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識別No.0631_1  作者: 良木眞一郎
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07

 そういうわけで、リグは怒られていた。小隊の部屋の椅子の上で正座させられて。眼の前には怒り狂ったユウが手を振り回しながらわめき散らしている。

「戦闘中だよ!? 救援要請の前に装備申請出すなんて、聞いたことないよ! そりゃね、僕にも指揮権はあるよ? 副長だからね。でもそれは、何らかの事情で君が指揮できないときなんだ。君は隊長なんだよ、隊長! 指揮する人! 君は僕に後片付けをさせて、救援が来るまで床で寝てる気だったの!?」

 白い支給服に着替えたユウは狭い部屋をウロウロ歩き回る。ガスとテオは自分のベッドで様子見だ。

 二人の表情を見ればわかるが、ユウが怒るのは珍しい。いや、怒る、という感情自体が滅多に発生しない。なにせ戦術コンの言うとおりにしていれば想定通りの結果になるし、たとえならなくても戦術コンが対応方法を教えてくれる。想定と異なった結果、感情を刺激される機会など皆無だった。

 この隊に来るまでは。

「ガスから連絡が来たとき……僕はてっきり、君が自分を犠牲にしたのかと思った。以前何に使ってたのか知らないけど床下のあの空間は広くて高いし、落下させれば撃破できるかもしれないと思えた。そして僕は、そう……心配。心配になったんだ! 君の身を案じた! 部下を救うため、多くの兵士、市民を救うための尊い自己犠牲だと思った! それが何!? 君が通信を発してホッとした瞬間だよ! 装備申請!! あのときの僕の気持ちがわかる!?」

 リグがちらりと盗み見ると、ガスとテオが肩を震わせている。他人事だと思いやがって。

「そして、この申請書! 君、書類を書くの恐ろしく下手だね! 書きたいことだけ書いて、相手に理解させる気ないでしょう! 特に最後の一文! 『お前らのせいで死にかけたぞクソボケカス』なにこれ!?」

「……気持ちを伝えようと思って」

「気持ち!? なるほど君にも気持ちはあるだろうさ! 実は僕にもあるんだよ! なんで僕がこの書類の内容知ってるかわかる!? 突き返されたの! 提出者の君にじゃなく、僕に! メッセージ付きで! 『君の隊長の頭は大丈夫か?』だって! そんなの僕が知りたいよ!!」

 ついにこらえきれなくなったガスとテオが噴き出し、ひっくり返って笑いはじめた。

「笑い事じゃないんだ!」

 地団駄踏んだユウは、すっかりむくれてもう一つの椅子にどっかりと座った。その様子を見たリグは、まだ正座は解かないほうが良さそうだ、と思う。

「すみません、ユウ。どうしても我慢できなくて。本当に、生まれて初めて笑いました」

 涙を拭いながらテオは謝った。一方でガスはまだ顔をひくつかせている。

「悪い、ユウ。悪気はねえんだ。ただ、初めて笑ったもんだから、くっくっく……どうしていいか……」

 ひとしきり笑い終えるとガスは、びしり、と自分の頬を叩いて真顔になった。

「でも、ユウが言ったことは正しかった」

 ガスは握った拳を見つめる。

「あんた……隊長が奴を地下に落とすと言ったとき、わけが分からなかった。でも、隊長は本当にやった。俺もユウが言ったように、相打ち狙いなんだと思った。生き残るべきは隊長の方なのに、ユウに合わせる顔がないと思った。そして……隊長は生きていたし、奴は撃破された。なんていうか……俺は、嬉しくて震えたんだ。隊長が俺のところに来たときの作戦は、弾がないと知った時点で白紙になったはずだ。でも、隊長はあっというまに新しい戦術を考え出して、成功させた。これならどんな相手にも対抗できる。あの凄さは、見たやつにしか実感できない」

 ガスは再び興奮で震えはじめた手をもう片方の手で抑える。

「俺は戦術コンの指示通り、ユウに通信した。隊長の命令に従う以外、できることがなかったからな。戦術コンの言うなりだ。戦術コンはあんな戦い方は教えてくれなかったのに」

