5.ようやくの能力の解禁
もう二度と乗ることのないと思っていた車に光青は再びいた。光青は無言で外を眺めながらもチラチラとアリスの様子を窺った。
「どうかしましたか?」
感づかれないように見ていたつもりだったがばればれだったらしい。
「いや、別に」
光青はすぐに窓の外に視線を移した。窓の外では歩行者たちがこの車を見て目をパチクリさせていた。そして、また、すぐにアリスを盗み見た。
アリスは以前と変わらぬ態度で接してくる。それが光青には気味が悪かった。無責任に逃げ出した自分をアリスはなんとも思っていないのだろうか。光青にはそれが気になって仕方なかった。
そのとき、目が合ってしまう。光青は慌ててまた外を見た。数秒後、もう一度アリスのほうを確認すると不思議そうな顔で光青を見つめたままだった。
光青はふーっと大きく息を吐いた。そして恐る恐る聞いた。
「怒ってないのか?」
「怒る? わたしがですか? いったいなんのことですか?」
アリスはきょとんとした顔で言った。つられて光青もきょとんとした顔になった。
「なんのことって……わかるだろ?」
アリスは右斜め上を見上げて少し考えてから、
「いいえ、まったく」
と真顔で答えた。
「ならいいや」
アリスなりの気遣いなのだろうか、それともただの天然なのか。はかりかねた光青は話を終わらすことにした。だがアリスはそれを許してくれなかった。
「よくないです。気になるじゃないですか。なぜわたしが怒ってると思ったんですか?」
アリスは少しむっとした表情をしながら言った。光青はそんなアリスがなぜか可愛く見えた。
「俺が我が儘ばっかり言うから腹立ってるだろうな、と」
「我が儘ですか? いつおっしゃいました?」
すっ呆けるのもいい加減にしろとも感じたがアリスがそんなおふざけをするとは思えなかった。すなわち本当になんの話かわからなく、光青がとんちんかんなことを言っているだけとなる。光青は一体この数日なにをひとりでもやもやしていたのだろうか。光青は自分のあまりの女々しさに悲しみを覚えた。
「先週、いきなり敵の能力の片鱗を見て臆病風を吹かして逃げ出したことだよ」
「はー」
アリスはお嬢様にはふさわしくない気のない返事をするだけだった。
「挙句に、自分の友達が酷い目にあったからって怒り狂ってやっぱりやるとか子供みたいなこと言い出すし」
「はー」
変わらずアリスの返事は締まらないものであった。自分で自分の醜態を説明するのは恥ずかしいのでざっくりと説明したが、結果、アリスにうまく伝わらなかったようだ。
「それだけですか?」
話を終え望み通りの反応が返ってこず戸惑う光青にアリスは言った。
「それだけって…………それだけだよ」
「そうですか。それではお聞きします。恐怖から逃げるのは我が儘なのですか?」
まっすぐ見てくるアリスから視線を外し光青は視線を上の方に置いてアリスの問いを考え
「……いや」
「それではお聞きします。友人のために強大な相手に立ち向かうのは立派なことじゃないのですか?」
「……うん、まあ、立派かな」
淀みないアリスの声と比べ光青の声はおどおどしていた。
「そうですよね。時重君の行動は当たり前のことと立派なことです。それなのに、なぜわたしが怒るのですか?」
アリスの言い分におかしな点はなかった。だからといって光青は自分を許すわけにはいかなかった。
「……いや、俺の行動はやっぱり自己中だ。自分のことしか考えていない」
アリスはまた不思議そうな顔をしていた。
「そう考えるのは自由ですが、結局、なぜわたしが怒るに繋がるんですか?」
「そのせいでアリスに迷惑がかかってるだろ」
「迷惑ですか? うーん、どうでしょう」
アリスは唸りながら思案を始めた。
