8話 精霊の愛し子
イアン・ヤーダ伯爵は日の本王国のアタミ領主である。ごつい熊のような体格に、髭もじゃの貴族らしからぬ強面の顔、ノシノシと歩くその姿は山賊の頭にしか見えない。
豪剣使いの戦士イアンとして王都では有名になりたかったが、聖女誘拐犯として有名なおっさんである。
足音を荒々しくさせて、石床をノシノシと歩き剣帯に下げた剣がカチャカチャと鳴る。煤けた松明飾りになにも調度品がない殺風景な薄汚れた暗い通路をメイドの先導の元に歩いている。
「あなた。本当に精霊が現れたのでしょうか?」
心配げな声音で声をかけられる。隣を歩くのはミント・ヤーダ。イアンの妻であり元は侯爵家の娘。聖女と呼ばれる程の癒やしの魔法に卓越した女性だが、領地に現れた幻獣との戦いにて、土地の裂け目に落ちたところを、支援に来ていたイアンに救われて、惚れて押しかけて駆け落ち同然に無理矢理結婚した。白銀の美しい髪の毛、優しげな癒やされるほんわかした顔つきで29歳であるが10代にしか見えない若々しい女性である。
イアンの遺伝子をねじ伏せて、子供たちは皆美形となったので、さすがは聖女、悪は勝てないのだなと貴族たちから喝采を受けたことあったりします。イアンの剣の腕とミントの魔法の能力も見事子供たちは受け継いだので、ますますその名声は高まり、髭もじゃは馬鹿にされたのだが、子供が優秀なので別に髭もじゃの名声などいらないであろう。
ただ、一人だけミントの容姿しか受け継げなかった子供がいるが。誰あろうネム・ヤーダである。容姿を受け継いだだけでもネムにはチートなので、哀れに思わなくて良いが、夫婦は心を痛めて心配していた。
ほとんど魔力がないということは身体能力も強化できない。その場合は子供でも耐えられるだろう毒や病気にも弱いということになる。儚げな容姿の子供だとは思っていたが、まさか魔力がないとは想像だにしなかったので、常に気を使っていた。
気を使わなくても、毒沼どころがバリア床もちょっとピリピリするのですと、なにも考えずに歩けるメタルな幼女であるのだが、残念ながら夫婦は知らなかった。
「うむ……話だけではわからないのだが、本当なのだな、ロザリー?」
「はい、お館様。どうやら依り代が城の壁に埋め込まれていたようで、脆くなっていたのでしょう、崩壊したあとに現れたようです」
先導するロザリーが頷くので、首を傾げて考え込む。そんな話は聞いたことがないなと。
だが、本当だからこそロザリーは報告に来たのだろう。ならば自分の目で確認するしかなかろう。
あの子は大丈夫だろうかと急ぎ足で進むのであった。
ノックをしてガチャリとドアを開けて中に入ると、可愛らしく小首を傾げてニコニコと笑顔で出迎えてくれるネムの姿があった。日の光に髪の毛があたりキラキラと輝き、華奢な触れれば折れそうな体躯の幸薄そうな我が子だ。
たしかにおっさんの魂が入っているので、幼女は幸薄いのは間違いない。
木の古いテーブルの上には、見たこともないほどの大きさのダイヤモンドがキラキラと輝きながら置いてある。国宝にもなりそうなダイヤモンドだと、その輝きに目を奪われてしまう。
「お父様、お母様、いらっしゃい」
「あぁ、ネム。大丈夫か? 話は聞いたが」
ズシズシと歩み寄ると、ネムの頭を優しく撫でながら尋ねる。キャアと可愛らしい声をあげながら、撫でられて目を瞑り嬉しそうにするので、その愛らしさに癒やされる。
類まれなる演技にて嬉しそうにするネムである。おっさんに頭を撫でられるおっさん……絵面最悪であるので、鉄の意思にてネムはそれを考えないことにしていた。知らぬは親ばかりである。意味合いが少し違うかもしれない。
「これがあの崩れた壁から出てきたんです。とっても驚きました。どっひゃーって、こんな感じで」
両手を掲げて、驚いたんですと、フラフラと小柄な身体をフラダンスでもするように揺らすネム。これ以上、演技をしない方が良いと思われる。
「これか? たしかに頑丈な石壁が崩れておる……」