 リグを、ガスはじっと見つめる。

「隊長。この場で宣言する。俺は今後、いまこの瞬間から、戦術コンより隊長の指示に従う。なにがあろうとも。それで死ぬとしても。どうせ隊長に拾ってもらった命だしな」

 そう言って、ガスは左足のギプスを叩いた。まだくっついたばかりだ。

 ガスの発言にユウは嬉しそうだったが、リグは複雑そうに、死ぬなんて言うな、と返した。

「隊長。わからないことがあるんですが、聞いてもいいですか」

「ああ」

「あのとき、どうしてガスのところに行ったんですか? ガスには悪いですが……」

 ちらりと視線をよこしたテオに、ガスは手をひらひら振ってみせた。テオの言いたいことはわかっている。

「どう考えても、隔壁を下ろすのが最適な判断だったと思います。なぜなんです? 隊長の戦術コンも同じ判断を下したはずなのに」

 リグは少し考えた。答えるのは簡単だったが、その根拠を話すのは、なんだか恥ずかしいような気がしたのだ。

「まあ、この際だから話してしまうか。みんな聞いてくれ」

 三人とも姿勢を正す。

「俺の目的は、生き残ることだ」

「クローンがあるのにですか?」

「失うのが怖いのは命じゃない。記憶だ」

 そこでリグは、自分に残された冷凍保存前のものと思われる記憶のことを話した。

「ユキ? ユキって、あのユキ?」

「有名なのか?」

「有名っていうか……君って常識に疎いよね」

 呆れたユウに代わって、テオが説明してくれる。

「WFの事は知ってますよね?」

「ああ。エリート部隊だろ。第一から第三小隊、計十二名で構成されている」

「ユキがWFに所属していることはどうです?」

「知っている。本人から聞いた」

「なんで本人と話したこともあるのに……」

 表情を曇らせたユウを放っておいて、テオは説明を続けた。

「WFは一般兵より一定以上高い性能の兵士が配属されるんですが、ユキはその中でもさらに一回り高い能力を持つトップエースなんです。そういう人は……指揮能力も勘案されますけど、たいてい小隊長に任命されるんですよ。でもユキは小隊長にするとかえって非効率だと判断され、小隊長の任命を免れる権利を得ているんです。そのくらいすごい人なんですよ」

 ふうん、とリグはユキの気持ちがわかったような気がした。そんなエリート中のエリートが、平々凡々の兵士がやったことができない、となれば興味の一つも持つだろう。

「ユキは隊長のこと、覚えてたのか?」

 好奇心丸出しのガスに、リグは首を振った。

「冷凍保存から蘇生したときならまだしも、クローンを何代も重ねたのでもう記憶はないそうだ」

 リグは視線を落とす。

「記憶を共有していてほしい相手に覚えてもらえていないということは、妄想と区別がつかないということだ。俺は……悲しかった。あのことを覚えているのは、俺一人になってしまった」

 三人の顔をリグは見回す。

「俺はそういう、関係者が相互に共有する記憶……もっとうまい言葉があった気がするが……それを失いたくない」

「思い出、だと思うよ」

「ありがとう、ユウ。それだ。俺は思い出を失いたくない。だからあのとき、ガスが死んだら、また何も知らないガスと一からやり直すのかと思った。この一週間、正直ろくな思い出がないが、それでも嫌だった。それで戻ったんだ」

 リグは唇を噛む。

「俺は……ユキにも、ユウも、ガスも、テオも。これから知り合う誰にも、死んでほしくない。だから頼む。死なないでくれ。生き残る努力をしてくれ。命令のほうがいいなら命令する。死ぬな」

 了解、とガスは返す。

 テオは考え込みながら、慎重に答えた。

「正直、納得はできません。思い出が戦術的に意味のあるものだと思えないからです。でもそれが隊長の戦術開発能力の源だとしたら、興味があります」

 ゆっくりとテオはうなずいた。

「わかりました。命令を受諾します」

「僕はお願いの方を聞いておこうかな」

 ユウは笑って、しかしすぐに真剣な顔に戻った。

「でも、リグ。戦術開発ができるのは君だけだ。生き残りにあたって一番優先度が高いのは君だ、ということは覚えていてほしい」

 リグは顔をしかめる。

「俺は、戦術開発できるのが自分だけだとは思っていない。工夫や知恵を出すのは、きっと誰もが持っている能力なんだ。でなければ、旧文明はどうやってこの都市を作ったっていうんだ。たった一人の天才が何もかもやったっていうのか。馬鹿馬鹿しい。戦術コンが優秀なのは認めるが、その指示が正しすぎて、みんな自分で考える能力を忘れてしまったように俺には思える」

