65話 おちゃめな侯爵家とキグルミ幼女
まぁ、さすがに冗談であったのだろう侯爵は、こちらへとにこやかに近づいてきた。
「おぉ、可愛い可愛い我が妹よ! 元気だったか? 痩せていないか?」
ドタバタと走り出して、ミントお母様を抱きしめる。ん? 兄なの?
「ミント様は歳の離れた末っ子なんです、ネム様。だから兄弟、姉妹に猫可愛がられていたそうです」
耳元に口を近づけて、こっそりとロザリーが教えてくれる。すぅはぁとネムの匂いを吸い込もうとして、呼吸音がうるさい。
末っ子かぁ。そりゃ大切にされるわ。お母様美人だし。それを奪い取った魔王イアン。うん、憎まれても仕方ないな。私も同じ立場ならイアンを退治するもん。
「もしや、そこの子供たちはミントの子供か?」
「そうです。お兄様。クリフにリーナ、ネムですわ」
ビルの問いかけに、ミントがそれぞれに手を差し出して紹介してくれるので、ペコリと頭を下げてご挨拶。
「クリフと申します。初めまして、ビル侯爵様」
「リーナと申します」
「ネムと申します」
子供たちの可愛らしいご挨拶に、ビルと呼ばれたミントの兄は相好を崩して、熱烈に抱きしめてくる。
「なんと可愛らしい。こんなに可愛らしい子供たちならば、親父もきっと仲直りをしても許してくれるだろう」
「お兄様、それでは?」
「あぁ、ここに訪問してくれたことで、もう仲直りをしたのは決定だがな。さ、居間に行こうか。美味しいお菓子をたくさん用意してあるぞ」
なんと可愛らしいと、ネムの頭を撫でながら、こっちだよと案内してくれるビル侯爵。おててを繋いで、ニコニコ顔だ。
まぁ、私は可愛らしいからねと、ふふふと微笑みを見せて、てこてこと歩くのであった。
「ありがとうございます、義兄さん」
イアンもホッと安心して息をつき、頭を下げる。
ビル侯爵は手をひらひらと振って、にこやかに微笑みを返す。その表情に憎しみなどは見えない。子供は仲直りをするためのカスガイなのかもれない。まぁ、大人気ないことはしないのだろう。
「剣聖殿。気にすることはない。これから私の騎士団に訓練をつけてくれるというのだからな。ありがたい。既に騎士団の皆は待ちわびている」
「は?」
ほら、あそこにと、指差すビル侯爵の指先には屈伸をしたり、腕をカポンカポンと鳴らしている強面たちが大勢立っていた。どうやら侯爵の騎士団の模様。
「ではな。一週間ほど訓練をつけてくれ」
「しかし、話し合いが……」
「想像はだいたいついている。ミントに聞くから問題ないだろ。そら、行ってこい」
ガシッと両腕を騎士団に掴まれてドナドナされていくイアン。違った、大人気なかった。仲直りは、イアンを抜かしているらしい。
「ケーキなどもあるぞ。食べたことはあるかい?」
「ケーキ? ケーキってなんですか、侯爵様?」
コテンと無邪気そうに首を傾げちゃう。ケーキ? 何ケーキかな? 私はチョコレートケーキが好きです。
しかしビル侯爵は違う意味に捉えた。不憫な……と顔を押さえて、そして笑顔でまた返してくれる。
「とっても甘い物だ。果物よりも甘いんだよ」
「甘い物! 私も大好きです、侯爵様」
「はっはっは。家族なんだから、ビルおじさんで良いんだよ」
「はい! ビルおじさん!」
可愛らしい白銀の髪をたなびかせて、ニコリと野花のような儚げな微笑みを見せる幼女に魅せられるビル侯爵は、ご機嫌で笑うのであった。
遠くからイアンの悲鳴が聞こえたが、きっと訓練を頑張っているんだろうね。お父様えらーい。
幼女の中の人は詐欺師のようにほくそ笑むので、誰か勇者が退治する必要があるだろう。
居間にて、ネムはびっくりした。真面目にケーキが置いてあったのだ。え? まじで?
ショートケーキにチョコレートケーキ、チーズケーキまでホールであるよ? こういうのって転生者が地元の人に出して驚かれるパターンじゃない? なんで私が驚いているわけ? おかしくない?
