4-5 青い瞳に映る
「奇襲だと?」
クシロス地方の枯れた森から東——リトロン砦。
伝令の報告を受け、聖巫教の副官が、目を見開いた。
「動きも位置も、正確に掴まれていたというのか!?」
「ロルフ隊長の指揮のもと、反撃を行っていますが、敵は多数。早急に援軍を……!」
「援軍?」
伝令兵の言葉を遮るように、司令官が冷ややかに呟いた。
彼は冷静に机上の地図を指差し、野営地と砦の距離を示す。
「今動けば、砦が手薄になり攻め込まれるかもしれん。援軍を送る余力などない」
『状況の打開を、先鋒部隊の奮闘に委ねるべき』
そんな意見が、重なった。
冷徹な判断に、伝令兵は顔を歪めるが、声を上げることはできない。
「——それは、先鋒部隊の兵士たちを、切り捨てるということですか?」
涼やかな声が、鋭い棘を込めて問う。
そこにいたのは、修道女の服装に身を包み、目元と髪を薄布で覆い隠した人物。
——大聖堂にいるはずの、巫女だった。
司令官たちは彼女を一瞥し、目をそらす。
「巫女殿、これは戦場の問題です。貴方の務めとは異なります」
「然り。貴方の役割は、勝利を祈ることでしょう。なぜ、このような戦地に足を運んでまで……」
わずかに侮蔑のこもった声。しかし巫女は、すぐに反論を重ねる。
「祈りは力になります。ですが、今まさに戦っている彼らに必要なものは、人の助けではないのですか」
司令官たちの顔が曇る。
自軍の兵を切り捨てることに、良心の呵責もわずかにあるのだろう。
だが、彼らはあくまで、合理的だ。
「先鋒の役割は、王国軍を引きつけ、限界まで消耗させること。彼らの犠牲は、もとより織り込み済みなのです。リトロンの兵士たちは、砦の防御に専念すべきだ」
「なるほど。《《兵士たち》》は、防御に」
巫女は静かに復唱し、それから、息を吸い込んだ。
「では——兵士ではない私が動く分には、問題はないということですね」
「……は?」
司令官と副官たち、伝令兵、その場にいる者たち全員が、揃って声を上げる。
巫女は、後方に控えていた近衛兵たちを振り返った。
「馬を用意してください。野営地へ向かいます」
司令官たちは、慌てて反対の意を示した。
「何を言っている! 兵士でもないあなたに、何ができるというんだ!」
巫女は一度振り返る。薄布に覆われたその瞳が、鋭く光った。
そう錯覚して、声を上げた者たちは身じろぎする。
「巫女は兵士たちに『命を捧げることを恐れるな』と命ずる身。それなのに、肝心の私が、自分の命を惜しんで動かないのでは——あまりにも、示しがつきません」
言葉は静かだが、揺るぎがない。
わずかに沈黙に染まる空気。
だれより先に、司令官の渋る声が響いた。
「……もし、あなたが戦地で倒れでもしたら、それこそ聖巫教の威信が地に堕ちる。我々も、責に問われます」
巫女は少し考えてから、色鮮やかなくちびるを開いた。
「——では、私が倒れないように、護衛をお借りできますか?」
口調は穏やかだが、そこに込められた意志は明確だ。
「歩兵を百五十。騎兵、弓兵、回収用の衛生兵を各二十……。それだけあれば、私の“移動”には十分でしょうか?」
その数は、明らかにただの護衛を超えている。
小規模とはいえ、遊撃隊と呼べる戦力だ。
司令官たちは、言葉を失った。
「ご安心を。目的は交戦ではなく、退路の確保と生存者の救護です」
柔らかく告げる巫女の声を聞きながら、司令官は苦々しく呻いた。
「……やむを得ん。混成部隊の指揮は私が出す。いいな?」
「は」
戸惑いながらも副官は頷き、伝令兵は再び走る。
巫女の口元が、わずかに緩んだ。
「感謝いたします。カストル司令官殿に、女神様の祝福があらんことを」
息を吐くように囁かれる祈りの言葉に、司令官は舌打ちを堪えた。
◇
巫女の足は、まっすぐ砦の外に向いた。
馬を引く近衛の一人が、呆れた声で彼女を諭す。
「巫女さま、典礼官だけでなく、軍部の反感も買うのは、おやめください……。それに、今度ばかりは本当に危険です」
忠告を聞き流し、巫女は弓と矢筒を背負う。
「遅れをとりましたが、急いで確かめなければならないのです。おそらく、女神様の意思が働く何かを」
そのまま視界を遮る目隠しに手をかけ、ためらうことなく外した。
淡い青の瞳が、月光を映す。
隠されていた目は、近衛たち一人一人の意思をたしかめるように見回す。
「ともに来てくれますか? 危険があれば、この弓で守りますから」
「……守るのは、我々の役目ですよ」
近衛兵のだれもが溜息をつきつつも、力強く頷いた。
巫女の瞳が、わずかに細められた。
「もうひとつ——“金髪に青い瞳”の若い兵士がいたら、確保してください。索敵は、上空の鷹の動きに従って。皆、自分の命を第一に」
「は!」
短い返事のあと、近衛兵たちは馬を走らせる。
夜風が顔を打つ中、巫女は心の中で祈りを捧げた。
(あのときの鼓動、間違いがないなら——彼こそ、この夜を救う鍵になるはず)
進む先には、かすかに上がる煙と、遠く揺らぐ赤い光が待ち受けていた。