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3.あまりに早すぎる逃亡

 光青はいつものように外を眺めていた。空一面に広がる黒い雲はいつ雨をもたらしてもおかしくなかった。


 ミスチェフが現れ、アリスと出会ってから五日が過ぎた。意外なことに事件らしい事件はなにも起きなかった。


 教室はいつもと違いぴりぴりしていた。理由は明白だ。明日から中間テストが実施されるというのに、髭をもじゃもじゃに生やした世界史の先生がテストなど関係なく先に進んでいるからだ。目の前に迫るテストと関係ない授業など誰も聴くはずないのだが、世界史の先生はお構いなしに授業をする。この授業に果たして生徒は必要なのだろうか。生徒なしでもこの人ならば成立しそうである。


 授業の中ごろ、教室の扉からコンコンと誰かが叩く音がした。


 授業の邪魔をされた世界史の先生は露骨に嫌な顔をしながら扉を見た。扉の窓から大きく腹が出ている恐らくメタボリック症候群であろう校長先生が季節にそぐわぬほどの汗をだらだらと流しながら中を覗いていた。校長に手招きをされて世界史の先生は教室を出て行った。


 教室はにわかにざわついた。今まで授業中に校長が尋ねてくることなどはなかった。これはなにか大事ではないかと生徒たちは妙な期待に胸を膨らませた。


「光青、光青、なんだと思う?」


 光青の前の席の三郎がなにやら嬉しそうに光青に云った。


「さあ。なんでもいいけどこれで授業がなくなったら最高だな」


「いいな、それ。ところで今日の放課後から頼むぞ。赤点だけは免れたいんだ」


 光青は今日から部活がテスト休みに入った三郎をはじめとした他五名と勉強会、というよりも光青が五人に講習会をすることになっている。三郎はなかでも成績が悪いため必死だ。


「ああ、わかってるよ」


「ありがとう。テスト明けにジュースでも奢るよ」


「いいよ、そんなの」


 間もなく世界史の髭もじゃが戻ってきた。そして予想外な発言をする。

「時重、ちょっと来い」


 生徒全員が好奇の目で俺を見た。その目は「なにをした?」ときいていた。なぜ呼ばわれたかわからない光青は手を横に振って「知らない」と意を返した。


「俺ですか?」

「お前だ! いいから早く来い!」


 髭もじゃは強い口調で言う。光青は仕方なく立ち上がり教室を出た。そして、全てを悟った。廊下には肥満の校長と同じ人間とは思えないほどの美女がいた。アリスだ。


 アリスは白をベースとした珍しい制服を着ていた。昔にTVで見たことがある。超お嬢様校セイントマリア女学院の制服だ。


「時重君だね。急用のようだから今日は早退していいよ」


 校長は流れる汗を安物っぽいハンカチで拭きながら言う。どうやら校長の汗の原因は暑さではなくアリスにあるようだ。そのアリスは校長とは対照的に涼しげな顔をしていた。


「急に押しかけてごめんなさい。急用でしたので。校長先生の許可もいただけたので行きましょうか。お手数おかけいたしました」


 アリスは校長に丁寧に頭を下げると歩き始めた。光青もアリスを追いかけて歩き始めたところで校長に止められた。


「君は彼女とどのような知り合いなのかな」

 校長は決してアリスには聞こえないように声を低くして言う。


「ただの友達です」

 校長は驚いた顔のまま固まってしまった。光青は構わずアリスのあとを追った。


 光青は校長の反応からアリスのお嬢様のレヴェルの認識を誤っていたことに気がついた。友達というだけであんな校長があんな反応をするとは。千家家は教育方面にもなにかしらの権力があるのかもしれない。




 校門の前には光青が通う平凡な公立校にはふさわしくない黒く輝くベンツが止まっていた。先日光青を迎えに来たベンツよりも高級感が漂うのは気のせいではないだろう。


 アリスと光青を乗せるとベンツはすぐに動き出した。


 未だに一言も発さない光青をアリスは不思議そうに覗きこんだ。ここにきてアリスはようやく光青の気持ちに気がつく。


「あのー、怒っていらっしゃいますか?」


 その通りである。光青は怒っている。平穏を目指す光青は目立つことを好まない。そんな光青にとって授業中に校長先生から呼び出されるという出来事は最悪と言ってよいものだ。


「別に。でも来るならメールぐらいしてほしかったな」


 光青はアリスの方を見ずに答えた。アリスの質問に光青は言葉では否定したが態度では殆んど肯定をしていた。


「ごめんなさい。スマフォがうまく使えなくて」

 どうやらお嬢様は機械音痴らしい。


「まあ、いいけど。学校まで尋ねてくるのは勘弁してくれよ」


「本当にごめんなさい」


 ぶっきらぼうに言う光青に対してアリスは何度も懸命に謝った。予想以上にアリスが親身になって謝ってくるのでだんだん光青の方が申し訳ない気持ちになってしまった。


 光青はふうっと一度ため息を吐いてから

「もういいよ。それで急用って何が起きたんだ?」

 と本題に入った。


「それがですね、銀行が襲われました」

 アリスは事の重大さとは裏腹に軽い口調で言った。それでも、事の大きさはしっかりと光青に伝わっている。光青の心音は高鳴った。


 能力を手に入れて悪事を働く可能性があるとは聞いていたがその悪事は光青の予想を遥かに上回るものであった。どんな強大な力を手に入れたとしてもいきなり大それたことなどなかなかできないものだ。これは悪の芽の効果と考えてよいのだろうか。


