1話 おっさん憑きの令嬢生まれる
俺は揺蕩う揺り籠の中で眠りについていた。気持ちの良い眠りの中で、強い予感がする。ビシビシと肌に感じるものがある。
遂にシックスセンスを手に入れてしまったかと、現実逃避をするほどに、嫌な予感がするのだ。
きっと目が醒めたら頭痛と体の倦怠感を感じて気持ち悪くなるだろうと。
昨日飲みすぎたしなぁとも、思い出していたので。
良い歳をして、日本酒やワインを浴びるように飲んでしまったのだ。もう無理が利かない歳のおっさんなのに。
最近はストレスの溜まる仕事ばかり。人は少なく、上からは怒られ、下からの不満の声は高まるばかり。その中でロトで40万円ほど当たったのだ。
貯金をするには少額で、大きな買い物をするには物足りない。学生ならば飛び上がって喜ぶかもしれないが、社会人になって数十年。この程度のお金は嬉しくはあれど人生を変えるほどではないと達観してしまうほど擦れてしまったおっさんは、パーッと使うことにした。
すなわち、大学生の頃からの友人たちを集めて、ちょっと高級な居酒屋で羽目を外したのである。ちょっと高級という所が少しケチ臭いおっさんではあるが、皆は奢られる立場であるので、やんややんやとおっさんを褒め称えた。
ちなみに写メに撮ったので、会社でも自慢する予定である。おっさんは話のネタが少ないので仕方ない。いつもは株で少し儲けたとか、パチンコは最近めっきり勝てなくなったとか、テレビは孤独なおっさんのグルメしか見ていないとか言う話題だけであるからして。
密かにこの歳でもアニメを見たりとか、ゲーム実況を見たりとか秘密にしていたりもするが、話題にすることはない。恥ずかしいし。
閑話休題。そういうわけでおっさんは景気よくお酒を飲んで、飲みまくって、羽目を外してしまった。記憶が飛ぶ程に。
そのおっさんセンスが告げている。
起きたら、この気持ちの良い感覚はなくなり、二日酔い地獄が始まるのだと。
嫌だ嫌だ。起きちゃ駄目だ、起きちゃ駄目だ。だが、休日なので起きないといけないと、仕事の時ならば仮病で休むだろうおっさんは目を思い切って開けることにした。
さっきからユサユサと誰かに身体を揺らされているということもあった。もしかしたら友人の家か、ビジネスホテルに泊まってしまい、起きろと言われているのかもとも思ったので。
社会人として、旧来からの友人とのこれからの付き合いもあるので、目をパチクリと開けた。
おっさんなのに、パチクリと。
目の前に、髭もじゃの男がドアップでいた。
「アンギャー!」
驚きすぎて、心臓が止まるかと思ったおっさんは泣き叫んだ。
強盗だ。友人にも、ましてやホテルマンにも顎髭をもじゃもじゃ生やしている者などいない。
強盗だよ。さては俺の40万円の金を狙いに来たな? 良いだろう、残りは30万程度だがくれてやる。だから、命だけは助けてください。痛いのも嫌なので、殴らないでください。
弱気なる塊のおっさんは泣き叫んだ。恥も外聞もなしに。
アンギャーアンギャーと。
「us51@am.gadtpgwpwjd」
耳元でがなり立てる訳のわからない言葉で話す男の声に、ますます恐怖を煽られる。何だこいつ?
よくよく見れば男の手のひらの上に自分は抱かれていると気づく。
もしかして俺を抱いていない? 助けてくれ。俺は百合は4コマ漫画のきらきらりとか読んでいたから好きだけど、それは漫画の可愛らしい絵柄だから好きなのだ。そして男性同士はまったく興味はない。現実では百合は興味はないし、ノーマルな性癖なのだ。勘弁してくれ。財布に仕舞ってあるまだ当選日前のロトくじもあげるから。
微妙にセコいことを言いつつ、おっさんは逃げようとするが、逃げられない。がっちりとその熊のような手で抱かれているっぽい。
そして、火のついたような泣き声をあげるおっさんだが………フト違和感を感じた。なにかおかしくない?
