第19話 水桶
「何でここに?」
「いや、秋。こいつが行こうって……」
「ん?何々……。ああ!賢人君か!おっきくなったなあ。ってもしかしてこの二人友達か!ごめんなあビックリさして」
「「いえ!大丈夫です!」」
どうやら刺青の人は父さんの職場の同僚らしい。僕の事も知っている様だが記憶にない……。
「しゃあないよ、賢人君がちっさい時やったし」
と気さくにそう言って湯船から出た。さっきまでは背中だけしか見えていなかったが、湯船から上がったこの人の体は凄かった。一番は背中の刺青が目立ったが、他にも前の方に傷がいくつもあった。それに筋肉が凄かった。引き締まった体で、僕は初めてエイトパックという物を見た。
秋と呼ばれた人が上がったら、父さんも直ぐに湯船から上がった。そして僕の前で止まると、
「友達が出来たのか?」
「う、うん。一緒に遊んだから多分友達?」
僕が不安になって二人を確認すると、二人共笑顔で頷いていた。そんな二人を見て少し嬉しくなった。
どうやら父さんも同じだったようで、
「そうか」
と言って笑った。だが少しの間何かを考えていたようだったが、秋さんを追う様に風呂場を後にした。
父さんがいなくなって数分、体を洗い終わり今度は僕たちが湯船に浸かっていた。大きく息を吐いてから、将太が言った。
「それにしてもあの虎の刺青、凄かったなあ」
「虎も凄かったけど、僕は灰野のお父さんの方が凄いと思ったな」
「え?何かあった?」
「お前見て無いのか?龍だよ龍。昇り龍が彫ってあったぞ」
「……え?父さん刺青入ってんの?」
「「何でお前が知らないんだよ」」
衝撃の事実を知った瞬間だった。
————————とある居酒屋
「それにしても、賢人君。母親そっくりやったなあ、びっくりしたで」
「え?そうなんですか?」
「そうやで~。室橋、お前も一緒におったら見れたのになあ」
「流石に刺青入った人たちとお風呂は嫌ですよ」
そう言った室橋の首根っこを秋が掴む。そして頭の頂点、髪の生え際辺りを拳でグリグリと押した。
「かー!後輩のくせに生意気やなあ!」
「秋さん、飲みすぎですよ!ほら方言も隠せてないし」
「じゃかあしい!後輩は黙って先輩のいう事聞いてたらいいねん!」
だるい先輩が後輩に絡む図は、見苦しい事この上なかった。
そんな二人を正面に見ながら、龍二は酒とつまみを口に運ぶ。これが毎回のお決まりだった。
「ホントに賢人君見た瞬間、え?ってなったわあ~。似すぎ、もうそっくりや!十数年前に戻ったみたいやった。なあ龍二?」
「秋さん、おっさん臭いですよ」
秋にそう言われた龍二は黙っていた。
それもいつも通りという様に、秋は真剣な表情で口を開いた。
「未だ引きずっとるんか?十年間、あの子と目も合わせへんかったやろ。玩具与えて満足か?なあ龍——————」
ダン!!という大きい音を立てて、龍二が飲み終わったジョッキを机に叩きつけた。
「俺は……!!いや……すまない。今日はもう帰る」
そう言って席を立ち店を後にする龍二の背中は、何処か寂しげだった。
二人きりになった空間は何とも言えない雰囲気になった。他の客の談笑する声だけが響く中、室橋が口を開いた。
「秋さん。毎回思ってたんですけど、何で龍二さんが帰っちゃう様な話をするんですか?この空気、最近になって慣れてきちゃったんですけど」
秋はそう聞かれたが、しばらくの間グラスに入った氷を回してそれを眺めているだけで口を開かなかった。
だが、氷が解けてカランという音がしたとき、グラスを回す手をピタリと止めて言った。
「酒の席や無いと話されへん事もあるからなあ」
「でもいい加減しつこいですよ?」
「せやなあ……。かれこれもう十五年になるなあ」
「うえ…。そんなに長い間言ってるんですか?引くわー……」
そんな後輩の軽口を、先輩は聞き流していた。神妙な顔をした秋は、どこか寂しさを纏っていた。まるで先程の龍二の様に……。
「なあ室橋。水桶ってしってるか?」
「え?あの木で作られた奴ですよね?水をためる」
「それや。もし桶が泥で汚れてたらどないする?」
急に意味の分からない質問をしてくる先輩の事を不思議に思った室橋だったが、普通に考えて答えた。
「そりゃあ…。洗いますよ」
「そうやろうな、それが普通や」
「何が言いたいんですか?」
「水桶に泥が付いてたら、手で洗うかずっと綺麗な水を流し続ける。そうすれば最初は汚れた水しか貯まらんくても何時かは綺麗な水が桶いっぱいに貯まるようになる。でもなあ……。桶に穴が空いとったら意味が無い。その穴がデカければデカいほど、水の流れる速さは早くなる。まして、桶の大部分を支える、底がごっそり抜けとったら水は一瞬たりとも貯まらんのや」
室橋は、秋が言いたいことが何なのか分からなかった。だが一つだけ分かった事があった。
それは……。
「先輩。飲みすぎです、顔真っ赤ですよ。帰りましょう」
「ん?そうか?」
電気が輝く夜の街。多種多様で多色な光を背に、室橋が肩を貸して秋を家まで送ることになった。
これも、いつもの光景である。
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