「確かに突然やめると言い出したときは少しびっくりはしましたが、考えれば一般的な視点から見れば至極当然のことなので……これまでに自分の命より他人の命の方が大事なんて人は見たことありませんし。だから特に迷惑などと感じたりはしませんでした。えーと、もうひとつは先ほどの、いえ、今ですね。迷惑どころがわたしは戻ってきていただいて嬉しいです。それに羨ましいです」
「羨ましい?」
アリスの意外な返答に光青は素早く反応してしまった。
「はい! とても!」
アリスの顔を見る限り嘘を言っているわけではなさそうだ。それにもともと嘘をつくようなタイプではない。しかし一体何が羨ましいというのだろうか。光青にはわからなかった。
「なにがだ?」
「友人のために立ち上がる時重君とそのご友人が、です」
光青にとって恥ずかしい点を指摘されたのにアリスは大真面目であった。
「やめろよ。頼むから変に美化しないでくれ。相手があのもじゃもじゃじゃ絵にもならない」
照れでもなんでもなくこれは光青の本音である。
「美化などしてません。紛れもない事実です。大変美しいご友情だと思います。とりあえず、以上をもちましてわたしは一切怒ってなどいません。むしろ今は機嫌がいいです」
「そうか。ほっとしたよ。……それでも一言だけ本当にすいまっ」
「だめです! 謝罪は禁止です!」
アリスが光青の言葉を遮って忠告した。アリスがムキになる点が光青には理解できないが素直に従うのが利口だ。
「……そうか。じゃあ、……ありがとう、はいいかな?」
「はい。それなら大丈夫です。どういたしまして」
アリスは一度微笑んだが、すぐになにか考え始めていた。そして、真剣な面持ちで言った。
「なにに感謝されたのですか?」
「あえて言うならばアリス自身にだよ」
光青は本当にほっとした。
車はようやく現場となったゲームセンターに着いた。入口に立っていた二人の警官はアリスを見るなり敬礼をしていた。根回しはすでにすんでいるようだ。
中に入ると光青が知っているいつものゲームセンターとは違い静かであった。店が閉鎖されているため客がいないしゲームも動いていない。だが警官もいないのは意外であった。
「誰もいないんだな。銀行の時みたいにもっと警察の人がいるかと思ってたんだけど」
「大きな怪我をした方はいますが、結局は高校生同士の喧嘩としか見てないので現場検証は手早く終わらしたようです。現場を見る許可はしっかりと取っているのでご安心ください」
「そうか……簡単にすましてるってことか」
光青はぽつりと呟いた。
「そうではないです。現場検証はです。今回は被害者および目撃者から犯人を特定できると考えそちらに力を注いでるみたいです」
アリスは力強く否定した。光青はアリスは国際とはいえ警察を志していることを思い出す。それを軽んじられるのは気分が悪いのだろう。
「それもそうか。でもまだ見つかってないんだろ?」
「みたいですね。実はわたしも先ほどもうひとりの被害者から話を聞いたんですが……」
アリスは苦い顔をしながら言葉を止めた。
「ですが?」
「なにも教えてくれませんでした。俺はなにも知らない。それしか言いませんでした」
「脅されてるのか?」
「恐らくそうだと思います」
光青は近くの椅子に一度腰を下ろした。
「それでも目撃者はたくさんいるんだからすぐに見つかりそうだけどな」
「わたしもそう思います。容疑者はすぐに特定できるはずです。それでも警察は逮捕できないでしょう」
「なんでだ? 目撃者がいっぱいいるんだから確定だろ」
「被害者のひとりは肩に銃で撃たれたかと思わせるような傷があります。もうひとり、時重君のご友人ですが右腕が綺麗に切り落とされました。しかし、目撃者は犯人はなにも持ってなかったと証言しています。要するに警察がどんなに捜査してもどうやって二人に怪我を負わせたかはわかりません。犯人が銃と刀を持ってたという証言があったらなんとかなりそうですけどね」
アリスの意見はもっともであった。
「ゲームセンターに銃と刀を所持した高校生か……。ありえないな。でも犯人は天使のせいで凄い能力を手に入れましたよりはましか」
