27話 商人と髭もじゃ領主
イアン・ヤーダ伯爵は実直な性格を表す殺風景な執務室で、椅子を立ったり座ったりと繰り返して、ソワソワしていた。実直な性格を表す殺風景な執務室といえば聞こえがよいかもしれないが、ただの貧乏貴族であるので、ひい爺さんの頃から使っているアンティークなガタがきた執務机に、椅子。あとは本棚に書類が仕舞ってあるだけの寂しい部屋だ。
「貴方、もう少し落ち着いたらどうなの?」
今にも壊れそうな椅子に座っている最愛の妻の呆れる声に、ふぅと息を吐く。
「仕方なかろう? まともな商人が来るのは久しぶりの話だ」
机に置いてある封筒をちらりと見ながら、どっかと椅子に座り、ミシミシと軋む音がしてきたので、慌てて立ち上がり、今度はそっと座り直す。
「まともかどうかはわからないではないですか。それなのに朝からソワソワソワソワ」
くすっと笑うと、少女のような若さに見える可愛らしい妻に、イアンは髭を触りながらしかめっ面になる。
「そんなことはわかっている。だがなぁ、相手は商売となれば信用できる上杉一族の者だ。かの者たちは商人として信頼できる誠実さを持っていると評判じゃないか」
「誠実さを持っていても、商人として名高いのですから利益を求めるスタイルは変わらないはずよ? 不利な契約はしないでくださいね?」
「あぁ、わかっている、わかっている。大丈夫だ、うまくやるさ」
手を振って、イアンは苦笑しながらも幸運が舞い降りたと考えていた。これを機にボルケンなどとは縁を切れるかもしれないと期待していたのだ。
そう、イアン・ヤーダ伯爵領に商人が来るのだ。しかも誠実さで有名な上杉家の者が。最初、訪問して良いでしょうかとの手紙が来たときにはなんの詐欺だと警戒した。
無理もない。この土地にはなにもなかったのだから。
今までは。
だが今は違う。我が愛する娘が精霊界より持ち帰ってきた世界樹の種。世界樹より産み出された精霊の塩は王都へと売れるか照会をかけたところ、即上杉家が手を上げてきたのだ。
幼女が聞いたら世界樹じゃないでしょと、世界樹の方からやってきましたとか、消火器を売るつもりかとツッコミを入れるかもしれないが、イアンたちの中では水晶のような幻想的なあの樹は世界樹となっていた。もはや決定である。鑑定結果よりも外見により世界樹だと決めつけていた。
コンコンとドアがノックされて、入室を許可するとメイドが顔を出す。
「ヤーダ伯爵様、上杉家の先触れが来たと騎士より連絡がありました」
「うむ、それでは出迎えに行こうではないか。家族全員でな」
イアンはニヤリと笑い、歓迎上杉様とかかれた横断幕を手にするのであった。
アタミの文化と言いはる、お客様を迎える最高の歓迎の仕方であるからして。
そうして家族全員、一張羅を着て出迎えに行くのであった。
「上杉家ですか?」
コテンと首を傾げて、サラリと白銀の髪をたなびかせて、見た目は華奢なか弱い幼女ネムがロザリーに尋ねる。
今は自分の部屋で一番良いドレスを着ている最中だ。あんまりネムには良い服は着せないほうが良いと思われるが。このおっさん幼女は速攻服を駄目にすることには定評がある。
まぁ、敵がいないので大丈夫かもしれないが。自分の世界ではおとなしい薄幸の美幼女なのだ。小柄な身体を傾けてドレスを着て、くるりと回転するとスカートが翻り、バタンとロザリーは床に倒れた。
「うう、この城に勤めて良かった。グッジョブ私」
変態のセリフはいつものことなので、スルーして再度問うとロザリーは立ち上がりながら教えてくれた。その切り替わりの早さは感心するしかない。エルフって、皆こんな感じなのかしらん。
「上杉家は日の本王国の東にある同盟国です。上杉王家が商売を支援しているので豊かな国で、かつては龍をも倒した一族です。越前、越中、越後、甲斐を支配していますね」
「へぇ〜、武田はいなかったんですか?」
いまいちこの世界の地理はわからないが、上杉ときたら武田もいるんじゃないかしらん。
「? 武田? 聞いたことはありませんがどこの貴族ですか?」
「いえ、なんでもないのです。教えてくれてありがとうございます、ロザリー」
不思議そうに聞いてくるので、これは誤魔化さないとねと、渾身のスマイル。ニッコリと野花のような微笑みで幼女がお礼を言うと、感激に身体を震わすロザリー。おっさんは演技だけはどんどんと上手くなっていた。その力を他に回す予定は今のところない。
「それとかの国は猫人族が主な人種ですね。国教としてネメシス教を保護しています」
「それって、黒いコートの神様ですか? どこまでも追ってくるやつ」
邪教再び。イザナミもそうだけど、この世界って名前からして邪教っぽいの多すぎじゃね? ネメシスって、黒いコートの大男じゃなくても、邪神の香りがするよ!