「さぁ、好きなだけ食べてくれ。美味しいぞ。きっとほっぺが落ちちゃうかもな」
ハッハッハと笑いながら、ビル侯爵はミントと目を合わせると、食べていてくれと去っていく。どうやら、秘密のお話があるのだろう。幼女は気にしないけどね。
「リーナお姉ちゃん。これはなんですか?」
一応知らないふりをして、ケーキを指差す無邪気なキョトンとした表情をするネム。リーナはう〜んと頭を傾げてしまった。リーナもよくわからないらしい。
「これは砂糖を使ったケーキというものだよ。チョコレートケーキにチーズケーキもあるね。王都に行った時に食べたことあるよ」
「へぇ〜、どんな味なの?」
ショートケーキをメイドが切り分けてくれるので、パクリと口にするリーナお姉ちゃん。ケーキを口にして顔色を変えてしまう。
「あまーい! なにこれ、果物よりも甘いよ!」
「本当ですか? 本当です、あまーい!」
姉妹揃って顔を綻ばせて、ケーキの美味しさに驚く。その様子を微笑ましいと、メイドたちは約1名以外は微笑ましそうに眺めていた。
なので、ネムは思うのだ。
日本酒ないかな? ここ。
幼女は焼き鳥と日本酒が欲しかった。幼女だから、飲めないけどね。ハンスちゃんモードなら飲めないかな? 飲めないか。
兄妹で、キャッキャッとケーキを食べて、笑顔になる光景に静香はよく演技ができるわねとネムを見て、薄く口元を笑みに変え、パクリと自分もケーキを口にするのであった。
あら、本当に美味しいわ、これ。
ミントは兄に連れられて執務室に移動していた。
「手紙では仲直りをしたいと書いてあったが、それ以外にもあるんだろ? 人手が足りないか」
棚に置いてあるワイン瓶とグラスを手にして、ミントを見てくる兄。
頭の巡りの良さは親譲りなのよねと、ミントはワイングラスを受け取る。
「世界樹が生まれた時はまだ良かったんですが、ダンジョンが復活してしまったので。圧倒的に人手が足りなくなりました」
「だろうな。ダンジョン経営は意外と大変だ。冒険者ギルドだけではなく、店も必要だし、増えた人口を食わすための食料も、そして肝心の税金に、治安維持のための兵士たち。まぁ、こちらも問題はない。うちの派閥には無職の次男、三男を抱える者が多い。喜んで伯爵領に行くだろうよ」
ワインをトトトと注ぎ、ニヤリと笑う。派閥の強化に繋がると嬉しそうだ。相変わらず権力争いが王都ではあるらしい。両親は王都勤めで大臣をしているのだ。それなりの勢力を保っている。
「ボルケンのような商人はやめてくださいね? あの商会がどれほど暴利を貪っていたのか、知りまして?」
ミントの言葉に苦虫を潰したような顔にビルは変えて頷く。
「まさかボルケンがな……あやつは小物だ。うちに媚を売るチャンスだと、反対に割引して塩を売っていると思っていた。小物なだけにこちらも看過してしまった。すまない」
「……ボルケンはどうしたんですか? 領地に戻ってきたのでしょう?」
「あぁ、戻ってきたので、話を聞いた。曰く嵌められたらしいな。本人曰く。自業自得だが。とりあえず、財産の半分を没収しておいた。これに懲りることはなさそうだが、あいつは大きなことはできないし、あの店に雇われている職人などもいるからな。ここが落としどころだろ」
ビル兄さんは肩をすくめて教えてくれるが、たしかにその辺りが落としどころだろう。
「マシな商会を紹介する。お前、子供に砂糖も食べさせたことなかったのか?」
「貧乏でしたので。騎士たちに払う給金も揃えるのが大変だったんですよ」
「それはこれまでの話だろ? 贅沢品を扱う商会も伯爵領に行かせる。もう少し良い物を食べさせてやれ」
たしかにこれからは砂糖も買える余裕ができた。子供たちに贅沢をさせられるだろうと、ワインを注いで貰いながら頷き返す。
それに満足しながら、ビル兄さんは真剣な表情になる。ワイングラスを手にして椅子に凭れかかりながら、ジロリと睨むように見てくる。
「で、精霊の愛し子とは何なのか聞かせてもらおうか? 王都でもチラホラとその名前が聞こえてきているらしい。少しまずいぞ?」
「それが話は少し長くなるんですが……」
魔力を持たないひ弱な身体の娘を思いながら、その身体に宿った精霊の愛し子という運命について話し始めるミント。
……少しの時間が経過したあとに、ビル兄さんは話を聞いて、顎に手を添えて考え込む。
「ふむ……精霊の愛し子……精霊界に移動できる能力を持つ……いや、高位精霊を従えている、か。しかもその力を狙って黒竜が現れただと?」
「はい。かなりの強さらしく人化して二度現れています。二回目は拉致されるところでした」
黒竜はかなり危険な相手だ。ドラゴンキラーも手に入っていない。そして黒竜の目的がなにかもわからない。
「そうか……こちらで預かっても良い、と言いたいところだがイアンのそばが一番安全だろう」
「あら? 夫を認めてくれますのね、お兄様?」
その言葉にからかうように言葉をかぶせて、ミントはわずかに小首を傾げて微笑む。
苦笑をしつつ、ビル兄さんはワインを呷る。
「あいつの剣の腕前は知っている。王国でも1、2を争うだろう。腕前だけは認めている。腕前だけはな」
「素直になってくだされば、もっと早く仲直りできましたのに」
「無理だな。あの髭もじゃに可愛い妹を盗られたと考えるとどうしても無理だ」
理性を上回る感情があるのだと告げる正直者の兄にミントも苦笑を禁じ得ない。それでも、仲直りのきっかけが起きたことにより、エスター家に戻れたのだから良しとしよう。
これもネムのおかげだ。精霊の愛し子の力……。良い力であるとは思うのだが……あの優しいが、か弱い身体の少女には厳しい運命なのではと不安に思う。
「それで、用件はこれで終わりだろ? あとは楽しんでいってくれ。久しぶりの実家だし、会いたい人も多いだろ?」
「はい。ご配慮ありがとうございます、お兄様」
「気にすることはない。……少し気をつけたほうが良いことがあるのだが…、まぁ、大丈夫だろう」
奥歯になにかが挟まったような物言いに、ミントは不思議そうにする。兄は身内には直接的な物言いをするはずだ。
その表情に、頬をポリポリとかいて、ビル兄さんは気まずそうにする。
「最近な……霧が発生すると行方不明になる者が多いのだ。が、月に一人とか二人だ。特に気にしなくても良いだろう」
そういうビル兄さんは笑い飛ばそうとするがミントはどことなく嫌な予感を持つのであった。




