第132話
地より這い出たそれは自らの重みを制御できず、その場にとどまる事しかできなかった。
霧の様な見た目とは裏腹に、その地を通る者達に絡みつき振り払えない枷となって人々を苦しめた。だが、それはそんな事望んではいなかった。いつか大空に飛び立ち、誰の迷惑にもならずに生きていく。そんな叶う事のない願いを夢見ながら過ごすこと幾年。それは運命の出会いを果たす。夢を叶える力と名を貰い、一生をかけて使える主人を得た。この感謝の気持ちを、言葉に乗せて伝えることが出来たらどんなに良かったか。
もう、彼女は居ない。だが最近確かに感じたあの気配。忘れることは無い懐かしい気配を探して、今日も漂う。かつての盟友を尻目に、あの光を目指して…………。
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長い廊下を歩きながら、簡単にスフィアについての説明を受けていた。
言語能力は無いが言葉を理解できる魔物で、普段は温厚な性格だという。ただ、侵入者や侵略者に対してはその限りではなく容赦のない攻撃を食らわせるらしい。
僕たちが入り込めたのは、一時的にスフィアが他の事に夢中だったからだろう。
「本来であれば鈍重の霧に体を包まれ落下するところですが、今回は普通には入れて良かったですね」
重要なことを言っていなかったライブラには後で話をするが、今の状況は本当に幸運が重なった結果と言えるだろう。スフィアが言葉を理解しているのであれば、身振り手振りで対話が出来る可能性もある。
ただ、心配なのが侵入者と認識され攻撃されることだ。間違っては無いのだが、別に物を取りに来たわけでも壊しに来たわけでもない。戦いが起きるのは避けたいところではある。
「私も居ますし心配は無いとは思いますが、一応警戒はしておいてください」
真面目な顔でそう注意を促すアイ。その真剣な声色とこの場の雰囲気が相まって緊張感が走る。
いつ攻撃されてもいいように杖を前に構えながら歩く。一歩一歩足を動かすたびに、少しづつ足が重くなる。違和感を感じ足元を注意深く観察する。よく見ないと分からないが確かに何かが動いていた。
「ねえ?なんか動いてるんだけど?」
恐る恐るアイにこれの正体を聞いたが、そんな僕を見てクスクス笑いながらアイが答えた。
「これはスフィアから漏れ出る霧ですね。長年管理をしていないせいで装置にヒビが入っているんでしょう。体に悪影響を与えるものではないので安心してください」
そうはいっても結構きついんだけど?急な坂道を上っているような感覚に頭を悩ませながら足を動かす。疲労感が増し肩で息をしているのが分かる。体力は結構あるはずなんだけどこんなに疲れるのは理由があるのか?
「スフィアの霧には疲労効果も付きますからね。トレーニングには最適と有名でした」
そんな豆知識を聞きながらひたすら歩く。途中から若干の下り坂やカーブを挟んでいるので下っていることは分かる。分かるんだが……。
「長くない?」
「そうですね……。実際はそこまで距離は無いんですが疲労感の影響で倍歩いているように感じるのではないでしょうか?」
先に進んだ人たちも見えない。余程体力があるようだ。
それにしても長い。杖を歩行補助として使わなければ前に進めないんじゃないかというレベルで疲れている。
そんな僕に希望の光が顔を見せた。扉だ……。いかにもな扉があるぞ!
あんぱんさんたちの姿は無いようなので、待ちきれずに入っているのだろう。とりあえず少し休憩してから中に入るとしよう。
扉にもたれて腰を落ち着けた。ここまでくるとよく見なくてもスフィアの霧が確認できる。扉の隙間から結構な量が漏れ出ているのだ。だがそのほとんどが換気口のような場所から外に出ていた。
水の性質のようなものらしく重い霧はそのまま下へ流れ、軽い霧は換気口へと向かっている。つまり純粋な重い霧が僕を襲っていたという事だ。あれだけ足が重くなっても仕方ない。
謎が解けてスッキリしたところで、扉に手をかける。取手がさび付いているのか中々開かない。
(おかしいな……前に来た人が空けていればこうはならないはず。ここまでは一本道だったしすれ違う事もないと思うんだけど……)
若干の違和感を感じながらも取手を力いっぱいひねる。何かが壊れたような音が扉から聞こえたかと思うと勢いよく扉が開き、同時に部屋に充満していたであろう霧が轟音とともに外に飛び出す。
ここで確信したがこの部屋には僕以外に誰も来ていない。あんぱんさん達に何かあった可能性がある。確率が高いのはHPがなくなったことによるデスポーン。つまり強制退場だ。
先程のアイの言葉を思い出し杖を構える。僕が進まないことを見かねてか幼い少年のような声が頭に響く。
『怖がることはない星の子よ。私はずっと貴方を待っていた』
脳内に直接語り掛けている存在は目の前にいた。大きな半円上の球体の中にいっぱいに詰まった黒い霧。その中央にある大きな一つ目がこちらを見ている。優しく微笑んでいるようなその霧は僕と目が合ったことに気が付くとその大きな目に涙を浮かべた。
『おお……。確かに星の因子を感じる……。この時を待ちわびていたぞ』
「ライブラの事かな……?僕が因子を持っているとどうなるの?」
僕がそう問いかけると、大きな瞳が左右に動く。
『違う』
ああ、さっきのは首を振ってたんだ。
というか今気が付いたけど普通にしゃべってるな?言語能力は無かったんじゃないのか?不思議に思いアイの方を見たがどうやらアイも驚いているようで僕と同じような顔をしていた。