「いえ、ネメシスは厳格なる女神であり、最初にこの大地を築いた神として言い伝えがあります。とはいえ、そんな逸話を持つ神様はたくさんいますけどね。大地と海を司る神です」
「大地と海って、主神にしても節操がない神様なんですね。普通は一つに絞ると思うのです」
「それはネメシス神の由来が」
ロザリーが教えてくれようとしたが、コンコンとノックがされてので、話は中断された。
「ネム! 上杉家の商人たちがやってきたわよ!」
真っ赤なドレスを着たリーナお姉ちゃんが勢いよく入ってきて、笑顔で伝えてきたので。
まぁ、どうせドレイン系統とか、闇系統の防御魔法とかが優秀なんでしょと、ちっこい幼女は大人の真似をするように、ちょこんと肩をすくめて興味をなくすのであった。
ぽてぽてと皆に合流して、城門前にて上杉家を待つ。街並みが眼下には見えて、塀の外にはアタミワンダーランドがあり、森林や平原が広がっている。
長閑な風景であるが、田舎と言うには家屋が多く、その人口は馬鹿にできないほどだ。アタミのかつての栄光を示しているのだろう。
「栄えるための素地はあると思うんですけど」
細々と畑を耕し作物を収穫して日々を暮らす人々。余裕がないので育てている野菜の種類も少ないからなのだろう。大通りの市場が活気が全然ない。大通りだからこそ目立ってしまう。これが小さな街に狭い道路なら田舎だなぁで済んだのだが、なまじ立派な大通りなだけに、活気がないのが目立っていた。
静香さんはどう思います? 意見を聞きたくて隣を見たが姿が見えない。あれぇ?
