17話 水の世界へ戻るキグルミ幼女
水の惑星アクアス。海に覆われているその惑星は大地が存在しないために、戦艦の上にて人々は暮らしている。
……というわけではなかった。
水の惑星のある地点に廃墟となった高層ビルが海の中から雨後の筍のように乱立している。いや、廃墟ではない。窓ガラスはなく、壁も崩れて半壊しているものも多いが、ビル同士を頼りないロープでできた吊り橋が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、屋上には畑が野菜を実らせていた。
水の惑星にて存在しないはずの、海中から突き出ている高層ビルの廃墟群。その不自然なビル群は人々の住居として使われており、戦艦都市が寄港する交易都市として名を馳せていた。
その名を16本木ポートという。
戦艦都市長門は現在補給のために16本木ポートに停泊していた。そして、海に近い場所にある階、嵐の時などは海の中に沈没してしまう貧民が住む階層に、古ぼけたランプが壁にぶら下がっている裏びれた酒場、貝の古ぼけたテーブルが並び、薄汚れた人々が集まるその場所では少しばかりいつもよりも煩かった。
「本当にゃ! 幼女が他の世界から現れて、長門の燃料を満タンにしてたにゃ」
騒いでいるのは、水田渚。猫人族の少女であり、長門にて、なんでも屋をその高い身体能力で営んでいる。
休暇を貰った渚は少ない小遣いを手にして、貧民地区の酒場に飲みに来ており、そしてこの間の驚くべく出来事を知り合いに話していた。
「おいおい、水晶燃料を満タンにできたって? 冗談も程々にしてくれよ。長門の水晶燃料を満タンにするには、ここらへん一帯の燃料をかき集めたって足りやしねえ。毎年消費する燃料なんて2%程度だろ? それだってかなりの燃料を食うっていうのに満タンになんかできるわけないだろ」
馬鹿にするように知り合いの猫人族の男が鼻で笑う。たしかにそのとおりだ。長門は特別巨大な戦艦であり、惑星全体で生産している水晶燃料を集めても満タンにできないと噂であるのだから。
水晶燃料とは、その名のとおり今は製造不可能の燃料生産用プラントが作り出すクリーンで万能のエネルギーのことである。
惑星を回遊する都市群が使うものであり、そのエネルギーの生産量は限られているので、長門一隻に燃料を集められるはずがない。そのため、男は酒の席の与太話と聞き流そうとして、渚は本当のことだとムキになって、うにゃーんと怒っていた。
「ここに来るのに、長門は空を高速飛行してきたにゃ! あんなに速い長門は見たことがにゃいはずにゃ」
「聞いたぜ、鉄島ヤドカリの群れに襲われたらしいじゃねえか。それでなけなしの燃料を使ったんだろ?」
「ちーがーうーにゃ。満タンって、言ったにゃ。艦長は今しかないと、長門を富士山へ向かわせる予定にゃよ。コントロールセンターを復旧させるつもりにゃ! そうしたらマーマン族に、もうでかい顔をさせなくてすむにゃよ?」
渚の言葉に周りで猫人族はニヤニヤとからかうように笑っていたが、暗い表情へと変える。
「そんな夢物語をまだ信じてるのかよ……。俺たちの夢だって言い伝えられているけど、夢は夢なんだぜ? 叶うわけがねぇ」
ポソリと力なく呟く男の言葉に、先程まで騒がしかった他の猫人たちも力なく頷く。よくよく見るとこの古ぼけた貧相な酒場には猫人族しかいなかった。皆が古着を着込み、貧相な格好をしており裕福そうには見えない。
「それができるにゃよ! 艦長はグラビティラムを復旧させるためにこの街に寄港したにゃ。復旧させたらエネルギーを補充して富士山の停滞障壁をぶち破って」
「お伽噺だって言ってんだろ! そんなエネルギー、どこから持ってくるんだ? 戦艦の本来の武器は莫大なエネルギーを消費するんだ! 使えるはずがねぇ。たとえ、エンジンの燃料を満タンにしたってな!」
ガンと銅製のジョッキをテーブルに叩きつけて怒号をあげて男は立ち上がる。
「夢が叶うなんて、希望を持たせるんじゃねえよ。そんな夢物語はもう子供しか持っちゃいけねぇんだ。お前もそろそろ成人だろ? 夢から醒めろ」
悲しげに言う男に、渚はグッと唇を噛みしめる。そんなことはわかっていた。もうかなり前に理解していた。だが、少し前に希望が現れたのだ。機関長から幼女が燃料を満タンにしたと聞いて希望を持ったのだ。幼女がいなくなったあとに聞かされた話に驚愕し夢が叶うかもと思ってしまったのだ。
「今度幼女が現れたら戦闘用燃料を満タンにしてもらうにゃ! 水神の加護も満タンにして貰って、万全の状態に長門は復活にゃよ」
水神の加護。そう呼ばれる装置の本来の名称はステルスシールド。海の敵から身を隠す力を持っている。
「はっ! 幼女、幼女。お前、他人からその話を聞いたらどう思う。やったな、夢が叶うかもと、俺たちは本来の猫人族の力を発揮できる時代が来ると喜べるのかよっ?」
「そ、それはたしかに……信じることは……難しいかもにゃ」
男の勢いに押し負けて、渚は口籠る。たしかに幼女が突如として他の世界から現れて、燃料を満タンにしてくれる。出来が悪い作り話だと相手にもしないであろう。
それに、幼女は旅をしていると言っていた。もしかしたらもうこの世界には来ないかもしれない。
「はっ、そうだろ? そんな幼女がいるなら教えてくれ。目でピーナッツを噛んで食べてやるからよ」