イアンは崩れた石壁の穴を見ながら、ううむと顎に手を当てる。まるで幼女が頭を突っ込んだような穴が空いていた。
実際にアホな幼女が頭を突っ込んだのだが、余程の変人でなければ、その答えがわかることはない。
「で、これが精霊の依り代なのですか?」
ミントがダイヤモンドを見ながら、ネムへと尋ねるとコクンと顔を縦に振る。
「そうなんです。驚きました。のんびりとしていたら、壁が崩れたんです。私が頭を突っ込んだわけじゃないですよ? 本当ですよ? もしかしてこの壁だけ豆腐でできていたかも」
「あーあー。お話し中よろしいかしら?」
そろそろボロを出しそうな幼女の声に被せるように、ダイヤモンドがカタカタと震えて、念話が飛んでくるので、イアンたちは素早く剣を抜き身構えるが、気にしないように話しをダイヤモンドは続けてきた。
「私は精霊静香。この城を守護するために城にいたのだけど、いつの間にか私の加護を受けることができる子孫がいなくなったために長き眠りについていたの。久しぶりに私の加護を得られる子供が産まれたから目を覚ましたのよ」
「なんと! そんなことが……」
イアンはその言葉に驚く。我が祖先は精霊の加護を得られていたのかと。しかも人間と話すことができるほどの知性を持つことから、高位精霊に違いない。
「そのとおりよ、さぁ、ネム、私に顕現するように祈りなさい? 貴女なら、私を顕現させる言葉が頭に浮かんでくるはずよ?」
「……あれを言うんですか? 本当に?」
「精霊を復活させるためには必要なのよ! ほら、ハリーハリー」
嫌そうにするネムへと、ダイヤモンドは全く譲ることはなく、せかしてくるので、仕方ないなぁとネムはため息を吐く。
「えっと、顕現せよ、幸運の精霊静香よ! 我に加護を与えたまえ! 月給は10カラット以上の宝石いっこ。有給休暇あり、夏冬ボーナス付きで、福利厚生もしっかりと、年始年末の長期休暇もあり! もちろん契約書は後で書きます!」
なんだか精霊を喚びだす呪文には見えないが、静香は譲らなかったのだ。10カラットって高すぎるだろと抗議をしたが、譲らなかったのだ。中世レベルで伯爵ならこれぐらいの出費余裕でしょと。足元を見てくる宝石幼女である。もう、宝石から幼女に変身するので、宝石幼女とネムは心の中で呼ぶことを決心していた。
ダイヤモンドはパフンと煙をあげると、その煙が消えていく中で艷やかな黒髪をポニーテールにしている切れ長の目つきの美しい幼女へと変身した。
おおっ、とイアンたちが宝石が幼女に変身したその姿に驚き、ネムはロングコートにチャイナ服っぽい服装って、全然精霊っぽさがないよねとと半眼になっていたが。
たしかに冷静に見ると精霊には見えないのだ。小悪魔だと言われたほうが納得しそうな妖しき幼女である。ロザリーはヨダレを拭きなさい。
「私の名前は幸運の精霊静香。今後とも今の雇用条件でよろしくお願いするわ……なにか困ることがあるのかしら?」
ふふっと妖しく微笑む静香であったが、イアンたちが渋い表情となっていることに気づき、訝し気となる。
「うむ……精霊殿。我らでは貴女様から加護を得られることは叶いませぬ……」
苦渋の表情とイアンに静香は慌てて、ネムも首を傾げる。やっぱり契約条件が厳しすぎた?
イアンは己が妻と顔を見合わせて、ため息を吐きネムへと視線を送る。なんじゃらほい?
言いづらそうにイアンは口を開き、なぜなのかを説明することにする。ネムへは聞かせたくなかったが仕方ない。精霊に嘘は通じないのだから。
「実はですな……私は伯爵でありますが……その……金がないことで有名な………貧乏領主なのですよ」
「え〜っ? ちょっと嘘でしょ? だってこの娘からはお金持ちだって聞いているわよ?」
ブンブンと指をネムに振ってきて、喚くように静香は言う。俺は嘘は言ってないよ? こんなに大きなお城にメイドや騎士たちを抱えているし、ご飯だっていつも白米に味噌汁、刺し身や焼き魚、煮魚だって出たことあるんだよ?
ネムはコテンと首を傾げて、贅沢な暮らしをしているじゃんと不思議に思う。静香と交渉をするためのブラフかな?
