表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/76

4-5 青い瞳に映る



「奇襲だと?」


 クシロス地方の枯れた森から東——リトロン砦。

 伝令の報告を受け、聖巫教せいふきょうの副官が、目を見開いた。


「動きも位置も、正確に掴まれていたというのか!?」

「ロルフ隊長の指揮のもと、反撃を行っていますが、敵は多数。早急に援軍を……!」


「援軍?」


 伝令兵の言葉を遮るように、司令官が冷ややかに呟いた。

 彼は冷静に机上の地図を指差し、野営地と砦の距離を示す。


「今動けば、砦が手薄になり攻め込まれるかもしれん。援軍を送る余力などない」


『状況の打開を、先鋒部隊の奮闘に委ねるべき』

 そんな意見が、重なった。

 冷徹な判断に、伝令兵は顔を歪めるが、声を上げることはできない。




「——それは、先鋒部隊の兵士たちを、切り捨てるということですか?」


 涼やかな声が、鋭い棘を込めて問う。

 そこにいたのは、修道女の服装に身を包み、目元と髪を薄布で覆い隠した人物。

 ——大聖堂にいるはずの、巫女だった。


 司令官たちは彼女を一瞥いちべつし、目をそらす。


「巫女殿、これは戦場の問題です。貴方の務めとは異なります」

しかり。貴方の役割は、勝利を祈ることでしょう。なぜ、このような戦地に足を運んでまで……」


 わずかに侮蔑のこもった声。しかし巫女は、すぐに反論を重ねる。


「祈りは力になります。ですが、今まさに戦っている彼らに必要なものは、人の助けではないのですか」


 司令官たちの顔が曇る。

 自軍の兵を切り捨てることに、良心の呵責かしゃくもわずかにあるのだろう。

 だが、彼らはあくまで、合理的だ。


「先鋒の役割は、王国軍を引きつけ、限界まで消耗させること。彼らの犠牲は、もとより織り込み済みなのです。リトロンの兵士たちは、砦の防御に専念すべきだ」

「なるほど。《《兵士たち》》は、防御に」


 巫女は静かに復唱し、それから、息を吸い込んだ。


「では——兵士ではない私が動く分には、問題はないということですね」

「……は?」


 司令官と副官たち、伝令兵、その場にいる者たち全員が、揃って声を上げる。

 巫女は、後方に控えていた近衛兵たちを振り返った。


「馬を用意してください。野営地へ向かいます」


 司令官たちは、慌てて反対の意を示した。


「何を言っている! 兵士でもないあなたに、何ができるというんだ!」


 巫女は一度振り返る。薄布に覆われたその瞳が、鋭く光った。

 そう錯覚して、声を上げた者たちは身じろぎする。


「巫女は兵士たちに『命を捧げることを恐れるな』と命ずる身。それなのに、肝心の私が、自分の命を惜しんで動かないのでは——あまりにも、示しがつきません」


 言葉は静かだが、揺るぎがない。


 わずかに沈黙に染まる空気。

 だれより先に、司令官の渋る声が響いた。


「……もし、あなたが戦地で倒れでもしたら、それこそ聖巫教の威信が地に堕ちる。我々も、責に問われます」


 巫女は少し考えてから、色鮮やかなくちびるを開いた。


「——では、私が倒れないように、護衛をお借りできますか?」


 口調は穏やかだが、そこに込められた意志は明確だ。


「歩兵を百五十。騎兵、弓兵、回収用の衛生兵を各二十……。それだけあれば、私の“移動”には十分でしょうか?」


 その数は、明らかにただの護衛を超えている。

 小規模とはいえ、遊撃隊と呼べる戦力だ。


 司令官たちは、言葉を失った。


「ご安心を。目的は交戦ではなく、退路の確保と生存者の救護です」


 柔らかく告げる巫女の声を聞きながら、司令官は苦々しく呻いた。


「……やむを得ん。混成部隊の指揮は私が出す。いいな?」

「は」


 戸惑いながらも副官は頷き、伝令兵は再び走る。

 巫女の口元が、わずかに緩んだ。


「感謝いたします。カストル司令官殿に、女神様の祝福があらんことを」


 息を吐くように囁かれる祈りの言葉に、司令官は舌打ちを堪えた。





 巫女の足は、まっすぐ砦の外に向いた。

 馬を引く近衛の一人が、呆れた声で彼女を諭す。


「巫女さま、典礼官だけでなく、軍部の反感も買うのは、おやめください……。それに、今度ばかりは本当に危険です」

 

 忠告を聞き流し、巫女は弓と矢筒を背負う。


「遅れをとりましたが、急いで確かめなければならないのです。おそらく、女神様の意思が働く何かを」


 そのまま視界を遮る目隠しに手をかけ、ためらうことなく外した。

 淡い青の瞳が、月光を映す。

 隠されていた目は、近衛たち一人一人の意思をたしかめるように見回す。


「ともに来てくれますか? 危険があれば、この弓で守りますから」

「……守るのは、我々の役目ですよ」


 近衛兵のだれもが溜息をつきつつも、力強く頷いた。

 巫女の瞳が、わずかに細められた。


「もうひとつ——“金髪に青い瞳”の若い兵士がいたら、確保してください。索敵は、上空のエルゼの動きに従って。皆、自分の命を第一に」

「は!」


 短い返事のあと、近衛兵たちは馬を走らせる。

 夜風が顔を打つ中、巫女は心の中で祈りを捧げた。


(あのときの鼓動、間違いがないなら——彼こそ、この夜を救う鍵になるはず)


 進む先には、かすかに上がる煙と、遠く揺らぐ赤い光が待ち受けていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