プロローグ
--- 王の最期
深夜の王城に、死の気配が漂っていた。
石造りの廊下を駆ける足音が、静寂を破って響く。リナ=ヴァルメリアは息を切らしながら父王の私室へと向かった。栗色の髪を低く結ったカリナが、血相を変えて彼女を起こしに来たのは、つい先ほどのことだった。
「お父様が…王様が…」
震える声で告げられた言葉の重みを、リナは静かに受け止めていた。白銀の髪が夜風に揺れ、淡い金の瞳には感情の波が見えない。それは彼女が幼い頃から身につけた、感情を内に秘める術だった。
王の私室の扉が開かれると、重苦しい空気がリナを包み込む。部屋の中央に置かれたベッドの上で、父王ハルヴァルド=ヴァルメリアが浅い呼吸を繰り返していた。かつて王国を統べた威厳ある姿は既になく、そこには一人の老いた男性の姿があるだけだった。
「リナ…」
かすれた声が、静寂を破った。父王の瞳がゆっくりと開かれ、娘の姿を捉える。
「お父様」
リナはベッドサイドに歩み寄り、膝をついた。父王の手は氷のように冷たく、生命の炎が今にも消えそうに弱々しく震えている。
「お前だけが…」
父王の唇が動く。言葉を紡ぐのも困難な様子で、息を整えながら続けた。
「真の血を…受け継いで…」
「お父様、お疲れでしょう。お話はまた今度に」
リナは優しく制止しようとしたが、父王は必死に首を振る。
「いや…これだけは…伝えておかねば…」
父王の手がリナの手を掴んだ瞬間、不思議なことが起こった。父王の掌から微かな光が漏れ始め、それがリナの手に移っていく。光は暖かく、まるで長い間失われていた記憶が蘇るような感覚をもたらした。
リナの脳裏に、断片的な映像が流れ始める。古い石造りの建物、魔法陣が描かれた床、そして誰かが何かを必死に隠そうとしている光景。映像はあまりにも鮮明で、まるで自分がその場にいたかのような錯覚に陥る。
「記憶は…風のように流れるもの…だが…」
父王の声が遠くなっていく。
「真実は…血に刻まれる…」
光が次第に弱くなり、父王の呼吸が浅くなる。リナは慌てて父の手を強く握った。
「お父様、まだ話していないことがたくさんあります。セドリックとの婚約のこと、これからの王国のこと…」
「セドリック…良い男だ…だが…」
父王の瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿る。
「この血筋の重荷を…背負わせるのは…」
言いかけた言葉は、そのまま宙に消えた。父王の手から力が抜け、静寂が部屋を支配する。
朝の光が窓から差し込み始めた頃、ハルヴァルド王は静かに息を引き取った。リナは父の手を握ったまま、動かずにいた。涙は流れない。ただ、先ほど感じた不思議な光の感覚だけが、手の平にうっすらと残っている。
「お嬢様…」
カリナが震え声で声をかけた。
「お父様は、何を伝えようとしていたのでしょう」
リナは静かに呟いた。父王の最期の言葉、手から伝わった光、そして脳裏に浮かんだ謎めいた映像。それらすべてが、これから始まる運命の歯車を静かに回し始めていることを、この時のリナはまだ知らずにいた。
「真の血を受け継いだ者として」という父王の言葉が、彼女の心に深く刻まれていく。その意味を理解するには、まだ時間が必要だった。だが、確実に言えることがひとつあった。昨日までの第三皇女リナ=ヴァルメリアは、この瞬間に終わりを告げたのである。
カリナが部屋の奥から静かに歩み寄り、リナの肩にそっと手を置く。
「お嬢様、お疲れでしょう。少しお休みになってください」
「いえ、大丈夫です」
リナは立ち上がり、最後にもう一度父王の穏やかな寝顔を見つめた。彼女の瞳に、ほんの一瞬だけ悲しみの色が浮かんだが、すぐに静寂な表情に戻る。
「これから王城が慌ただしくなります。心の準備をしておきましょう」
その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。王の死を知った者たちが駆けつけてくるのだろう。リナは深く息を吸い、これから訪れる嵐に備えて心を整えた。
手の平に残る微かな光の記憶だけを胸に、新たな運命への扉が、静かに開かれようとしていた。
--- 古代の記憶
深い眠りの中で、リナは夢を見ていた。
いや、夢というには余りにも鮮明すぎる光景だった。まるで自分がその時代、その場所に実在していたかのような感覚で、古い記憶が彼女の意識に流れ込んでくる。
石造りの神殿が眼前に広がっていた。天井は遥か高くに聳え、壁面には複雑な魔法陣が無数に刻まれている。神殿の中央には巨大な祭壇があり、その周囲を白い衣を纏った人々が取り囲んでいる。彼らの顔は霞んで見えないが、その存在感だけは確かに感じられた。
『継承者よ』
声が響いた。どこから聞こえてくるのかわからない、性別も年齢も不明な声。だが、その響きには古い知恵と深い悲しみが込められている。