光青は呆れながら笑った。
「五十歩百歩ですわ」
「だな。しかも、百歩が正解」
「そういうことになりますね。とりあえず警察からは犯人を見つけたという情報はいまのところはないことを報告しときますわ」
「見つけてもどうすることもできないから探す気もたいしたないんだろうな。このまま事故、怪奇現象ぐら
いで片付けられそうだな」
「事実、怪奇現象ですからね」
アリスはそう言って苦笑いをした。
「自分も能力者で話相手も能力者だからその事実を忘れかけてたよ。それで、どうする?」
「もちろん手がかりを探しますわ」
アリスは両手に握りこぶしをつくり気合を入れた。おそらく捜査というもの自体が好きなのだろう。光青も立ち上がり現場検証を見様見真似で開始した。
光青たちが真っ先に確認したのは床に残された大きな血痕だ。その大きさは想像以上のもので直径一m以上にもなっていた。
「結構な量が出たんだな。本当に生きててよかったわ」
光青はしみじみと言った。
「聞いた話では出血量が多くて本当に危なかったみたいですよ。普通の人ならもたなかっただろうって担当したお医者様がおっしゃってました。強いご友人なんですね」
「確かに生命力はありそうだな。特に髪が」
なんのことかわからないアリスは不思議そうな顔をしていたので、
「会えばわかるよ」
と、付け加えた。
光青たちは血痕の周囲を起点にしてなにか手がかりはないかと探し始めた。しかし、プロである警察がなにも見つけていないのだ。素人である光青たちに見つけられるはずがなかった。
「やっぱ、なんもないな」
「やっぱ、とはどういうことですか?」
アリスは少しむっとする。
「ああ、ごめん、つい。でも、なんかあったら警察が見つけてるだろうなー、と」
「それもそうなんですが……無駄な時間を取らしてごめんなさい」
至極真っ当な指摘にアリスは素直に謝った。
「いやいや、謝らなくても。そうは思ってもやらなきゃいけないことだし、ね」
仕方なく光青は形式上のフォローを入れる。
「はい。そうですね。それでこれからどうしましょうか。わたしたちも目撃者に話を聞いて回りましょうか?」
アリスは光青の返しがわかっていたかのように話を次に進めた。
「いや、それは警察の仕事だろ? 俺たちは俺たちにしかできないことをしよう」
「わたしたちにしかできないこととはなんでしょうか?」
アリスは少しわざとらしく言ってなにかを期待するように光青を見た。そこでようやく光青はアリスの意図に気がついた。アリスは光青が今度こそ能力を披露するを期待しているのだ。お嬢様なのに策士というちぐはぐさに光青は思わず笑ってしまった。
「まあ、見てろって」
光青は少し得意げになって言う。
左手につけている腕時計を見ながら光青は呟く。
「巻き戻し」
光青の右腕につけた腕時計が反時計回りに動き始める。あちこちで椅子がガタガタと動く。さらに起動していなかったゲーム機たちがひとりでに動き始める。格闘ゲームの画面を見てみればキャラクターのHPゲージがどんどん増えていっている。
「これは……なにが起きているんですか」
異様な光景にアリスが驚きを隠さずに言う。
「この空間の物体の時を巻き戻している」
「物体の時をですか? これが時重くんの能力なんですね?」
「ああ。俺の能力は物体の過去の軌跡、そして未来の予定された軌跡を巻き戻し、再生、早送りできる」
「それで『無生物の時空旅行』ですか」
「その名前は言うな! 恥ずかしい! というかなんで知っているんだよ?」
「ミスチェフさんが教えてくれました」
「あいつ……まあいい。で、事件が起きた時間は?」
「昨日の午後6時30分頃です」
「そこまで一気に巻き戻す」
光青は腕時計が6時30分を指すまで巻き戻しを続けた。その間もゲーム機はせわしく動いていた。やっと時計の針は昨日の午後6時30分を指した。
「再生」
