2 不敬罪候補の四人衆
巫女の加護を授かった日から数えて、進軍は五日続いた。
その末にロルフ隊長率いる先鋒部隊がたどり着いたのは、痩せた土と枯れた木々ばかりが目につく森だった。
かろうじて日差しを遮る葉は、幽霊のように揺れている。小川も、湧き水もない。
空気にすら湿り気がなく、肌を撫でるのは、ただ乾いた風だけだった。
「……あ〜……くそ、水がねえと思うと、余計に喉が渇いてしょうがねえ」
苛立たしげに地面を蹴ったのは、先鋒部隊の一人・ユリウスだ。野営の準備を進めながらも、その足元では土埃が立つ。
彼と同期生であり、小柄なエミルが、そばで咳き込んだ。
「ちょっとユリウス、やめてよ。埃が立って、余計に喉がカサカサするんだけど!」
「うるせえな、唾でも飲んどけ」
ユリウスの剛腕に締めあげられ、エミルが「ぐえっ」と可哀想な悲鳴をあげる。
二人の様子を、後輩のギストは天幕を張りながら、呆れ顔で眺めていた。
——エリシア聖教国は、二つに分かれている。
南に広がるのは、女神の教えを掲げる聖巫教。
北に陣取るのは、かつての王政を支えていた王国軍。
“王国軍”とは名ばかりだ。王政は三十年前に打ち倒され、王族は“悪逆の徒”として処刑された。
だが、それですべてが終わったわけではない。
両者の争いは今もなお、最前線のクシロス地方を中心に続いている。
国土の中央からやや外れたこの地は、長きにわたって戦火にさらされ、すっかり荒れ果てていた。
水は枯れ、地は割れ、風すらも刃のように肌を裂く。
そんな地に、ギストたち先鋒部隊は足を踏み入れた。
「せめて雨水でも……補給もないまま進んだら、戦う前に干からびて死んじゃうよ……」
ぼやくエミルに、ユリウスが乾いた笑みを浮かべる。
「ちげえねえな。賭けるか? お前の死因、渇死か戦死か」
「ひどい。不謹慎にも程がある。でも死ぬなら、戦死がいい……。美人の女騎士に貫かれて召されたい……」
「戦場に女がいるかよ。いるのは、むさ苦しい男衆だけだ」
「くそ〜、麗しの巫女さまのお姿でも見えたら、水がなくても張り切っちゃうのに」
心から嘆くエミルを、ユリウスはまた、鼻で笑う。
「寝言は寝て言え。高貴なお方が、こんな最前線にいるか。……視察で来たとしても、戦地で気を失っちまうんじゃねえか? 聖都と全然違うっつってな」
それに、と彼は続けた。
「『麗しの』ってのも、きな臭えしな。目隠しの下の瞳を見たやつは、石になっちまうって噂もあるぞ。おお、おっかねえ」
「それを追求するのは野暮ってもんだろ。全部見えないからこそロマンがある、違うか?」
答えたのはエミルでも、傍観しているギストでもない。
今この場に現れた、なぜか誇らしげなリカルドだった。
「なるほど、詳しく聞こう」と、エミルとユリウスが身を乗り出す。
野暮な会話になる予感しかしない。
距離を置こうとするギストの肩を、リカルドが掴んで無理やり会話に混ぜ込んだ。
まず発言したのはエミルだ。
「たしかに、最初から丸見えより、ああやって隠されたほうがそそられるかも」
「でも、髪も目も見えねえんだぞ。人間っていうより、人形みてえじゃねえか?」
反論するユリウスに、エミルは「いやいや」と重ねる。
「だからいいんじゃん。いざ見れた日には、ときめきが止まらないっていうかさぁ。『素顔を俺だけに見せてくれる』とか思ったら、ねえ?」
「だろ? 目隠しが外される瞬間なんて想像したら、たまらねえよなあ」
くっくっくと、悪役じみたリカルドの笑い声が上がる。
ギストは眉をひそめ、この場で初めて口を開く。
「奥方に言うぞ」
「いや、それはやめて。半殺しにされちゃうから」
慌てるリカルドに、エミルとユリウスが吹き出した。
「リカルドの死因は殴死か。どうか、天上の“女神の国”で安らかにな」
「縁起でもねえこと言うな! 二人目も生まれるってのに、やすやす死ねるかっ。……な? だからギスト、今の話は黙ってような?」
圧をかけられるが、ギストが頷くことはない。
冷ややかな目を細めたまま、リカルドをわざと視界から外した。そうでもしなければ、つられて笑ってしまいそうだ。
じゃれ合う彼らに、離れたところから声がかかる。
「そこの《《不敬罪候補》》の四人衆、伝達だってよ。遅れたら、また隊長にどやされるぞー」
呼びかけたのは、荷運びを終えた補給係の青年だった。
エミルが目を丸くし、ユリウスは眉をひそめる。
「不敬罪ってことは、生きて帰っても処刑ってこと? 巫女さまの話しただけでアウト?」
「『巫女に手を出したら、一族郎党、晒し首か火炙り』とは聞くがな」
その言葉に、リカルドが笑いながら続けた。
「はは、『触らぬ女神に祟りなし』とは、よく言ったもんだよな」
「……こんなバカ話に巻き込まれて処刑とか、勘弁しろよ」
小さくため息をついたのはギストだ。
そんなやりとりを交わしながら、四人は足早に歩を進めていった。