『汝は王家の血を継ぐ者』
祭壇の上に、一人の女性が横たわっていた。彼女もまた白銀の髪を持ち、リナと同じ淡い金の瞳をしている。女性の手からは淡い光が立ち上り、それが祭壇全体を包み込んでいく。
『我らが背負いし重荷を、汝もまた背負わねばならぬ』
光景が変わった。今度は戦場だった。魔法と剣が入り乱れる中で、一人の男性が敵兵に囲まれている。男性は片手を地面に触れ、何かを吸収しているように見えた。死んだ兵士たちから立ち上る光が、彼の体に流れ込んでいく。
男性の表情は苦悶に歪んでいた。力を得ると同時に、何か耐え難い重荷をも背負っているかのように。
『吸収の力は、記憶をも取り込む』
声が続いた。
『死者の痛み、絶望、怒り…すべてが汝の内に蓄積される』
再び光景が変わる。今度は静かな部屋だった。年老いた王が、幼い子供に手を置いている。子供の体が光に包まれ、王から何かが移されていく。
『譲渡の時が来れば、汝の命もまた削られるであろう』
王は譲渡を終えると、急速に老いていった。髪は白くなり、背は曲がり、やがて光の粒子となって消えていく。残された子供は泣くことなく、ただ静かに王の最期を見つめていた。
『これが我らの宿命…血脈に刻まれた使命』
声に重なって、無数の記憶の断片がリナの意識に流れ込んできた。
歴代の王族たちが背負った孤独。愛する者を失う痛み。記憶を吸収するたびに増していく精神的負荷。そして最後に待つ、命を削る譲渡の儀式。
『恐れることはない』
声は優しく響いた。
『汝は一人ではない。我らの記憶が、常に汝と共にある』
神殿の光景に戻った。祭壇の女性がゆっくりと起き上がり、リナの方を向く。その瞬間、女性の顔がはっきりと見えた。それは、リナ自身の顔だった。
『記憶は風のように流れる…だが、真実は血に刻まれる』
父王の最期の言葉が、古代の声と重なって響く。
『汝の旅路は険しい。だが、その先に必ず光がある』
光が次第に強くなり、すべてが白い光に包まれていく。だが消える直前、最後の映像が見えた。
双子の子供たちが、リナに向かって手を伸ばしている光景。子供たちの瞳には希望の光が宿り、その表情は穏やかだった。
『汝が紡ぐ未来のために』
声が遠ざかっていく。
『記憶を受け取れ、継承者よ』
---
リナは静かに目を覚ました。
朝の光が窓から差し込み、昨夜の出来事が現実であったことを告げている。だが、夢の中で見た光景は、単なる幻想以上の重みを持っていた。
右手を見つめる。手の平に、うっすらと光の痕跡が残っている。それは父王の手から伝わったものと同じ、暖かな光だった。
「古代の記憶…」
リナは小さく呟いた。夢で見た光景が、単なる夢ではなく、血脈に刻まれた真実の記憶であることを、彼女は直感的に理解していた。
カリナが部屋の扉を軽くノックする音が聞こえた。
「お嬢様、朝食の準備が整いました」
「すぐに参ります」
リナは立ち上がり、窓の外を見つめた。王城の庭園が朝の光に照らされ、いつもと変わらぬ平和な光景が広がっている。だが、昨夜を境に、リナの世界は根本から変わってしまった。
「吸収と譲渡…」
父王が言いかけた「血筋の重荷」の意味が、少しずつ理解できるようになってきた。そして、夢の最後に見た双子の姿。あれは予知なのか、それとも希望なのか。
手の平の光がかすかに脈打つ。まるで、リナの心臓と同じリズムで。
「継承者…」
その称号の重みを、リナは静かに受け入れようとしていた。父王から受け継いだものが何であれ、それは彼女の運命なのだろう。
鏡の前に立ち、いつものように髪を整える。外見は昨日と何も変わらない。だが、瞳の奥に宿る光が、わずかに違って見えた。それは、古い記憶の重みを背負った者だけが持つ、深い輝きだった。
「お嬢様?」
カリナの心配そうな声が廊下から聞こえる。
「今、参ります」
リナは最後にもう一度手を見つめ、そっと握りしめた。光の痕跡が静かに息づいている。これから始まる新たな運命への、確かな証として。
古代の記憶を胸に、第三皇女リナ=ヴァルメリアの朝が始まった。だが、それが王城で過ごす最後の平穏な朝になることを、彼女はまだ知らずにいた。
記憶の継承者としての道のりは、既に静かに始まっていたのである。
--- 陰謀の始動
王の死から三日が経った深夜、王城の一角にある重厚な扉の向こうで、密談が行われていた。
グレゴール=バルトハウス侯爵の私室。部屋の奥には古代の遺物が安置され、壁には王国の政治史を物語る肖像画が並んでいる。だが今夜、この部屋に集まった者たちの関心は、歴史ではなく未来へと向けられていた。
「諸君、時は来た」
グレゴールが重々しく口を開いた。彼の前には、王妃派の中枢を担う貴族たちが円卓を囲んで座っている。燭台の炎が彼らの顔を不気味に照らし出し、陰謀の匂いが部屋に漂っていた。
