39話 伯爵は決意する
むにゃむにゃとオメメを擦りながら、眠いですとネムはフワァとあくびをした。が、そのこめかみに汗をかいていたりする。
目が覚めたら、ロザリーが腰に小杖と小剣を装備したメイド姿で、ベットの側に立っていたのだ。ホラーかな?
「何かあったんですか?」
目を開けたら、目の前にロザリーの顔があって驚いちゃったのだ。いかに整った顔立ちの美人エルフでも、デヘヘ寝顔最高ですと、よだれを垂らしそうな笑顔だと驚きます。
「ネムお嬢様を護衛すべく今日はお側に侍らしていただきました」
きりりと真面目な表情で、先程の変態的行為をなかったことにしようとするロザリー。相変わらずの性格である。
「ん? 昨日着たパジャマと違いますね?」
昨日は三毛猫パジャマだったのに、普通のパジャマに変わっていることに目敏く気づくロザリー。まぁ、猫耳と尻尾をつけたパジャマから、普通のぶかぶかパジャマに変わっていたら気づくか。ニャンコなお嬢様可愛らしいですと、昨日は感涙していたロザリーだったし。
「その……。夜中に水を飲もうとしたら、水差しを零しちゃいまして。パジャマと床が濡れたので、床の水をパジャマで拭きました」
ほらそこにと、ベッドから離れた場所にある椅子の背もたれにかけてあるパジャマを指す。もじもじして、なにか失敗しちゃったかなぁと不安げな様子を見せながら。幼女だもん、こういうアホな行為もおかしくないよね? と頭がおかしいかもしれないおっさんは演技をした。
「まぁ。シーツは……濡れていないですね。お嬢様、あまりパジャマを雑巾代わりにするのは良くないことですが……。ちゃんと床を拭くのは良いことです」
なにを想像したのかベッドのシーツを触ってきたが、おねしょじゃないから大丈夫だよ。たしかによくある誤魔化し方だけども。
本当に水差しを零したのですね。ちゃんと掃除ができて偉いですと、頭をナデナデしてくるロザリーに、ほっと安堵する。髪は乾かせたが、パジャマは無理だったんだもん。乾燥系魔法が欲しい。
「ところで、どうしてそんなに物々しいんです?」
話を戻して、初めてのお掃除記念と呟きながらパジャマを洗濯かごに入れるロザリーにコテンと可愛く小首を傾げて尋ねる。なんでなのかなぁ、全然まったくこれっぽっちもわからないや。幼女わかんない。バブバブ。
赤ん坊レベルの雑な演技をしつつ不思議そうな表情をする。その問いかけに、真剣な表情でロザリーは重々しく言ってくる。
「お嬢様。後ほど伯爵様からお話がありますが、どうやらお嬢様は狙われているみたいです」
「へー、ソウナンデスカ」
若干棒読み口調で返したのは無理ないよね?
食堂でいつもの純和風の朝食を食べ終えたイアン・ヤーダ伯爵は恐ろしい強面の顔をさらに怖そうにしかめっ面にして、家族の姿を見回した。
愛するミントにクリフとリーナ、ネム。皆は緊張気味にこちらを見てくる。
「皆聞いてくれ。もう聞いているかも知れないが、この城に侵入者が現れた」
苦々しい表情で、昨日の出来事を話し始める。アタミワンダーランドの復活。魔石のドロップと敵の強さが大きく変動したこと。そこにいた謎の冒険者。精霊の愛し子がダンジョン復活にかかわっているらしいこと。
そして城内に侵入者が現れたこと、だ。
「この情報は、冒険者ギルドからと、そしてクリフとリーナ、ジーライからのものだ。よくやったぞ、クリフ、リーナ」
「その冒険者からは何も情報を得ることができなかったけどね」
「怪しい男だったわ! 伯爵家に呼び出して、持っている情報を洗いざらい聞きましょうよ、父様!」
クリフが残念そうな顔をして、リーナは過激なことを言う。
「クリフ。既にもっとも重要なことは知れたから問題はない。精霊の愛し子はどうやら、我々が考えていたよりも遥かに重要らしい。リーナの言うとおりに、その冒険者、たしかハンスという者を呼び出すように冒険者ギルドには伝え、騎士たちには人相書を伝えて街にいないか探し出すつもりだ」
なにかが精霊の愛し子にはあるのだろう。我々の知らないなにかが。たしかに世界樹の種を持ってきた時は驚いたが……。恐らくは精霊に気に入られたという簡単な話ではないのだ。
「あの……父様? 自由を愛するのが冒険者なんですよね? ハンスちゃんは冒険者みたいですし、自発的に言ってくれるのを待った方が良いのではないでしょうか? 自発的に。あくまでも自発的に。自由を愛する冒険者の心を重んじて」
ネムが幼いながらも、考えたのだろう。小さな手をあげて伝えてくる。たしかに冒険者は自由を愛すると言われている。ロザリーからそう聞いたのだろう。
優しい娘だと、顔を緩めて、ミントが優しくネムの頭を撫でるのを見ながらも、そうはいかないと教えてあげる必要がある。
「ネムよ。……そなたには酷な話だが、どうやらそなたは狙われているようなのだ。冒険者の気まぐれに付き合っている暇はない。緊急事態なのだよ」
「貴方。狙われているとは、私も聞きました。いったい誰が?」
ミントの気遣わしげな表情を見るに、侵入者が現れたとしか聞いていないのだろう。ただの侵入者だと聞いているのかもしれない。子供たちもそう聞いているのか、あまり危機感は見せない。騎士たちに守られている城ならばこそ、そこまで問題はないとも考えているのだろうが……。
「侵入者は黒竜だったらしい。初めは黒いドレスを着た女性に化けており、極めて危険だとジーライは言っていた。即死系、石化系の能力もしくは魔法を使うことが判明しており、見ただけで邪悪と理解できる相手とのことだ」
