9話 アタミの少女
ヤーダ伯爵領、アタミ。海が近く、古代の港があり街は上下水道も浄化装置も遺物ではあるが使っており、小綺麗な住みやすい街。街灯もあり、近くには温泉もあり、魔石を落とす魔物が蠢くダンジョンも近くにある。塩精製ファクトリーは海水から塩を精製し、古代カジノは珍しいアイテムと引き換えにしてくれる。農地も広くそこらへんの領主とは比べ物にならない豊かな土地。
それがアタミである。
かつての話だ。
今は海の沖には大王イカやシーサーペントがおり、討伐する軍艦もなく船を出せない。街灯も魔石が足りないために所々停止しており、温泉地区は幻獣が住み着き塩精製ファクトリーは魔石不足でかなりの間動いていない。カジノは遥か昔に停止しており、農地は過去の大地震による津波によりその半分近くが塩害を受け、さらに塩害となった農地にまで海の幻獣が現れだしたために大幅に減った。
過去の栄光はいつのことやら、今は貴族たちからは貧乏領主と馬鹿にされている。それがヤーダ伯爵領であり、昨今は訪れる商人もまばらとなっている。
そんなアタミは貧乏な暮らしをしているが、困窮はしていなかったために、人々はその地を去ることはしていなかった。
その理由はともかくとして、人はとりあえずは日々の暮らしを守っていた。
今、埠頭から街までを釣り竿を肩にかけて、麦わら帽子に少し解れている多少パッチワークが目立つワンピースを着た少女が走っていた。
「お爺ちゃん、こんな魚が釣れたよ!」
木製の小さな家の玄関をガラリと勢いよく開けて、少女は魚籠を翳して嬉しそうに叫ぶ。
「おぉ。大量に釣れたのか?」
小さな家と言っても廊下もあり数部屋はありそうな和風の平屋で、土間には竈も置いてある。
廊下の奥から老齢のお爺さんがニコニコと顔を嬉しそうにしながら問いかけてくるので、少女はニコリと頷く。
「小魚ばかりだけど、結構多いよ。最近は釣れにくくなってたから、久しぶりの大漁かな」
「そうか、そうか。それなら領主様も喜んでくれよう。真魚、領主様のところに行き売ってきなさい」
「は〜い。それじゃ行ってきまーす! 売ったお金でお米とか買ってくるね!」
「それは良いのぅ。畑に出とる息子らも喜ぶだろ」
真魚と呼ばれた少女はふふっと微笑み、お爺さんに手を振りながらすぐに家を出る。魚は鮮度が大事なのだ、早く領主様のところに届けないといけない。
てってこと走り、街の中を抜けていく。途中途中で少ないながらも野菜売りや、塩売りのお店があり、店主たちが手を振ってくるので笑顔で挨拶を返す。
「おう、真魚ちゃん。元気そうだな、大漁だったのかい?」
米問屋の若旦那が声を掛けてくるので立ち止まって足踏みしながらお喋りをする。
「うん! 大漁大漁。埠頭にはすれていて釣れにくい魚ばかりだからね。私の腕ってところかな」
多少おちゃらけて力こぶを作ってみせると、ワハハと店主は笑って返す。立ち止まったのは、お喋りをするだけではない。
「領主様の所に行ったあとに、お米買いに来るからよろしくね!」
「お、大漁なのは本当みたいだな。わかった、おまけしてやるから早く行っておいで」
「おまけと聞いたら急がないとね! 行ってきまーす!」
やったね、おまけだよと、足に力を入れてもっと速く走る。街の中では景気が悪いために露店もなく、お店も閉まったままのものが多い。パン屋さんなんていつから開店していないのだろうか。……小麦は高いから仕方ないが。
みんなの顔は暗くはないが活気はない。景気が良くならないかなぁと、13歳ながら将来は暗いかもと多少思いながらお城に到着した。
「こんにちは〜、海辺の魚採りの佐伝の娘、真魚。お魚を売りに来ました〜っ!」
門番さんに元気よく伝えると、来たなとニヤリと嬉しそうに笑ってくれる。
「よし、通って良いぞ。裏口の厨房に行くように。料理長が買い取ってくれるであろう」
顎をあげて、フフンと偉そうにするが口元がニヤけているので、芝居がかっていると思いながら両手をあげて、演技にのっかる。
「へへ〜っ。お代官様」
古代のお伽噺みたいなやり取りをして、プッと吹き出して二人で笑い合う。こんなやり取りができるこの領地の騎士様が私は大好きだ。裏口はすぐに厨房に繫がっている。そこで買い取りをしてもらうのだ。
それじゃ、裏口に行って来ますと手を振って再び駆け出す。すぐに裏口は見えてきて、扉は開けっ放しだったので、コンコンと一応扉を叩きながら中に入ると、名料理長がコンロの前で鍋に何かを入れていた。
お味噌汁かな? とこの匂いはきっとそうに違いないと思いながら、声を掛ける。
「こんにちは、奥様。今日はなんのお味噌汁ですか?」
声を掛けられた女性はこちらに顔を向けふわりとした微笑みで返してくる。
「こんにちは、真魚ちゃん。お魚が採れたのかしら?」
白銀の髪の毛をキラキラと輝かせて、10代にしか見えない若々しい姿の優しげな穏やかな顔立ちの美女。ミント・ヤーダ伯爵夫人。『闘気』を纏っているために、お肌もツヤツヤで本当に子供が3人もいる人とは思えない。
「はい! たくさん採れたんですよ、見てください」
魚籠を手渡そうとすると、一緒にご飯を作っていたメイドさんが受け取って、ミント様に見せる。魚籠の中身を見てミント様は花のような微笑みで口元を綻ばせてくれる。
「凄いわ。20尾近くあるのね。それじゃ、高く買い取らないとね」
