手紙を握りしめた。21歳の騎士は、これまで父の教えに従って生きてきた。だが今回ばかりは、どうしても納得できなかった。


「大局だと?」


彼は立ち上がり、窓の外を見やった。王城の庭園が月光に照らされ、静かに佇んでいる。あそこは、リナと初めて出会った場所でもあった。


---


3年前の春のことだった。新任の騎士として王城に仕えることになったセドリックは、庭園で一人の少女と出会った。


薬草を採取している彼女の姿は、他の王族とは明らかに違って見えた。華美な装飾品は身につけず、実用的な服装で、真剣に植物を観察している。


「その薬草は、傷の治療に使われるものですね」


セドリックが声をかけると、少女は顔を上げた。白銀の髪に淡い金の瞳。美しいが、それ以上に聡明さが印象的だった。


「ご存知なのですか」


「騎士の訓練で少し学びました」


「そうですか。でしたら、これはいかがでしょう」


少女は別の薬草を指差した。


「この組み合わせで調合すると、治療効果が格段に向上します」


セドリックは驚いた。それは高度な薬草学の知識だった。


「恐れ入りますが、お名前を…」


「リナです。リナ=ヴァルメリア」


第三皇女だと知った時、セドリックはさらに驚いた。王族でありながら、これほど実用的な知識を身につけている人がいるとは思わなかった。


それが、二人の関係の始まりだった。


---


回想から戻ったセドリックは、首筋に手を当てた。そこには古い傷跡がある。それは訓練中についた傷ではない。


2年前、セドリックは禁忌とされる古代の封印術を独学で習得していた。リナの研究を手伝ううちに、彼もまた古代の知識に魅力を感じるようになったのだ。


だが、封印術の修練中に暴走が起こった。制御を失った力が彼の首筋を傷つけ、一時は生命も危険な状態だった。


その時、リナが彼を救ってくれた。彼女の錬金術と看病により、セドリックは命を取り留めることができた。


「君がいなければ、私は死んでいた」


回復した時、セドリックが感謝を込めて言うと、リナは静かに微笑んだ。


「お互い様です。あなたも、私の研究を支えてくださっているのですから」


その瞬間、セドリックは気づいた。自分がリナを愛していることに。


---


机の上の手紙に目を戻すと、父の厳しい言葉が目に入った。


『ローゼン家は代々王室に仕える名門だ。だが、第三皇女は政治的に不安定な存在となった。彼女との関係を続ければ、我が家も危険に晒される』


セドリックは拳を握りしめた。父の言うことは、政治的には正しいのかもしれない。だが、愛する人を見捨てることなど、どうしてできるだろうか。


引き出しから、別の書物を取り出した。それは古代の封印術について記された文献だった。リナとの研究の中で見つけたものだ。


「封印の力は、存在そのものを閉じる」


古代の文字で書かれた一節を読み上げる。


「使用者は孤独を背負うが、同時に大切なものを守る力を得る」


この力があれば、リナを守ることができるかもしれない。だが、封印術には恐ろしい副作用があった。使用するたびに、使用者の存在感が薄くなっていくのだ。


「孤独になってもかまわない」


セドリックは文献を閉じた。


「リナを守れるなら」


扉がノックされ、従者が顔を出した。


「セドリック様、お父様がお呼びです」


「分かった。すぐに参る」


セドリックは立ち上がった。父との対決の時が来たのだ。


---


ヴァイオレット侯爵の書斎は、威厳に満ちていた。50代の男性は、息子を見据えながら口を開いた。


「手紙は読んだか」


「はい」


「それで、決意は固まったか」


セドリックは真っ直ぐ父を見つめた。


「申し訳ありませんが、お従いできません」


ヴァイオレットの表情が厳しくなった。


「理由を聞こう」


「リナ様を愛しているからです」


「愛だと?」


父の声に軽蔑が混じった。


「愛で家門が守れるか。愛で食べていけるか」


「分かっています。ですが…」


「だが何だ」


「愛する人を見捨てて得る地位など、私には必要ありません」


ヴァイオレットは深く息をついた。


「お前は若い。理想ばかりで現実が見えていない」


「現実は承知しています。それでも、私の気持ちは変わりません」


「そうか」


父は立ち上がった。


「ならば、お前は息子ではない。勝手にするがいい」


「父上…」


「去れ」


セドリックは深く頭を下げた。


「申し訳ございませんでした」


書斎を出る時、父の声が聞こえた。


「後悔するぞ、セドリック」


「いえ」


セドリックは振り返らずに答えた。


「後悔するのは、愛を捨てた時です」


---


自室に戻ったセドリックは、古代文献を再び開いた。明日の朝、リナが王城を出る。その前に、彼女に会いたかった。


そして、封印術の研究を完成させる必要があった。リナを守るために。


「愛を選ぶ」


セドリックの決意は固かった。家門との関係が断たれようとも、騎士としての地位を失おうとも、彼は愛する人と共に歩む道を選んだのである。


首筋の傷跡が、かすかに疼いた。それは、これから背負うことになる運命の重さを物語っているかのようだった。


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