「静香様は精霊力を使いすぎたから、勇者に転職するわと呟いて寝込んでいました」
「タンスや壺はもちろんのこと、宝箱の中身を取るのは犯罪ですと伝えてあげてくださいね?」
僅かに首を傾げて注意をしておくように言っておく。静香さんは水の世界でパワーを使いすぎたと言って寝込んでいるのだ。う〜ん、宝石が食べたい、どこかの幼女が仕舞っている宝石が食べたいと元気な寝言を言っていたのでスルーしておいたのだ。
きっと俺がいない間に、ヘソクリを探して食べるつもりなのだろう。けれども、絶対に見つからないようにしておいたのだ。ベッドの下に隠しておいたのだ。木箱に入れて隠しておいたのだ。
そんな簡単な場所に隠すんですかと、ロザリーからは幼女だからねと、見守るような温かい目を向けられたけど、俺は幼女だけど頭はおっさんなのだ。幼女よりも知力が落ちるからやめた方が良いと全世界の紳士が叫ぶだろうが、ネムは自信満々だった。
箱はダミー。その下の床石を外してそこに小袋に入れた宝石を隠してあるのだ。ふふふ、我ながら震えるほどの頭の良さだなとムフンと得意げに胸を反らしちゃう。
なので、リーナお姉ちゃんたちのアクセサリーなどが食べられないか不安なキグルミ幼女であった。
そんな余裕を持っているネムであるが、床石を逆さまに嵌め込んだために外から丸わかりで、お茶を飲みながらおやつ代わりにネムのヘソクリをパクパク食べている宝石幼女がいるなんて欠片も思わないのであった。
後でヘソクリが全部食べられて、満足そうにスピスピお昼寝している宝石幼女を見てショックを受けるのであるが、現在は幸せそうな笑みで上杉家を待っていた。
待っていたのだが……。
「ねぇ、ロザリー? あの馬車はなんで鉄でできているんですか?」
大通りを走ってくる車列が見えてきたので、ちっこい指を指して不思議に思う。
「あれは金と力両方がある者しか使えない、装甲馬車ですね」
ロザリーが淡々と冷たさを感じさせる視線で言うので、上杉家は嫌いなのかしらん?
「馬車にしてはお馬さんが引っ張っていません。なぜなんですか?」
「それは魔導力で動いているからです」
「あの、馬車から突き出している細い棒はなんですか?」
「あれは戦車砲ですね。彼らは魔導戦車と呼んでいます」
「……そうですか、教えてくれてありがとうございます」
ニコリと微笑みで返すが、口元が引きつっていないかしらん。マジか、この世界は戦車があるのかよ。いや、オートファクトリーなどがあることから予想して然るべきだったけど。
「過去、猫人族は何度となくエルフ族と戦争をしていました。……まぁ、エルフ族はその強すぎるプライドと自然主義により、他種族といつも戦争をしていたりするんですけど」
「それ、エルフ族はよく滅亡しなかったですね」
「まぁ、エルフ族が欲しがるのは精霊の多数いる森林など他の者たちでは価値を理解しない土地がほとんどですし、魔法に優れたエルフ族との戦いは被害が大きいので、すぐに和睦となるのです。エルフ族の魔法による支援をだいたい対価にして矛は収まります」
エルフって、現実でも小説みたいな理想主義と高すぎるプライドを持っているうえに、そういう現実的な取引もするとか厄介極まるなと舌を巻く。基本ステータスがチートな連中だことと、近づく魔導戦車を眺める。
先頭は魔導戦車。無限軌道のキャタピラを回しながらキュラキュラと走ってくる。その姿はお米の国のエイブラなんちゃらみたいに、平べったくシンプルなフォルムであるがゆえに格好良い。
後ろから装甲車も続いてくる。戦車に装甲車とふぁんたじ〜な世界にはピッタリの様相であるので半眼になっちゃう。
これ、人の力は必要ないんじゃ? と思ったがよくよく見ると機銃がない。装甲車は武装していない。対人専用じゃないのかな?
「一回の旅で大量に魔石を使うので、普通は使わないのです。恐らくはこちらへと力を示しているのでしょう」
そんなに警戒しなくても良いのにと思いながら車列の周りを追走する猫人族を見る。水の世界での渚たちの変身した後みたいな獣よりの人たちだ。
この世界で猫人族に会うのは初めてなので、獣よりの獣人なのだろうと思っていたら……。
「こんにちはだにゃん。私はこの商会を率いる長門渚だにゃん。一応長門伯爵家の長女だにゃんね」
装甲車から出てきて、ニッカリと笑顔で挨拶してくるのは、この間旅先で会った渚にそっくりの茶髪で褐色肌の猫人族だった。人よりの獣人である。ということは、もしかして警備のために変身済みなのかしらん。
世界には同じ人間が3人いると言うし、別世界も入れれば珍しくないかと、尻尾を触らせてもらえないかなぁと、おててをワキワキさせちゃうキグルミ幼女であった。




