第138話
戦闘が激化する中、歌姫の歌声がプレイヤー達の耳に届いた。想定していた時間より何時間も早いバフに誰もが希望を抱いた。歌姫が歌姫である所以、唯一無二のオールバフ。全ステータスの強化及び少量ではあるが常時HPが回復する。つまり一時戦線から離れれば理論上フルHPで戦線復帰が出来るゾンビ戦法が可能になったのだ。
「作戦変更!ヒーラーは回復効果上昇にチェンジしMP温存。事前に決めていたタンクとアタッカーの二人組で行動しろ!希望はあるぞ、一匹たりとも城と歌姫の元へ近づけるな!」
指揮者の声が響き、即座に作戦通りに実行される。今までHPが減ったものを全回復させてきてMPがなくなりそうだったヒーラーが、歌姫の登場によりその役目を交代できるためサポートに専念できる。これだけでだいぶ戦いがやりやすくなる。
だが、指揮者は不安だった。これまでの戦闘で、ただの一度も上位魔族を確認していないからだ。今も低レベルの魔物と数体の高レベル魔物部隊を相手にしているだけ。それですらこの消耗具合なのに、これで魔王やその側近などの幹部クラスが来たらどうなるのか…………。
その不安は、実は杞憂ではあった。ほとんどの幹部クラスはこの戦争に不参加だった。魔王もまだ完全掌握が出来ていない為、一部の上位魔族しか従えてはいない。だが魔物の物量で相手を疲弊させたり、戦略で相手を追い込む等中々頭の切れる男だった。
それに、幹部クラスが居ないわけではない。数が少ないとは言うが腐っても上位魔族、それに数百年という長い時を生きた者がその戦場にはいた。
爆発音とともに、最前線のプレイヤー数十名のデス通知が指揮者の元に届く。そして高い魔力反応を感知した。
「幹部クラスだ!c4地点にバフを集中させろ!」
前線左側に戦力を集中させる。だが、時間稼ぎにしかならないだろう。
援軍要請を聞きつけた隣国の兵士と、帝級プレイヤー二人。ザックと海神が到着すればこの戦況も覆るだろう。隣国の兵士は二時間後、ザックは別大陸にいるから六時間以上かかる。海神は水上の移動は一瞬だろうが陸に上がってからが問題なのでたどり着けるかすらも怪しい。
帝級二人の援軍は無い物としても、隣国の兵士が無事に到着すれば時間は稼げるはず。
「頼む…………持ってくれ」
拳を握りしめ戦況を観察する指揮者の目の前に仮面をつけた何者かが現れた。突然の事に驚いた指揮者は遅れて剣を抜き後退した。
真っ白な仮面と真っ白な長い髪。高価そうな燕尾服に身を包んだ男は冷笑と共に指揮者を一蹴した。
「こんなものが指揮官とは…………遊びに来る価値も無かったな」
戦場に流れる多くの血を集め、頭上に大きな球体を作り出す。重く低い声で呪文を唱える男に数名が切りかかるが、抵抗むなしく球体の糧になる。
半径十メートルほどのどす黒い球体が出来上がり、男が口を開いた。
「爆ぜろ」
瞬間。魔物も人間も関係なく無数の槍がその体を貫いた。
彼の名は、ヴァルグラム。潜血の異名で恐れられる男であり。全ての吸血鬼の祖、原種の吸血鬼である。争いを嫌う彼は大きな戦争に介入し流れる血全てを奪ってどこかに消えていく。
「これは…………間に合いますかねえ…………」
戦場に流れた血に潜り少しずつ準備を整える。その間も血の回収は忘れない。
刻一刻を争う彼の前に、一人の少女が立ちはだかった。真っ赤な髪を2つにまとめ不敵に笑う少女は、血に潜み見えるはずのないヴァルグラムを確かに捉えていた。それに気が付いたヴァルグラムも地上に戻り少女を見る。
「…………イーシェナ、貴方ですか。邪魔をしないでいただきたいのですが?」
「ヴァル翁。これは魔族の問題だ。あまり出しゃばられても困る」
話をする間も血の回収を止めないヴァルグラム。それに腹を立てたイーシェナがヴァルグラムの持つ宝玉を右手ごと消し飛ばした。その衝撃で宝玉に貯められていた血が一気にあふれ出し辺りは真っ赤に染まる。
だが、二人には血の一滴も降りかからず透明なバリアがそれを防いでいた。
「はあ…………。この戦はその様な次元の話ではない気がするのですが?」
右手を失ったヴァルグラムは冷静だった。すぐに右手を再生し乱れた身だしなみを整える。
内ポケットにしまってあった懐中時計を確認し、大きなため息をつきイーシェナに文句を言った。
「貴方も知っていますよね?私はアレの声が嫌いなんです。少し前も似たような声を聞きましたし、いい加減我慢の限界なんですよ。それに、しばらくは負のオーラの比率が恐ろしく高くなりますよ?後始末に奔走するのは貴方も同じだと思いますが?」
「分かっている。だが、あの馬鹿共も一度痛い目を見なければ分からんだろう。同族の責任は、王である私が取らねばならん。たとえ皆の記憶から消え、今はそうではないとしても王であったことに変わりはないからな」
「元を辿れば、全ての種族の記憶を変え、王の座を退いた貴方の責任です。アレが出てきた後の後始末は貴方に全て任せますからね?」
苦笑いしながらヴァルグラムを見つめるイーシェナ。その間も、二人の周りでは戦闘が続いていた。
ただゆっくりと、そして二人を認識することも無く、別世界の出来事をガラスの外側から見ているような感覚。イーシェナの時間結界の外側の出来事だ。
「分かっている。流石にそこまで気が利かぬわけではない。それに、最近使えるやつと合流してな。まあ何とかなるだろう」
「まったく…………どうなっても知りませんよ」
「すまぬな、少しの間我慢してくれ」
ヴァルグラムが姿を消し、イーシェナは指を鳴らす。
パチンッという音が響いた瞬間、世界は元の速度で動き出した。静かに戦場を見つめる少女は、空高いところにある気配へ意識を向ける。期待のまなざしと共に口角が上がるイーシェナ。その視線の先には、今まさにステラの元へ向かうケントの姿があった。
「どれ…………奴に声でもかけておくか」
ライブ開始時刻まであと三時間。戦場では隣国の兵士が到着した頃だった。