その言葉に皆は驚きを見せる。狙われた当人だからだろう。ネムは恐怖から身体をビクッと震えさせた。
「人語を解する竜だとすると、下級竜じゃないよね? しかも人間に化けれるレベルの竜だと……かなり危険なレベルだね、父様」
クリフが深刻な表情で確認してくるので、重々しく頷く。
「そのとおりだ。ジーライがなんとか追い払ったが、騎士の二人が骨折した。それにテレポートも使えるらしい。その場合はどこにでも入り込まれる可能性があるが空間転移は決まった場所にしか転移できん。城には転移ポータルはないから大丈夫だと思いたい」
「騎士たちがやられたのっ?」
リーナが驚き椅子から立ち上がるが、気持ちはわかる。ヤーダ伯爵領の騎士たちは生半可ではない精鋭なのだから。リーナは騎士たちの戦闘訓練に混じることもあり、騎士たちに懐いているから、心配に思うのはわかる。
「安心せよ。幸い骨折のみで済んだ。既にミントが治癒を行い回復済だ。ただ、危うかったのはたしかだ。石化の力にて死ぬ寸前であったのだからな」
石化は厄介な能力だ。即死系も厄介だが、即死系は抵抗しやすく発動率も極めて低い。だが、石化は抵抗しづらく発動率もそこそこ高いのだ。じわじわと石化をする魔法などは、極めて発動率が高く、騎士たちの苦手な攻撃の一つだ。
「ネムを攫おうとするし、騎士たちは傷つけるし、そんなやつ許せないわっ! 父様、その黒竜はすぐに見つけて、けちょんけちょんにしてやりましょうよ」
テーブルを叩きつけ激昂するリーナ。正義感の強い娘だから、無理もない。イアン自身、怒りで煮えくり返る思いである。
「あの……話し合いをしましょう、リーナお姉ちゃん。話し合いをすれば、黒竜さんともきっとわかりあえますよ。なぜ騎士さんが骨折をしたのかも明確にした方が良いと思います」
ネムが気遣わしげな様子で、優しい発言をする。竜。しかも自身を狙う竜に対して優しすぎる考えを持つ娘だ。その優しさはネムの大きな美点だが、受け入れることはできない。
「ネム、この世には話し合いをしない奴もいるんだよ。自分本位の考えしかしない連中がこの世にはのさばっていて、そんな連中はこちらが誠意を見せても、全く意に介さないんだ。それどころか、それを利用してくることもあるんだよ」
クリフが穏やかな口調で語る。幼いネムへ語るにはあまり良くない内容だ。まだ周りの人間は善人たちばかりだと思って欲しいが状況が状況である。もしも話し合いをしようと悪漢がネムに近づこうとした時に警戒をしてもらわないと、ネム自身が危険だ。
「わかりました。でも一緒にお話はできると思うんです……。今度お会いしたら出会い頭の一撃とかは止めたほうが良いと思います。まずお話しましょう」
絶対にお話はできると思うんですと、強い光を目に宿して、グッと小さな拳を握りしめるネムに、妻が困った表情でこちらを見てくるので、小さく息をつく。
優しすぎる者たちを守らなければならない。
「そなたの考えはわかったネムよ。だが、話し合いをするには危険すぎる相手だ。それ相応の準備をせねばなるまい。黒竜が話し合いをしたくなるような、な」
十全たる準備をせねばなるまい。幸いに手はある。
「今の我らでは黒竜は話し合いにのるまい。こちらを脅威と考える程に騎士たちを鍛え、武具を揃える。そのためにダンジョンに潜り、魔石を大量に稼ぐ。冒険者の真似事となるが仕方あるまい。塩を売った金は既に農地開拓と、世界樹の塩田に使うことに決めておるのでな。アタミワンダーランドの年間フリーパスを買うには、ハンスという男が売っていった魔石を冒険者ギルドから買い込む。精鋭にてダンジョンに潜り荒稼ぎをして、ドラゴンスレイヤーを大量に買い込む」
竜への特攻兵器ドラゴンスレイヤー。まさしくドラゴンを倒すだけの兵器。
領主がとる金を稼ぐ方法としては情けない限りだが、これが取り得る最善の方法だ。鍛え上げた部下たる騎士たちは冒険者などよりも遥かに練度が高く、その武具も性能が違う。
「もちろん、父様、私もいくわよ!」
「駄目よ、リーナ。お勉強をしないといけないでしょう?」
リーナの発言に妻がすぐに駄目出しする。えぇ〜と、リーナは残念そうだが、日常生活を崩すわけにはいかない。子供たちはまだまだ学ぶことがたくさんあるのだから。それに危険でもある。
「敵の強さが質の良い魔石を落とすことと連動して強くなっているらしいな? 今回は20層まで一気に駆け下りる。精鋭を連れて行くので、リーナはもちろん、クリフも連れて行けぬ」
イアン自身の最高階層は49層だ。あの時は単調な物理攻撃に、魔石も100アタミもドロップしなかったので、強さとあっていないと辟易したものだが……。
既にエレベーターを使えるパスは無い。あれは期間が決まっており高価なために買ったのは一度だけだ。自分が潜った階層まで移動できるパスであったのだが。もう一度最初から潜らなくてはならないために時間がかかるだろう。
強敵がいるかもしれないと思うと、領主にあるまじき期待から、戦闘を楽しみにするイアンであった。
「あのドラゴンスレイヤーより、ミスリルソードとか、スチールソードを買いませんか? 特化型は止めたほうが良いと思います。黒竜さんもびっくりしちゃうと思うので」
あくまで相手のことを慮るネムをミントが再び頭を優しく撫でていた。




