03
うんざりするような時間だった。
生化学部に着いたリグは戦闘スーツを脱いでシャワーを浴びる事を許された。汗臭いから、という理由で。
時間がもったいないから、と食堂へ行かせてもらえなかったので食事は携帯食で済ませた。携帯食とはあれやこれやを焼き固めた棒状のもので、栄養価はあるがたいしてうまいものでもない。もっとも、食堂で出される食事も大差ないので、リグは文句を言わなかった。この都市の市民は旧文明の人類が知ったら味覚が凍結されてると確信するくらい味に文句を言わない。生まれてずっと調整された食事しか食べないからだ。
そして……検査がはじまった。
よくわからない機械の輪をくぐり、横になれと言われたかと思えばよくわからない機械をグリグリと押し付けられた。血はたっぷり抜かれたし、なによりドロッとした液体を飲まされて磔にされグルグル回されたときなど、あまりの不快さにリグは戦術コンに生化学技師が本当に味方なのか確認したほどだった。戦術コンが『味方である』と断定せず、『敵ではない』と曖昧に答えていたらリグは技師をぶん殴りにいっていただろう。
ぐったりしたリグに検査が終わったことを技師が告げた。ただし、その日の分の、である。次の日も検査があるので早く休むように、とのことだった。兵士は隊舎と呼ばれる区画で寝起きするのだが、リグは検査室のベッドに案内された。愚痴る元気もないリグは、倒れるように寝た。
次の日、起床時間になるとリグは戦術コンの発する覚醒信号に叩き起こされた。さっそく生化学技師たちがやってきて、リグがあくびをするのもお構いなしに検査をはじめる。
検査。検査。検査。検査。
精神分析や運動能力、神経伝達物質の調整機能の確認、戦術コンの動作確認までされた。特にリグを苛立たせたのは知能テストで、こんなもの蘇生時に脳の記憶野へ直接学習させるのだから個体差なんて出ようがないし、出ても大差あるはずがなかった。
ようやく解放されたのは夕方になってからだ。
結果の分析があるとかで技師たちはまだ忙しそうだ。技師たちはそれが仕事だから恨みはないが、とりあえずリグは生化学部が嫌いになった。
リグはため息を吐く。休みたかった。
リグのストレス値が高いことを検知した戦術コンは、展望室があることを教えてくれた。行ってみるとそこは天井が四メートル以上ある広い部屋で、入口のある壁以外の三面すべてに地表構造物から見た地上の景色が映し出されていた。
日が暮れかけているので部屋全体が燃えるように赤い。リグはふらふらと壁に近寄り、近くのベンチに腰掛けた。
ぼうっと景色を見ているとたしかに気持ちは穏やかになっていった。しかし再び自問自答がはじまりそうでもあった。何となくそれが嫌でリグは視線を移動させると、一人の人影に気づいた。
いつからいたのかわからなかった。はじめからいたのかもしれない。戦術コンのおかげで兵士たちは互いに関心をもつ必要がないから、挨拶なんてしない。情報共有は戦術コンが勝手にやるし、挨拶の利点はないとされていた。
リグの視点移動を感知した戦術コンが人影の輪郭を強調表示する。
識別No.0342。個体名ユキ。
リグは飛び上がるように立ち上がる。駆け足並みの速さでその人影に歩み寄った。
その人物が足音に気づいて、ちらりとリグに視線をくれる。
整いすぎた美貌。感情の薄い澄んだ瞳。濡れたような黒髪が白い支給服に映える。
髪を首のところで切りそろえているので髪型こそ違うが、それはリグにかすかに残された記憶と完全に一致した。
「……ユキセンパイ」
彼女は怪訝そうな顔をした。前述したように、兵士が声をかけるのは珍しい。業務上の連絡でさえ通信で済ませるからだ。
肉声で話しかけられたので、彼女もそうする。
「私の個体名はユキだが、センパイとは何だ?」
問われても説明に困った。リグ自身も知らないからだ。
それからユキの戦術コンがリグの情報を提示したらしい。その顔にわずかな好奇心が浮かぶ。
「お前が631か。リグ、お前に興味がある。少し話していいか」
願ったり叶ったりだ。即座にリグはうなずく。
「先日の戦闘詳報を見せてもらった。見事だ。だが、なぜ戦術コンの指示に背いた? 戦術コンも知らないあの戦術をどうやって思いついたんだ?」
「それ、今日うんざりするほど訊かれた……んですけど」
「なら答え慣れただろう。教えてくれないか」
「死にたくなかったから……ですよ。あのままじゃジリ貧だっ……でした。ポインターの再構成時に空間を超えているなら、遮蔽物を越えられると思った……んです」
思案顔のユキに、リグは付け加えた。
「でも、俺……僕一人じゃ成功しませんでした。何度も援護要請したし、みんながそれに応えてくれた。だからうまくいった……んです」
「ふうん。クローンがあるのに死を恐れるのか」
「死ぬのはいいんです。記憶を失うのが嫌なんです」
「失って困る記憶などないだろう」
さも当たり前のようにいうユキに、リグは歯噛みした。