なんでこの男は俺を簡単に抱いている訳? そして、背中にひんやりとした嫌な汗をかき始める。
……こんなシーンを俺はたくさん小説で読んできたぞ? もはや使い古されて、流行からは外れてしまった所謂テンプレというものだ。
泣きながら周りを見ようとするが、首が座っていないためか、上手く動けない。動揺する中で、ひょっこりと横合いから、幼い男の子や女の子が顔を覗かせてきた。
俺を見ながら笑顔で何やら男へと話しかけている。当然何を話しているのかわからない。だって、日本語じゃない。日本語以外はきっと宇宙語だと固く信じているおっさんにとっては、英語でも、ラテン語でもアラビア語でも、何を言っているのかわからないのだ。
バイリンガルをバイオリンの奏者だと以前思っていたおっさんであるからして。
しかし気づいたこともある。皆は現代風の洋服を着ていない。綿布とかだとは思うが、少し古臭い。ヒラヒラが多くてまるで中世の服装みたいだ。しかも貴族服とかいうやつだ。貴族服は王城に忍び込むためにしか買ったことのないおっさんは口元を引きつけらせて、さらに泣く。
なんとか自分の手を掲げて……。予想通り、紅葉のようにちっこい手であることを確認して……。
目を瞑るのであった。これは夢なんだと考えたので。男たちの体臭や、無骨な手のひらの感触が実にリアルっぽいが、きっと気のせいだ。
俺は異世界転生を求めるニートじゃない。トラックに跳ねられた覚えもない。
何より独身であったので、気の向くままに人生を楽しんでいたのだ。貯金だってそこそこあった。株でもそこそこ稼いでいた。結婚していない以外は普通の人生だったのだ。
いりません。転生いりません。神様仏様、まだ2週間たってないから、クーリングオフ。クーリングオフをお願いします。
おっさんの願いは焼き鳥をつまみにビールを飲むことぐらいなんだ。たまにふぐ刺しがスーパーで売っていれば、ラッキーだと喜んで買うぐらいで幸せを感じられる男だったんだ。
これからもう一度人生をやり直すなんて勘弁してくれ。面倒くさい。面倒くさいんだよ〜。
心からの叫びは泣き声と変わり、泣き疲れておっさんは眠ってしまうのだった。
いや、おっさんではない。
その姿は赤ん坊になってるのだから。
なにより、後で気づいてたのだが、女の子に転生していた。
墓の下まで中身がおっさんだとは気づかれてはいけないと、秘密にする決意をした瞬間でもあったりした。
無難。無難に生きていこう。チートよりも、この現実を忘れたいので、ビールが欲しいおっさんであった。
起きてから、少し落ち着いた。
赤ん坊になっていると思われる俺だが、無難に生きるという意味を履き違えてはいない。無難に生きるイコール何も考えずにのんべんだらりと生きる。ではないのだ。
社会人に聞けばわかるだろう。どれだけ無難に生きるのが困難か。まず正社員になることが大変だ。お祈りメールをたくさん貰いながら、その中でようやく仕事につけるのであるからして。
高学歴にならないと、苦労をするので、無難に生きるのはまずは力と知識を手に入れなければならない。
最終的に無難勝手な技を手に入れて、白いオーラを纏えれば良いと思います。
おっさんの無難な生き方は、これまでの経験から極めてラインが高かった。
なので、情報収集をしたいのだが……首は動かないし、身体もほとんど動かない。そして、体内が何となくむず痒いというか、異物が混入している違和感がある。
赤ん坊は首が座るまでは、見渡すこともできないのかと、今まで読んできた小説を思い出してガックリとする。赤ん坊でも見渡せたと書いてあったんだがなぁ……。
アンギャーとまた泣いちゃう。どうも涙腺が緩い。さすがは赤ん坊。
見渡すことは諦めた。どうせすぐに見渡せるようになる。ドアップな髭もじゃの男以外も見たいけど。
それでは、次だ。このモニョモニョした感覚。言葉にすると気持ち悪いような、そうでないような……。うん、言葉にできないな。
とりあえず力んでみる。体内から押し出すようにイメージすると、ゴソッとなにかが抜けて意識を失いそうになる。これはやばいパターンだと考えて……。
意識を失った。
目が醒めると、石の天井が目に入ってきたので、たぶん赤ん坊は寝たんだと思ったのだろう。心臓がどくどく鼓動をしているのを感じる。
……うん、たぶん魔力を使い切ったのだろう。これもまたテンプレだな。ただ汗が凄い。死ぬかと思った。たぶん意識を失っただけではない予感。
この世界は魔力も生命力として使われているのではないかと予測する。様々な小説を読んできたおっさんは、こんなパターンもあると知っているのだ。なので、魔力を使い切るのはまずい。
もはや、この世界が剣と魔法の世界だと固く信じるおっさんである。決めるのはまだ早いが、おっさんは決めた。違った場合のことはもちろん考えていない。思い込みから失敗するパターンが多いおっさんだが、反省をしてもおっさんなのですぐに忘れてしまうのだ。
体内のモニョモニョは復活している。魔力を使い切るのはやばい……。だが、モニョモニョは気になる。
どうすれば良いかと考えて、死ななかった理由を反対に考えた。魔力を失っても生き残った理由。それは本来の生命力がカバーしたからだろう。
先程、魔力を失う数秒前。死ぬかもと一瞬危機を覚えた。モニョモニョがなんだかぬるま湯になった感じがした。もしかして魔力が生命力に変わったのか?