イアン夫妻は沈痛な表情でネムを見てきてから、話を続ける。
「ひい爺さんの頃は金がありましたと聞いています。ですが今は……。港は沖に生息するシーサーペントや大王イカを退治できるほどの軍艦がないために、埠頭で釣りをする程度で交易や漁業での使用不可。海水からの塩精製ファクトリーは魔石切れで稼働しておらず、アタミワンダーランドの敵は段々とドロップする魔石の価値が落ちる一方。山間の温泉には幻獣が繁殖しており、使うことはできませぬ」
はぁ〜とため息をはき、ミントがネムの頭を気の毒そうな表情でナデナデしてくる。美女の頭ナデナデはご褒美だよねとネムは喜ぶ。一見話を理解していないように見える幼女である。
「この娘には産まれてから、砂糖などを食べさせたこともありませんし、お肉もめったに……」
え? まじで? と静香が驚きと話が違うじゃないと責める目つきで見てくるが、ネムも、え? まじで? と一緒に驚いていた。
毎日手作りご飯で最高だねと思っていたが、言われてみれば、そうかもしれない。大きい城だけど、メイドはロザリーを含めて5人。騎士も警備がスカスカになるぐらいに少ない。側付きメイドが俺にしかいないみたいだし。専用料理人もいないのでメイドがご飯を作っているみたいだから変だとは思ったんだよなぁ。
そっか、うちは貧乏だったのか。ドレスもないし、アクセサリーの類いをお母様がしていない理由がわかったよ。
白米と味噌汁、魚と漬物で贅沢だねと満足していたおっさんはようやく我が家の貧乏さを理解した。理解するのが遅すぎる残念幼女である。おっさんの知力はまったく役に立たないことが判明した。
ぷにぷにほっぺに指をつけて、なるほどねと納得するネムを見て、事態を理解したのだろう。静香は疲れたように肩を落としてため息を吐く。
「わかったわよ。それじゃ、いくらなら支払えるわけ?」
一気にやる気をなくしたので、足をプラプラさせながら、手をフリフリと振って、適当な感じで尋ねる。
「貴方……私が結婚するときに持ってきたアクセサリーの類いがまだあります」
「しかし、それは娘たちが嫁に行くときに渡すと言っていたじゃないか」
「精霊の加護をネムが得られるチャンスです。この好機は逃せませんよ?」
「ミント……そなたという妻を持ったことを私は誇りに思おう」
「あなたっ」
イアン夫妻の会話を聞いて、嫌そうな表情になる静香。まじでこんな重たそうな宝石を貰うつもり? とおっさんもうろたえる。静香が我が家に住むための演技なのに、大変なことになりそうだ。どうするのこれ?
「あ〜っ、わかった! わかったわよ! それじゃとりあえずは給金は3食のご飯で良いわよっ! そんな重たいアクセサリーなんか欲しくないわっ! その代わりに……ネムには月に何度か精霊界で踊ったり歌ったりしてもらうわ! 精霊界はこの世界と時間の流れも一緒だし良いわよね? それで幸運の加護を与えるわよっ!」
妥協するわよ、仕方ないわねと叫ぶ、一気にバーゲンセールも敵わない安さで自分を売り込む静香。その姿は小説やアニメでたまに見る契約条件を緩める召喚されたヒロイン悪魔とかに見える。
だが真実はただで我が家に住みつこうとする寄生宝石生命体である。加護なんてないのに、いかにもあげますよといった演技をする悪魔みたいな宝石幼女だ。
「うむ? 精霊界で踊ったり歌ったり? この娘が?」
「えぇ、彼女の清らかな心と魔力に私たち精霊は惹かれるのよ。きっと精霊界で喜ばれるに違いないわ。きっと歌のお礼だとなにかアイテムをくれる精霊もいるはずよ。危険はないから安心しなさい」
エッヘンと胸に手を当てて、ドヤ顔で言う静香にイアンたちは戸惑うが、ネムへと問い掛けてくる。清らかとはなんだろうか? おっさんの魂以外のことを指し示しているに違いない。
「どうだね、ネム? 光栄な話だが……」
「貴女は聡明な娘。自分で決めなさい?」
穏やかな優しげな微笑みで、決断をネムに求めてくるイアン夫妻。なんか美味しそうな話だ。親としてネムに判断を求めてくるが本当は行ってもらいたいに違いない。貧乏みたいだし。
5歳とはいえ、幼女に決断を求めてくるのは優しい両親なのだろう。
それに精霊界など、もちろんない。
行くのは別世界となるのだ。
未知の世界。きっと面白そうな世界に違いない。ついでに我が家の家計の手伝いもできたら、なお良しである。
娯楽のないこんな世界だ。答えはもちろん決まっている。
「お父様、お母様、私は精霊界に行って歌って踊って来ます。精霊さんたちとの出逢いも楽しみです!」
フンスと鼻息荒く、ネムこのビックウェーブに乗ることにした。隠れて出掛けなくても良いのだから。
サーフィンなどはしたことのない元おっさんはビックウェーブに乗ることにした。どうなるかは……今のところはわからない。
ともあれ、ネム・ヤーダ伯爵令嬢が「精霊の愛し子」として有名になる始まりであり
静香との凸凹コンビが日帰り次元世界旅行に行くことに決まったのであった。
その桜咲くような可憐な微笑みは陽光に照らされて、あたかも女神のように美しく輝いていた。
それとミントからの歌とダンスのレッスンが授業となった。