光青の発声とともに奇妙な光景が広がる。宙に多数の制服が浮かぶ。靴もある。カバンもある。しかし、人間がいない。まるで透明人間が服を着て遊んでるかのような光景だ。
「これはなんですか?」
アリスは当然質問した。
「幻影だ。過去の映像を再生するのに空間に現在ないものを補うためのものさ」
「ではこの浮かんでいる制服たちは……」
「昨日の6時30分頃にいた人達が着ていた服ってことだ。このまま再生を続ければ動きまで再現してくれる」
光青の言うとおり大量の服がひとりでに動く。服の動きだけでもその人間がどんな動きをしたのかある程度わかる。再生を続けると光青たちは目的の制服をすぐに見つけた。
「烏野工業の学ランの三人組。被害者はこいつらだな」
「この耳に付いているピアスから間違いないと思います」
被害者と一度会っているアリスが言う。
「問題の相手らしきやつはまだいないな少し早送りするぞ」
「お願いします」
光青とアリスは見落とさないよう空間内を動く不気味な服たちをただただ黙って見続けた。そして、
「ストップです!」
とアリスが突然言う。アリスの視線の先には黒のパーカーが浮かんでいた。
「こいつだな」
「はい。目撃情報と一致します。でも意外ですね、わたしには被害者となった三人組に彼から近づいていってるように見えました」
「本当か?」
アリスの言葉を受けて光青は巻き戻して確認する。アリスの証言通り黒のパーカーは烏野高校の学ランに向かって進んでいた。
「本当だな。こいつは間違いなく空間の外から自分から来た。不良たちに絡まれたと聞いてたが……話が変わってきたな」
「そうなりますね。それはともかく問題の瞬間が見たいです」
「御安い御用です。お嬢様」
光青はスロー再生を始める。これでわずかな動きも見落とさないはずだ。
黒パーカーは右手で被害者を指差した。正確には指は見えないのでおそらく、だ。その瞬間、不良の白いワイシャツは赤く染まった。
「えっ?」
光青たちは揃って間抜けな声を出した。光青たちに目撃者の証言と同じようになにが起きたのかわからなかったのだ。
「すみません、もう一度みせてもらえますか」
「ああ」
巻戻してもう一度被害者の肩から血が流れ出す場面を再生してみた。しかし、結果は同じであった。
「なにも見えませんね。わたしには突然血が流れ出したように見えます」
「残念なことに俺にもそう見える」
「どういうことでしょう?」
アリスは眉をしかめた。
「俺の能力は生物には適用されない。だから素手でやったとしたなら映らない」
「しかし、服はこの位置にあるのですよ。遠すぎませんか?」
アリスの言うとおり服から予想される両者の距離は思いの外遠く、手を伸ばしても絶対に届かない距離であった。
「手が伸びる能力なら可能かもな。まあ、そんな能力じゃ肩に穴は開かないし、手も切り落とせない。他に考えられるのはなんらかの生物を飛ばしただがそんな都合のいい生物は俺の記憶にはない。となると、最初から見えないが有力かな」
「見えないもので肩を撃ち抜いた。そう考えたら目撃者たちの証言とも一致します」
「物体を透明にする能力ってところか?」
「違うと思います。勝手な予想ですがその能力ならば本体も透明にできると思います。しかし、犯人はこうして堂々と出てきてます」
「その意見に賛成だな。それに透明にできても武器の説明がつかないな。まさか、本当に透明にした銃と刀を持ってたら笑うけど」
「笑い事じゃないですわ」
光青のジョークにアリスはキリッとした顔をする。
「いや、あの……ごめんなさい」
「もうひとつを見てみましょう。お願いします」
アリスは光青の謝罪を無視して要求した。光青は念の為に最初の場面へと巻き戻してから再生を始める。三人の前に現れる黒いパーカーの少年。およそ一分後、右手を上げて被害者を指差す。あるいは手を向ける。そして、被害者の肩から突如として血が流れ出す。やはりなにが起きているのかはわからない。