モニョモニョが生命力に変われば、生き残れるし、違和感もなくなる。……少しだけ、少しだけ、もう一回同じことをしてみよう。
おっさんは少しだけ少しだけと、酒を飲む時も同じことを言うが、少しで済んだことはなかった。
なので、今度は意図的にぬるま湯のような生命力に変われと祈りながらモニョモニョを取り出す。
本来ならば魔力を感じるところから始めないといけないのだが、おっさんは魔力のない世界から来たので、感じるどころか、違和感があって気持ち悪がった。
なので、身体がポカポカしてきて、モニョモニョがなくなると、今度は意識を失わなかったので全てを使い切った。短絡的なおっさんであった。
そうして、身体がポカポカしてきたので、安心してすやすやとおっさんは寝る。おっさんというか赤ん坊なので。
だが、少ししてまたもや違和感を感じて起きてしまう。またもやモニョモニョが復活しているからだ。
だが、おっさんはドヤ顔である。赤ん坊なので、キャッキャッと喜びの声をあげて、またもやモニョモニョを使い切った。
数時間ごとに起きてしまうので、同じことを繰り返した。延々と。モニョモニョに違和感を感じなくなるまで。
おっさんは適応力が低かったので、結構な月日を同じことをして過ごした。
そんなことをするとどうなるかは考えなかった。赤ん坊はそこまで考えが及ばなかったのだ。脳の皺はこれからどんどん増えていく予定なので。
おっさんの意識が邪魔をしなければ、皺は増えるだろう。おっさんは元から皺がなく、つるつるだったなんてあるわけがない。
結果、どうなったかというと、筋肉が鍛えられるように、どんどん魔力は増えていった。しかもおっさんはぬるま湯の生命力が気に入り、常に消費することが癖になり、寝ている合間も消費するようになっていた。
筋肉と違って、物理的制限のない、しかも身体を形成する大事な赤ん坊の時期だったので、アホみたいにドンドコ増えていった。
それを生命力に変換するとどうなるか? 溢れ出す生命力は細胞を傷つけてしまった。だが、溢れる生命力は細胞を癒やしてしまう。溢れる生命力に耐えられるように、少しずつ鍛えながら。
ドンドコ魔力は増える。消費も合わせて増えていく。しかも膨大な魔力を膨大な生命力に変えるので、魔力操作もアホなほどドンドコ精緻になり、上がっていった。
ドンドコ生命力も増える。それに合わせて細胞も強化されて、物理的限界を超えてしまう進化をする。
それでもおっさんはまだモニョモニョがあるからと使う。魔力を生み出す根源、即ち魂はいい加減にしろと、超回復を止めて神回復になる。生命力も強化されていく。細胞はもはや生命力と一体化しないとと、神進化していく。
おっさんがモニョモニョに慣れるまで3年間。その期間、身体も魂も酷使されたのである。というか、慣れたあとも、ある程度は使い続けているが。どれだけ適応力がないおっさんなのだろうか。
そうして気づいた時には、ドラゴンに踏まれてもびくともしない強靭な生命体となっていた。
おっさんは気づかなかったが。
しかしながら、その強化は周りには気づかれなかった。なぜならば、物理的進化では溢れ出る生命力に耐えられないと悟った細胞はその進化を物理的にではなく、エネルギー生命体として進化をしたからだ。
そのため、見た目にはぬるま湯に浸かって、いつも眠たそうな眼、細胞が筋肉的進化を諦めてエネルギー生命体として進化をしたために、見た目には儚そうな華奢な身体。そして莫大というのもアホらしい魔力は世界に漂う魔力と同様の空気みたいな異質なものとなり、人が検知できるのはほんの僅かになってしまったので、魔力も少ない娘と見られるようになった。
そう。娘である。
おっさんは幸か不幸か、女の子になっていた。
名前はネム・ヤーダ伯爵次女。ヤーダ辺境伯爵の子であり兄と姉をそれぞれ持つ女の子である。
そして儚い幸薄そうな少女は白銀の髪、煌めく宝石のような銀の瞳、ちょこんと可愛らしい鼻に、色素が薄い儚さを感じさせる絶世の美少女だった。
確実に家族は不幸だと思われる。
なにしろドラゴンが踏んでも、壊れないのに、ぷにぷにほっぺにツヤツヤな真っ白お肌。もはや家から出してはいけない箱入り娘だと誰もが思うだろう美少女なのに、中身はおっさんなので。
姿見を見たときに、誰よりもおっさんがそう思った。外見詐欺である。本人が思ったのだから間違いない。
この秘密は誰にも語らないと、真剣に誓ったのはネム5歳。
未だに幼女の時である。なお、おっさんは知らないがエネルギー生命体に近い進化を遂げたので、成長にあまり期待はできない。