「僕はそうは思わない。君はいままで誰にもできなかったことをやったんだ。君は特別だ」

 リグとユウの視線が交差する。どちらも譲る気はなさそうだ。

「わかった、この話はまたいつかにしよう……ところで、足を崩していいかな」

「ああ、いいよ。大声を出してスッキリしたし。怒ったのなんかはじめてだよ」

「みんな感情薄いよな」

 リグはしびれた足をそっと床におろしつつ、話題を変えた。

「ちょっと聞いてほしいことがあるんだが」

「なに、相談? いいよ、なんでも聞いて」

 嬉しそうにユウは答える。頼られると喜ぶタイプだ。

「まさにその相談なんだ。そうだな……時間がかかりそうだし、今日はもう遅いから明日にしよう。で、俺はこの都市に詳しくないから、適当な場所を探してほしいんだ」

「わかった。条件は?」

「四人で楽な姿勢が取れるとこ。図で説明する必要があるから、大きなホワイトボードがほしい。できればディスプレイも。聞かれて困る話じゃないが、横から口を出されたくないから、人気のない場所がいい。ああ、あと、できれば格納庫の近くがいいな」

 最後の言葉に、テオが興味を示す。

「どんな内容なんです?」

「明日話す。ユウ、何時からはじめられる?」

「ちょっとまってね」

 ユウはしばらく考え込んだ。GMSと通信でもしているのかもしれない。

「リグ。君、受講課程、全部終わってないよね」

「……まあ」

「いままでほど詰め込まなくてもいいけど、早めに終わらせておきたいね。基礎訓練もあるし……これでどうかな」

 ユウから通信。明日のスケジュールだ。ちゃんと食堂に行く余裕がある。これだと相談は夕方より前になりそうだ。

「うん、これでいい」

「よかった。じゃあ、僕からお願いがあるんだけど」

「え?」

「小隊長は戦闘後、戦闘詳報を書かなきゃいけないのは知ってるよね? 君の受講時間が多いぶん、僕たちは空き時間ができるんだ。ガスとテオはトレーニングするとして、僕は君の戦闘詳報を手直ししたいから、明日の昼までに戦闘詳報を作って僕まで送ってほしい。相談ごとの前に済ませておきたいからね」

「……わかったよ」

 手直しするのは確定なのか、とリグは疲れた顔で立ち上がった。

「どこか行くの?」

「疲れた。その辺歩いてくる」

 そう言い残してリグは部屋を出た。半分本音、半分口実だった。

 今日の戦闘とリグがさっき話したことについて、三人だけで話し合う時間が必要だろう。リグは本音を話した。それをどう受け止めるかは、彼らが決めることだ。

 特に目的地を決めていたわけではなかったのだが、やはりというか、リグはいつの間にか展望室に来ていた。

 この前と同じように夕焼けで真っ赤に染まった部屋に、今度はぼうっとしていなかったので先客がひとりいることがわかった。その人影は立ち上がり、リグに歩み寄った。

 ユキだった。

「またやってくれたな。しかも新型を」

「もう知ってるのか」

 リグはさっきユウに言われたことを思い出した。戦闘詳報。ユキが知っているということは、他の隊はもう提出しているのだろうか。そんなに自分は書類作成が下手で遅いのか。いや、ユウは明日の昼まででいい、と言ってくれた。でもそれは気遣いだったのかも……。

「まあな。現場にいた兵士のうわさ話で聞いた」

 座らないか、とユキはリグをベンチに誘った。二人で座ると、あいだに一人分のスペースが生まれる。これがいまの俺とユキの距離だ、とリグは思った。

「うわさ話か。てっきり他の隊はもう戦闘詳報を出しているのかと思った」

「そういう隊もあるにはあるが、戦術コンの記録から戦闘詳報を作るのは楽な作業じゃない。普通は翌日以降に提出される。私はそれが待てなかったので、現場で情報共有していた兵士から生データをもらったんだ」