「ハルヴァルド王の崩御により、王国は新たな時代を迎える。だが、我々が看過できない問題がひとつある」
グレゴールは手元の古い羊皮紙を取り上げた。それは王家の系譜を記した古文書で、代々の王家が極秘に保管してきたものだった。
「第三皇女リナ=ヴァルメリアの処遇についてである」
「彼女など、ただの庶民の血を引く娘ではないか」
円卓の一角から声が上がった。中年の男爵が軽蔑するような表情を浮かべている。
「母親は市井の出身。王族としての価値などない」
「愚かな」
グレゴールは冷たく一喝した。
「諸君は王家の真実を知らぬ。この古文書を読んでみるがいい」
彼は羊皮紙を広げ、指で特定の部分を示した。古い文字で綴られた文章には、王家の血脈に関する秘密が記されている。
「『王家の血には古の力が宿る。継承者は死者の記憶と力を吸収し、必要に応じて他者に譲渡する能力を持つ』」
室内が静寂に包まれた。貴族たちの表情が、軽蔑から困惑、そして恐怖へと変わっていく。
「『この力は血の濃さに比例し、純血に近いほど強大となる。しかし同時に、継承者の精神に大きな負荷をもたらす』」
グレゴールは続けた。
「第三皇女の母君は確かに市井の出身だ。だが、実は古い王家の分家の血を引いている。つまり、彼女の血は我々が思っている以上に濃いのだ」
「それが事実だとして」
別の貴族が震え声で問うた。
「我々にとって、それは脅威なのか、それとも利用価値があるのか?」
グレゴールの唇に、薄い笑みが浮かんだ。
「両方だ」
彼は立ち上がり、部屋の奥へと歩いていく。そこには、古代の遺物が安置されていた。黒い石でできた小さな祭壇のような物体で、表面には複雑な魔法陣が刻まれている。
「この『記憶の石』は、古代王国から受け継がれた至宝のひとつだ。禁忌の力を持つ者の記憶を蓄積し、増幅させる効果がある」
グレゴールが遺物に手を近づけると、石は微かに光を放った。
「もし第三皇女の力を制御できれば、我々は古代の知識と技術を完全に手中に収めることができる。だが…」
彼の表情が厳しくなった。
「制御に失敗すれば、王国そのものが危険に晒される。彼女の力は、それほどまでに強大なのだ」
「では、どうする?」
「処分するか?」
「いや、それは危険すぎる」
貴族たちが口々に意見を述べるが、グレゴールは手を上げて制止した。
「結論はこうだ。第三皇女は追放する。王城から遠ざけることで、我々は安全を確保し、同時に彼女の動向を監視する」
「追放だけで十分なのか?」
「今はそれで良い」
グレゴールは記憶の石を見つめながら答えた。石は彼の思考に反応するかのように、さらに強く光っている。
「彼女が力に覚醒したとき、我々は選択を迫られるだろう。利用するか、永遠に封じるか」
彼は振り返り、円卓の貴族たちを見回した。
「諸君の役目は、第三皇女の追放を正当化することだ。血統の不純さを理由にすれば、誰も異を唱えまい」
「承知した」
「王妃派としての結束を示すときだ」
貴族たちが立ち上がり、密談は終わりを告げた。だが、グレゴール一人は部屋に残り、記憶の石を見つめ続けていた。
石からの光が次第に強くなっている。まるで、どこか遠くにいる禁忌の力の持ち主と共鳴しているかのように。
「リナ=ヴァルメリア…」
グレゴールは名前を呟いた。
「お前の真価を、じっくりと見極めさせてもらおう」
記憶の石が一際強く光った瞬間、グレゴールの脳裏に映像が浮かんだ。古代の神殿、祭壇の上の女性、そして継承の儀式。それは、遥か昔に王家が行っていた禁忌の ritual の記憶だった。
「やはり…覚醒が始まっている」
彼の瞳に、欲望と恐怖が同時に宿る。
「第三皇女よ、お前は我々にとって最大の脅威であり、最高の宝でもある。だからこそ…」
グレゴールは記憶の石に手を置いた。石は彼の思考を読み取り、さらなる古代の記憶を呼び起こす。
「完全に制御するまで、決して油断はできぬ」
燭台の炎が風に揺れ、部屋に長い影を作り出した。王城の暗雲は、静かに、しかし確実に広がり始めていた。そして、その暗雲の中心には、まだ自分の運命を知らぬ一人の皇女がいるのだった。
記憶の石が最後に強く光ると、グレゴールの表情に冷酷な決意が浮かんだ。追放は始まりにすぎない。真の戦いは、これから始まるのである。
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プロローグってこんな感じでしょうか?
?((('ω' 三 'ω')))?
大雑把な物語3話一挙公開させて頂きました。ここからが本編第1章の始まりです。実際作成した自分もちょっと悲しくなりそうなそんなストーリー。なので各章の何処かにスッキリしたくなる「ざまぁ」要素を加えています。そんな『余命RPG』的な物語、末永く読んでくれたらそれが原動力になりますのでこれから宜しくです
(ᴗ͈ˬᴗ͈⸝⸝)
碧衣