そして、ここからがまだ見ていない場面になる。黒パーカーの後ろから現れる光青と同じ学ラン。これが三郎である。三郎は背後から黒パーカーの肩を叩いた。黒パーカーが三郎の右手を振り払う、と同時に三郎の学ランが綺麗に切られる。それは三郎の右手が切り離されたことを意味する。そして、大量の血が出現した。言うまでもなく三郎の体に流れていた血だ。
「……同じだ。やっぱり何も見えない」
光青は力なく呟いた。
「そうですね。今回もなにも見えま……すみません! 今のところもう一回ゆっくりお願いします」
アリスはいったいなにを発見したのか珍しく大きな声を出した。光青は理由もわからぬままアリスの指示に従い三郎の腕が切り離される瞬間をスロー再生した。
アリスは黒パーカーの右手があるはずの場所に鼻がぶつかるほど顔を近づけ凝視した。そして、ゆっくりと顔を移動させる。何かを追っているようではあるが光青にはそれがなにかわからなかった。アリスの目が追った先には三郎の右腕の切り口があった。
「時重君! 見てください。ここです! ここ!」
アリスはそう言って一本の線を引くように手を動かす。光青は目を細めてアリスの言う場所を見た。そしてようやくアリスが追っていたものが光青の目にも見えた。キラキラ光る一本の線が。
透明の物体。キラキラ光るのは照明を反射しているからだ。
「これは、ガラス? いや、違うな」
光青はさらに目を細めて謎の物体を凝視した。
「水だと思います」
同様に目を細めながらアリスが言った。
「水?」
「はい。ゆっくり動かしてみてください。形状が微妙に変化してるのがわかります」
言われて光青はさらにゆっくりと丁寧に再生した。アリスの言うとおり透明の物体は形を一定には保っていなかった。そして、水だと言われればそうとしか見えなかった。
「じゃあ、こいつの能力は水を操るできまりか?」
「アバウトに言えばそうなりますね。これなら銀行の金庫を破ったのも説明がなんとかできます」
「ウォーターカッターってことか?」
「はい」
ウォーターカッターとは水を加圧し、細い水流にすることで物体を切断する技術のことだ。
「鉄などの硬いものには向かないはずだが……不可能ではないか。最初は簡単に言えば水鉄砲の要領で撃ち抜いて、で、三郎の腕は水圧カッターで切ったってことか」
「水で人を切る。恐ろしい能力というよりは恐ろしい使い方ですね」
「確かにな。水を操れるようになってもこういう使い方をするやつは少ないだろうな。……厄介だな」
光青はそう言ったが、
「そうですか?」
とアリスはあっけからんとした顔で言った。今の流れは肯定で良いのではないだろうか。同意を得られなかった光青は聞かなかったことにした。
「……さて、なにか本人に繋がる手がかりはないかな」
「もっと近くで見ても大丈夫ですか?」
「ああ、幻影には触れても大丈夫だ。というよりも触れないんだけどな。実態があるものには触れないでくれ再生が強制終了されて上書きされるかもしれないから」
「上書きとはどういうことですか?」
黒パーカーにさらに近づいていたアリスがくるりと回って光青を見た。
「うーん、簡単にいうとだな、例えばアリスがコップを落として割るとするだろ」
「はい」
「割れたコップを直そうと能力を使うだろ。時を巻き戻すとコップは割れてない状態に戻る」
「なるほど。そういう使い方もできるんですね。便利ですね」
アリスは感心したように言う。
「しかし、時を戻しただけでいずれは割れた時間に戻ってしまう」
「なぜですか?」
「巻戻したものを再生していたらいずれ割る時間にたどり着くだろ」
「あっ、そうですね。そう考えたらあまり便利な能力ではないですね」
なんとも素直に意見を変える女なのだろうか。光青は少し呆れた。
「これだけならな。ここで上書きする。すると本来刻む予定だった記録の上に新たな記録が上書きされてコップが割れるという未来はなくなる」