「生データから新型と俺の行動記録を再現したのか? 苦労しただろう」

「なに。WFにはそういうのが得意なやつもいる」

 ユキは瞳をキラキラ輝かせた。夕日に照らされた黒髪が揺れる。

「さあ、教えてくれ。お前はどうやってあの鮮やかな戦術を思いついたんだ」

 リグは全部話して聞かせた。ガスのところにいって計画が狂ったことも。ついでにその後の小隊の部屋でのやり取りも。

 ユキは笑った。愉快そうに、きれいな音楽のような笑い声だった。

「兵士が笑うなんてな。はじめて聞いたぞ」

「君だっていま笑ったじゃないか」

「私だってはじめてだ。631はなんというか、いい隊だな」

「いまのところ楽しい思い出がほとんどないけど」

 ユキは顎に手を当てる。

「ポインターの再構成時に慣性が殺されるとは知らなかった」

「最初の戦闘で上下の通路をまたいだ時に気づいたんだ。普通に水平突入すると対象から少し離れて再構成されるから、気づきにくいんだろう」

 ふうむ、とユキは唸った。

「小隊の部屋での話だが……お前が生き残りたい理由はわかった。それがお前の原動力なのだろう。だが、私はユウとテオの意見に賛成だ。思い出とやらに戦術的価値があるとは思えないし、あるならGMSと戦略部が見逃すはずがない。そして、いまのところ新戦術を生み出したのは、リグ、お前だけだ」

 ユキの瞳が再び興奮に輝く。

「やはり、私の目に狂いはなかった」

「話しただろ。最初の計画は完全に狂ったんだ。ガスに弾がないと言われたときは、もう死んだと思った。二つ目のは、土壇場で思いついたにしてはうまくいった。運が良かったんだ」

「運じゃない。お前には特別な才能がある」

「ないよ」

「いや、ある」

 ユキは真剣な表情で両手を出し、リグの手を握る。リグは心臓が跳ね上がった気がした。

「私は、お前が最初の戦闘で編み出した戦術を知ったとき、衝撃を受けた。これで戦局が変わると」

 ユウもおなじようなことを言ったな、と思いながら、リグは言い返した。

「局地的な戦闘の勝敗は、戦争の結果とは違う」

「もちろんそうだ。だが、局地的な勝利の積み重ねで人類に余裕が生まれれば、状況は変わる。ひょっとしたら、防衛だけでなく攻勢にでられるかもしれない」

「否定はしないが……」

 途切れた言葉を合図にしたかのように、ユキは自分がリグの手を握っていたことに気づいた。

「すまない。あまり人と接触することはないから、嫌だっただろう」

「……嫌じゃない。嬉しかった」

 言ってから、リグはユキを様子をうかがった。きれいな眉根を寄せて、困惑している。

 リグは少しためらったが、それを言った。言わない後悔より、言う後悔だ。

「もう一度握ってもいいか」

「まあ、手ぐらい構わないが」

 なんでもないことのように差し出されたユキの手を、リグは握った。訓練のせいか少しがさついていたが、上等の織物のようにしっとりとしていて、いつまでも触れていたくなった。それはリグにとって、胸のときめきよりも切ないような郷愁を感じさせた。

 一方で、リグの気づかないうちにユキの顔はどんどん赤くなった。首から耳まで赤くなって数秒たつと、ユキは手を離した。

「も、もうダメだ! これ以上は!」

 突然のことだったので、リグはちょっと驚いた。

 ユキは自分の手を見つめ、わなわなと震えている。

「な、なぜだ……嫌じゃないのに、これ以上はどうしてもできない! この現象は何だ!?」

 それから言葉が続かなかった。ユキはそっぽを向いて、握られていた手をさすっていた。リグはやらかしてしまったような、やってやったぜ、というような、なんというか、こっ恥ずかしい気持ちを味わっている。

「……話は戻るが」

 やっとユキが口を開いた。リグは救われたような気になる。

「うん」

「実はこのあと、WF全体の打ち合わせが入っている。私が提言した。お前の戦術を研究すべきだと。最終的にWFの十二名全員が賛成した。今日もお前の戦術が話題になるだろう」

「そうだったのか」

「ああ。だから、私はもう行かなくてはいけない」

 ユキは立ち上がる。もう顔は赤くない。いつもの冷静さを取り戻していた。

「また来てくれるか」

「もちろん」

 それを聞いてユキは満足そうに踵を返した。その後姿に、リグは声を掛ける。

「ユキ。また、手を握ってもいいかな」

 足を止めて振り向いたユキは、また真っ赤になって怒鳴った。

「ダメだ! 馬鹿っ!」

 足音を荒くして去っていくユキを見送ってから、リグは自分の手を見た。洗いたくねえ、と思ったが不衛生なので、そういうわけにはいかないのが残念だった。


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