フフッと優しげな微笑みで手を拭うと、ポケットに手を入れて、通貨を取り出して手渡してくれた。チャリンと音がして、幾らかなと見ると……。
「500銭も! 駄目ですよ、ミント様。この魚籠の魚は……その、そこまで高くないです……」
買い取ってくれる時に少し高値にしてくれるとは思ったが、こんなに高く買い取ってくれるとは思わなかったので焦ってしまう。正直雑魚ばかりだ。普通に売れば50銭にもならない。30銭程度が良いところだ。
「良いのよ。真魚ちゃんがせっかく持ってきてくれたのだもの」
私の頭を撫でてくれて優しく微笑むミント様。ヤーダ伯爵を始めとして、ここの領主様一家はとても優しい。
こんな雑魚を高値で買い取ってくれて、作物などの買い取りも相場より高い。そして税金も安いと寺子屋で習った。
ミント様は綺麗な洋服を着ているが、何度か会ったら着回しているのがわかった。普通の高位貴族はめったに着回すなどしないらしい。それだけお金持ちだと言っていた。
そしてこの伯爵領も人口は多い。村だっていくつかある。貧乏だと言われているが、たしかに私たちは貧乏かもしれない。けど民が貧乏だからと、領主が貧乏になるというわけではないらしい。
他の領地などでは8公2民の税率を貧乏でもないのに民にかけている場所もあり、贅沢に暮らしている貴族が多いとか。まともな貴族もいるが、貧乏な領地ほど税率が高いのだと、この領地はその税率が3公7民の為に極めて安いと教わった。
王家に上納するのは2公分の年貢、もしくは金銭の為、伯爵は1割しか手元に残らないらしい。
それはすべて私たちを思ってのことだ。裕福ならば税率が高くても良いが、貧乏な所に重税を掛けられたら、人々は困窮して明日をもしれぬ生活をすることになるであろう。
こんなに良い領主はヤーダ伯爵だけだと先生は嬉しそうに語ってくれた。私も領主様たちが大好きである。
「ありがとうございます、ミント様。それでは遠慮なく頂きます。毎度あり〜っ!」
深々と頭を下げて感謝を表すと、ミント様は優しい手つきで頭を撫でてくれながら
「あと、庭園に寄っていきなさい? そろそろ収穫できるお野菜があるはずだから」
と、お茶目にウインクをしてくれるので、ますます嬉しくなり、礼をして帰ることにする。
正面玄関の庭園は見事である。綺麗な木々に草花。メイドさんやジーライ老がお世話をしている庭園だ。
見かけだけは……。
実際は野菜や果物の木とかだ。林檎の木に、キャベツやキュウリ他にもたくさんの野菜が育てられている。自給自足が基本らしい。塩害で野菜などが輸入に頼っているところもあるので高い。なので領主様は少ないながらにも、収穫した野菜を格安で市場に卸してくれている。
庭園につくと、領主様の娘さんがてこてこと歩いていた。白銀の髪の毛した勝ち気そうな少女リーナ様だ。隣を歩く幼女と手を繋ぎ散歩をしていた。
「リーナ様、ネム様、こんにちは!」
元気に声を掛けると、リーナ様はニカッと微笑む。
「真魚じゃないっ。久しぶりね」
「うん、今日は大漁だったから、領主様のところに買い取ってもらいにきたの!」
空になった魚籠を手で揺らすと、なるほどねとリーナ様は笑顔で頷く。
「真魚さん、お久しぶりです。元気でしたか?」
手を繋がれている幼女がまるで美しい風鈴の鳴る音のような声音で挨拶を返してくれる。
「私は相変わらず元気ですよ。それが取り柄ですしね」
力こぶを作りながらネム様に言う。リーナ様も白銀の髪の毛を持ち美しい顔立ち。将来は美女になるだろう容姿だが、ネム様はなんというか……美しさのレベルが違う。
5歳なので可愛らしいのは当たり前だが、その容姿は真っ白な肌に儚げな笑み。銀糸のような髪の毛が腰まで流れるように伸びており、宝石よりも美しいその瞳。スッキリとした鼻梁に、薄いピンクの小さな唇、そして抱えられそうな小柄な触ったら砕けてしまいそうな華奢な体躯。愛らしさと美しさ、可愛らしさが融合した美幼女なのだ。
噂には聞いているが、魔力をほとんど持たないためだろうか、外にはほとんど出てこない。が、その聡明さと優しさは噂に登っている。儚げなのは魔力を持たないせいなのだろう。
「庭園を見に来たんですか?」
コテンと首を傾げて、母親似の優しい笑みで無邪気に尋ねてくるネム様。
「はい。ええと……その……」
野菜を貰いに来たとはなんとなく言いにくい。口籠るがリーナ様がピンと来たのかロザリーさんに命じて野菜を取りに行かせる。
「真魚は花を貰いに来たの。この庭園の花は綺麗だしね」
「そうだったんですか、お花とっても綺麗ですもんね!」
無邪気な笑みで両手をパチンと合わせてネム様が納得するが、野菜の花って微妙である。ネム様はここの花しか見たことがないんだろうなと思って、お外で遊べたら良いのに……と思う。隠れたお気に入りの花園とかを教えてあげたりしたい。
だが、きっとそれは大変なことなのだろう。こんなに可愛らしいネム様なのに、魔力がないなんて神様も酷いことをするなぁと、少し悲しくなってしまう。
「ありがとうございます、お花たくさんありがとうございます! それじゃ、また来ますね」
「はい、また来ますね」
さようならと頭を下げて帰りながら思う。こんなに優しい領主様たち一家に幸福が訪れますようにと。そして、この地が少しでも良くなりますようにと。
真魚は領主様たちが、この土地が大好きなのだから。