第58話
全ての母。彼女はそう言われた存在だった。平等の愛は全ての存在に注がれる。私達家族の母親のような存在の姉には皆頭が上がらない。
優しく何をやらせても完璧………なはずの姉は、普段の雰囲気からは想像がつかないだろうが、家族の中で一番強かった。それが頭が上がらない原因の一つである。母は強しとは正にこのことであった。
魔法、物理………どれをとっても強い姉が今回は優しかったからと安心してしまったせいで、失敗した。
気を抜かなければ痛い思いをしないで済んだのに………。
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「いつまで寝たふりを続けるつもりですか?」
「はい!!」
ビナーがそう言うと、ザフキエルが飛び起きた。
寝たふりと言うか普通に一瞬気絶してたんじゃないか?顔から地面に突っ込んでいたしあれで無事なら相当頑丈だろう。
これだけ派手に飛んだのに花壇や花には被害が全くと言っていいほど無い、ビナーはやはり相当な実力者の様だ。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか………。ケント、結論から言いますと今の貴方に渡すものは何もありません。与えられた力に頼り誰かの肩を借りながらではこの先は進めないからです。ですので、今から私が待ちきれなくなるまでに貴方には人助けをしてもらいます。そうですね………百人ぐらいで良いでしょう」
「百人………ですか?」
「ええそうです。あ、勿論一人でですよ?ザフキエルはここに置いて行ってもらいます。何かあればこの子に頼っている様ではあなた自身が成長しません。剣も魔法も知識も何もかも借り物のままではいけませんからね………そうですよ、このままじゃいけないじゃないですか!ケント、条件を追加します。貴方が貴方自身で力を一つ見つけ出しなさい」
いい事を思いついたと言わんばかりににっこり笑ってビナーはそう言った。
正直意味の分からないことを言われている気がするが、確かに今の僕は与えられたものしか無いだろう。それは自覚しているが、一人で行動する事を考えると不安が胸を覆う。いつもはアイが居たが、今からは居ないという事になる。本当に大丈夫だろうか………?
「はい、じゃあ行っていいですよ」
ビナーが二拍手したと思ったら、さっきの場所に戻されていた。
勿論アイの声は聞こえない。一人という事実が不安を増幅させる。
でも、立ち止まってもいられない。そう思えるだけで少しは成長しているのだろうか………。
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花壇の中心にテーブルを準備したビナーは、ザフキエルと紅茶を飲んでいた。
ザフキエルは何処か心ここにあらずといった顔をしていたが、ビナーにはその理由が分かっていた。
これは一種の依存である。
母の愛を知らなかった子供と、子供を亡くした天使。二人にとってこのままでは良くない状況だった。それを悟ったビナーは二人の距離を離し、両方の自立を計った。
元は規律に忠実だった者がこうも変わるものかと、ビナーは少し怖いとも思った。
そんな彼女の元を訪れる人物が一人、もう一人の待ち人である。どちらかと言えばこちらの方が本命だったりする。
龍の面の下の顔は、さぞ面倒そうな顔なのだろうと思うと、少し笑みがこぼれる。
「やっと来ましたか」
「それで、何の用だ」
先ずはお茶でもと席に案内するが、座りはしたがカップには一切手を伸ばさない。あくまで話に来ただけという事だろう。
それならばとビナーも早速本題に入る。
「未だ、話していないのですか?」
「………お前には関係の無い事だ」
「そうですか、この様な事はしたくありませんでしたが仕方ありません」
そう言ったビナーが取り出したのはビー玉の様なものだった。虹色に輝くそれを指ではじき龍面の男に当てる。
するとそれは鏡が割れるように砕け散った。
「………なんの真似だ」
「仕方のない事です。お仕事がしたければ早く話しなさい………隠し事はせず全てね」
「困るのはお前たちも同じだと思うが?」
「ええ、ですから早めにお願いしますね?」
「………チッ」
会話するのも面倒になったという様子で龍面の男はフード付きのマントを翻し去って行った。
先程投げた球は、当たった者のステータスを十分の一にするという物で、効果時間は無く効果が切れるのは使用者が決めた条件を達成する事が必要になる。
ビナーは首にかけていたペンダントに触れて、悲しそうな表情をした。
「親の愛を知らぬ子と、子の愛を知らぬ親。どちらも悲しいものですね………蒼」
その目にはペンダントの中の写真が映っていた。
黒いパーカーとデニムのズボンを履いた、雰囲気の全く違うビナーと一緒に写る一人の女性の姿がそこにはあった。
写真の張っていない蓋の方には、2028と彫られていた。暫くの間それを眺めたビナーは、優しくペンダントの蓋を閉める。
音を立てず閉じたペンダントに反射した光が、ビナーの目元の雫を光らせていた。
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