嘲笑しながら肩をすくめる男を恨めしげに渚は睨もうとして……。目の前が光り輝き始めたことに目を見開く。
「これ……来たにゃ!」
喜色の表情へと変えて、皆がその光に驚く中で、興奮して渚は叫び、光が強烈に輝くのであった。
「すりー、つー、わん、ドッカーン。どこから来たのかお疲れ様ね、幼女〜ぼっかーん」
渚の喜びの声を打ち消すように、アホな替え歌と共に幼女たちが姿を現して、テーブルの上に足をつけた。
「ねぇ、ネム? それってもう古臭くてネタ的に貴女やばいわよ?」
「この替え歌がわかる静香さんも……いえ、なんでもないです、はい」
美しき銀糸のような長髪を腰まで伸ばし、宝石のような銀の瞳に小さなお鼻と可憐な花びらのような唇。儚げという言葉が似合うか弱そうな顔つきに、小柄な簡単に抱っこできそうな華奢な体躯の美幼女ネム。
烏の翼のような漆黒の髪をポニーテールに纏めて、妖しい色香を感じさせる切れ長の瞳とスッキリとした鼻梁に、薄く口元を微笑ませている美しい顔立ち、小柄ながらも立ち姿が決まっている美幼女静香。
渚の目の前にはいつ現れるのかと期待していた幼女たちがいた。希望の幼女たちが。
「へいへいっ、あのアニメって6人兄弟がおフランス帰りのザマス男に主役を奪われたみたいに、悪役に主役を奪われていましたよね。途中から悪役20分、主役5分ぐらいの出番に時間配分がなってましたし」
「あれは主役が個性なさすぎなのよ。悪役が強烈な個性を持ち過ぎなこともあったけど。リメイク版は主役が目立ってたけど、その分イマイチだったわ」
くねくねと身体を揺らして両手をぶんぶんと振るネムとその姿にいつものことだと、平然としながら答える静香。
先程までの悲観的な空気はなくなり、古いアニメ談議をし始める幼女たちの姿に、空気はあっという間にどうするのこれ? と、戸惑った空気へと入れ替わるのであった。
なので、渚は対面の男へと力強く頷き、声をかける。
「目でピーナッツを噛んで食べて欲しいにゃ」
さっき言ったよにゃと、目を細めてニヤリと悪戯そうに笑うのであった。
酒場は突如として現れた幼女たちをひと目見ようとぎゅうぎゅうと引きしめあっていた。
ネムたちは椅子に座り、もぐもぐとお刺身を食べていたりする。
「これ、鯛ですか? 山葵がないのはなんでですか?」
「3枚座布団カレイにゃよ。山葵なんて超高級品にゃ。で、また携帯ゲーム機を探しに来たにゃ?」
わかっていたよ、カレイってモチモチしていて美味しいよねと、パクリと次の刺し身をちっちゃいお口に放り込む。
「これはヒラメですね? 携帯ゲーム機を探しに来たのに、この間はすっかり忘れて帰っちゃったので、戻って来たんです」
「イカにゃ、お前の舌はどうなっているんにゃよ。携帯ゲーム機って、昔ガラクタ集めが趣味の人がいたけど、壊れていたにゃ」
「やっぱり存在自体はあるんですね。それなら見つけるまでです。これは赤貝ですね?」
「……ガリにゃ。お前、もう刺し身食べるにゃよ」
おかしいな? 幼女となって子供舌になって味がわからなくなったかなと、明後日の方へと顔を背けるネム。幼女舌のせいだから、その冷たい視線はやめてね?
とりあえずは刺し身を食べて満足したネムたちは、話を聞くことにした。なぜか大勢の猫人たちが周囲に詰めかけているし。
「差別するわけではないですが、猫人は少女たちだけで良いですよね? 男たちは鬣とかの方が良くないですか?」
もふもふする相手は少女限定だよと思いながら、正直な感想を口にするネム。なんでも正直であればよいというものではない。
「邪まな気持ち丸出しにゃね。お前、本当に外見詐欺にゃ」
「むぅ、ご近所では華奢で転んだだけでも大騒ぎになるか弱い幼女に酷いですね、で、この集まりはなんですか?」
渚のジト目に口を尖らせて抗議をしつつ、コテンと首を傾げるネム。火山の中に転がり落ちても這い上がってくる強さを見せる幼女なだけに説得力は抜群だ。
「ここは猫人族の溜まり場の酒場にゃ。まぁ、ぶっちゃけ財布が軽い奴らの拠り所にゃね」
肩をすくめ手教えてくる渚に、静香もコテンと小首を傾げる。
「そういえば、猫人族っていうのかしら? たしかに猫人族だらけね。戦艦にこんな場所があるのね」
「違う、違うにゃ。ここは長門じゃないにゃ。ここは16本木ポートにゃよ。大地に建てられた、今は沈んでいる高層ビルを利用した街にゃ」
手をフリフリと否定するように振ってくる渚の言葉に静香と二人、顔を見合わせてしまう。それっておかしくね?
たしか前回来たときに聞いた話だと、ここは水の惑星で街などは大地に作れなかったはずである。それとも昔に文明を持った生命体がいたのかしらん。なぜか人間そっくりのGとか。
「それは話が長くなるにゃ……。聞くにゃ?」
真面目な表情で渚が俺を見つめてくる。気づけば、他の猫人族たちもゴクリと息を呑んで、ネムたちに注目していた。
その様子を見て、ネムは合点がいったと儚げに微笑む。きっと重くて聞いたらあとには引けない話が待っているのだろう。
「あ、それなら結構です。とりあえずそんなことより、誰か携帯ゲーム機を持っていそうな人を紹介してください」
別世界の重い話は聞きたくないもんと、あっさりとスルーして話を流そうとするネムであった。