「……あの」
「ユキ、でいい。さっきから話し方がおかしいぞ。我々に職業の区別はあれど立場の上下はない。さっきの、センパイ、とやらが関係あるのか? 敬称か何かか?」
「じゃあ、ユキ。あなたには冷凍保存前の記憶はある?」
「ない」
リグは失望に肩を落とした。これでは記憶が確かなものか検証しようがない。なにより、覚えているのが自分だけだという孤独感がリグの表情を暗くした。
「私は何代もクローンを重ねた身だ。知っての通り、クローンに記憶は継承されない。冷凍保存から蘇生した直後にはあったかもしれないが、もう知りようがない」
ユキはうつむいたリグの顔を覗き込む。
「お前にはあるのか。冷凍保存前の記憶が」
リグは自分に残された記憶を話した。ユキセンパイという呼称。識別No.0342、個体名ユキとまったく同じ顔。
「失いたくない記憶というのはそれか」
リグはうなずく。
「……お前が何を望んでいるのか知らないが、私には応えられそうにない」
もう一度リグはうなずいた。ユキセンパイとこのユキは、全く別の個体なのだ。仮に遺伝子的には同一だとしても。
リグの表情をうかがいながら、そっと探るようにユキは言った。
「お前が嫌でなければだが……また話をさせてくれないか。私はお前の戦術に興味がある」
リグはユキと視線を合わせた。ユキは少し興奮しているようだった。
「お前は一人で五体の侵入個体を倒した。敵軍の一割を、たった一人でだ! そんな事ができたやつは、かつていなかった。いまもお前だけだろう。私はWFの一員として、羨ましくもあり、悔しくもある。その発想の仕組みを知りたい」
WFってなんだ、とリグはこっそり戦術コンに問い合わせた。
ホワイトフラッグ、つまり白旗を意味するそれは旧文明において『五体が塵となってもお前たちを殺し尽くす』という殲滅戦の宣言を意味していたらしい。本当かどうかは誰も知らない。とにかくGMSはそう言っている。その名を冠したWF小隊は一般的な兵士より一定以上高い性能を持つ兵士のみで構成されたエリート部隊だった。
リグは迷ったが、すぐにうなずいた。ユキの顔を見るだけで悲しくなるかもしれないが、そうなったら断ればいいだけだ。
「よかった」
ユキのかすかな微笑みが、リグの胸をどきりと打った。
「小隊の打ち合わせがあるのでもう行かなければいけない。またな」
「待ってくれ」
歩き去ろうとして振り向いたユキは、嫌な顔もせずリグの言葉を待っていた。
「一つだけ教えてくれ。ここには他に誰もいないが、なんで君はここにいたんだ?」
ユキは映し出された空を見上げた。地平に沈みかけておき火のように燃える夕陽と、中天から広がった夕闇に瞬く星々。
「この景色が好きなんだ」
そう答えると、ユキは展望室をでていった。
リグは記憶を確かめるように景色を眺める。
「俺も好きだ」
口に出してみた。そうだ。確か、そうだったはずだ。
唇を噛んで、リグも展望室を出た。
リグはその日、はじめて食堂で食事をした。一枚のプレートのへこみに食事が盛られている。食事は旧文明と大差ない。らしい。
野菜にせよ肉にせよ、生産の結果個体差が出るのは仕方のないことである。それを生産時に均一化する努力をGMSは無駄だと判断した。
GMSの解決策は簡潔だった。生産後、全部まとめてぐちゃぐちゃに混ぜてしまえばいいのである。
そうしてペースト状だったり細切れにされたものが、野菜、肉類、穀物類の三種に分かれてプレートのへこみに盛られる。おまけに付くのが三つのチョコレートキューブ。これは唯一の甘味だ。
穀物はマッシュポテトのこともあるが、この日は米で、何の手も加えられていなかった。さすがのGMSも米をペーストにする気にはなれなかったらしい。
リグはプレートを受け取ると適当な席に座った。食堂には他の兵士もいるのだが、誰も会話しない。向かいや隣に誰がいようと気にしない。
食事にはもともと味がついているので、卓上に調味料のたぐいはない。これは個体の嗜好による身体への影響を抑えるためだ。要は塩分や辛味の過剰摂取を防ぐのだ。都市市民の味に文句を言わない習性はこのあたりからきている。
リグは無感動に食事を口に運んだ。ユキとの会話ばかりが思い起こされ、味などわからなかった。
食事を終えてシャワーを浴びたリグは隊舎に向かった。この区画は四人部屋が複数ある。部屋は小さく、二段ベッドと小さな机と椅子が二つずつ置かれただけだ。人数分のベッドはあるものの、小隊員すら固定しないのであるから、どの部屋のどのベッドを誰が使うかなど決まっていない。空いたところに寝るだけだ。ただ、空いたベッドを探し回るのは非効率なので戦術コンが情報共有して空いたベッドを教えてくれる。
リグは戦術コンの導くままに部屋に入り、指定された上段のベッドに寝転がった。
眠れないかと思ったが、身体はしっかり疲れていた。リグは毛布にくるまるとすぐに眠りの海に沈んだ。