「えーと、ビデオでいう重ね撮りといったところですか?」
「そういうことだ」
「それでは、再生中になにかに触れてしまえば同じ過去は再生できなくなってしまうんですか?」
「いや、過去に起こった事実は変わらないんだから可能だ。多少面倒だがもう一回その過去まで巻き戻しすればいいだけさ。けど、面倒だから触らんでくれ」
アリスの頭上には明らかにクエスチョンが飛んでいた。しかし、
「わかりました。では、もう一度最初からゆっくり再生してください」
と、アリスは言ってくれた。
「了解」
光青は黒パーカーが現れるところから再生を始めた。アリスは様々な角度から黒パーカーをジロジロと気難しそうな顔で見ていた。光青はその光景がおかしく笑ってしまったが幸いアリスには気づかれなかった。
「あっ、今のところもう一度お願いします」
アリスがそう言ったのは三郎が黒パーカーの肩に手をかけたシーンであった。
「了解」
光青は言われた通りの場面をもう一度さっきよりもスローにして再生する。
「ストップです。見てください。後ろから肩をつかまれた時にパーカーの中が見えるんですが、これは校章じゃないですか?」
「校章? 校章は普通制服の上に着るものだろ? なんで制服の上にパーカーを着てるんだよ」
「でも制服着てますよ」
「はあ?」
これだから非常識なお嬢様は。光青はあまり期待せずにパーカーの隙間から見える中の服を見た。しかし、確かに制服であった。そして校章もしっかりついていた。どうやら太って見えていたのは無理な重ね着が原因だったようだ。
「この校章に制服……武蔵野学園か」
「武蔵野学園?」
「ああ、この辺じゃ一番の進学校だな。俺も中学の時は武蔵野に進んでくれって先生に言われたな」
「それではこの方はそこの生徒ということで間違いなさそうですね」
光青の学力高いアピールはあっさりとスルーされた。おかげで光青は少し恥ずかしくなった。
「ああ。それにもしかしてこいつ学校サボってるんじゃないか?」
「なぜですか?」
「普通は制服の上にパーカーなんか着ないだろ。家出るときは学校に行く振りのため制服着てるが途中でパーカーを着るんだ。制服で昼間からうろうろしてたら怪しいからな。そのまま制服を脱いだら荷物になるからってそのまま着たんだろう」
「確かにそう考えられますが、なぜ学校を無断欠席しているんですか?」
「それは知らないけどよ」
ふたりは目を合わせて少しの間考えた。が、なにも浮かばなかった。
「とりあえず武蔵野学園に行ってみますか?」
アリスが切り出した。
「そうしたいが、俺たちみたいな部外者が中に入れるのか。結構厳しいイメージのある学校なんだがなー」
光青は少しあざとい演技をしながらアリスをチラチラと見た。アリスの権力ならなんとかなるでしょうという気持ちを込めて。
「それはなんとかします」
光青の演技などは必要なくあっさりと問題はクリアされた。つくづくアリスは敵にしてはいけない存在なのだということを思い知らされた。
車まで戻る時に光青はひとつの疑問を思い出した。犯人と被害者が接触した時のことだ。犯人である黒パーカーは自ら被害者となった不良に近づいていった。ここからあることを推理できる。
「……なあ、アリス?」
「はい? なんですか?」
「被害者に武蔵野学園の知り合いがいないか調べてくれないか?」
「わかりました」
アリスは理由を聞かなかった。きっと光青と同じことを考えているのだろう。アリスが運転手に指示すると運転手はどこかに電話をかけてから車を発進させた。
と、その時、光青のお腹がグーとなった。それを聞いて笑ったアリスであったが、間もなくアリスのお腹もぐーと鳴った。
アリスは顔を真っ赤にしながら、
「朝食をとらずに病院に駆けつけたので……」
と言い訳した。光青は笑いながら、
「先にご飯にするか」
と提案した。
「そうしますか」
アリスの返事を聞いた運転手は行き先を変更した。