 速くなった鼓動が戻るのを待ってから光青は会話続けた。

「いつ?」


「昨夜のことなんですが少し奇妙なんです」

「奇妙って?」


「金庫が破られているのにお金は一銭も盗まれていなかったようです」

「お金を盗まない銀行強盗?」


「正確には銀行強盗ではないですね」

「じゃあ、泥棒?」


「それも少し違いますね」

 光青は眉をしかめた。


「じゃあ、なんなんだよ?」

「不法侵入と器物破損です」


 別にどっちでもいいと光青は思ったが、アリスはいたって真面目な顔だった。

「それで、能力者の仕業なのか? たまたま変な泥棒が銀行に侵入したとかじゃないの?」

「それを確かめるのもわたしたちの仕事のうちだと思いますが?」


 決してアリスは嫌味で言っているわけではない。根が真面目なのだろう。だが、そういうところがやはり光青とは気が合わない。


「いずれにしても今回はその心配はいりません。ほぼ能力者の方が侵入したことが確定してますので」

「なんでわかるんだ?」


「現場を見ればわかります」

 アリスはそう言ってにこりと笑うとそれっきりなにも話してくれなかった。


 ――現場に着けばわかる……か。いい予感はしないな。

 光青は想像を膨らまして心の準備をした。


 噂の現場はなにが起きたのか興味半分の野次馬たちが溢れかえっていた。その野次馬たちの侵入を拒むよう銀行の周囲は黄色いテープで覆われていた。さらに等間隔に警官が配備されていて一般人が入るのは不可能に思えた。


「こっちです」

 アリスはそう言って賑わう銀行の入り口から遠ざかり一周するようにして裏に出た。


「あそこです」

 アリスが指した場所は銀行と隣の建物の間。人がひとりほどしか通れない隙間だ。むろん、そこにも警官

がしっかり立っていた。


「すいません通してもらえますか?」

 アリスはひとり立ち尽くす若い警官に声をかけた。


「ダメダメ、関係者以外立ち入り禁止。さあ、帰った帰った」

 警官は強い口調で言う。


「わたしたちはその関係者です」


「お嬢ちゃん、そんな嘘は吐くもんじゃないよ。さあ、行った行った」

 警官に取り合う気はなかった。まあ、当然のことだろう。関係者と名乗る小娘をいちいち構ってなどいられない。


「仕方ありませんね」

 アリスはそう言ってスマートフォンを取り出しどこかに電話をかけた。アリスはすぐに電話を終えた。


「どこにかけたんだ?」

「ちょっとした知り合いのところです」


 三分後、警官が立ちはだかる道の奥から厳ついおじさんが早足で現れた。恐らくはベテラン刑事といったところだろう。

「ご苦労様です」


 上司の存在に気づいた警官は緊張した面持ちで敬礼をした。丁寧な対応をしたにも関わらず警官は頭をバチンと叩かれた。なにが起きたのかわからない警官の顔は見る見るうちにくしゃくしゃになった。


「お前は一体何をしてるんだ!」

 刑事は怒鳴った。


「ほ、本官はなにをしたのでしょうか?」

 警官は混乱の渦に落ちていた。


「言い訳するな!」

 会話が成立しないまま警官はもう一発頭を叩かれた。そして刑事は光青たちを見つけると腰を低くして近寄ってきた。そして社会人特有ともいえる精一杯の笑顔で話しかけてきた。


「千家アリスさんですね? この度は部下がとんだ無礼を。誠に申し訳ございません」

 刑事は頭が床につくのではないかと心配になるほど深々と頭を下げた。


「いいえ、気にしてませんわ。それよりも早く現場に案内していただきたいのですけど」


「はい。すぐに。どうぞ、こちらです」

 刑事の許可を得て光青とアリスは黄色いテープをくぐり、今にも泣き出しそうな警官を横目に奥に進んだ。しかし、彼はなんて気の毒なんだろう。ただ真面目に働いてただけなのに。


 光青は小声でアリスに話しかける。

「さっき誰に電話したんだ?」


「ちょっとした知り合いですわ」

 アリスはそういうだけだった。これで千家の名は警察関係にも絶大な効果があることがわかった。


「こちらになります」

 刑事は開け放たれたドアの前に立って言った。こんなところに出入り口があるのは妙だなと思いながら光青は覗き込んだ。そして、光青はすぐに自分の勘違いに気がついた。そこは出入り口などではなく、壁が壊されてできた穴であった。光青が勘違いしたのには理由がある。穴の形が綺麗な長方形なのだ。ドアをつければ完璧な出入り口となる。


「足元を見てください」

 アリスに言われて光青は下を見た。地面には壊された壁の破片が散らばっていた。その破片がこれまた奇妙であった。破片は全て一辺が五cmくらいの正方形になっていた。


「これは壊したって感じじゃないな」

「ですよね。ではどうやったのか。それが一向にわからないんです。ですよね刑事さん」

 アリスはちらりと刑事を見た。刑事の顔が少し強張る。


「はい。そうなんです。情けない話なんですが見当が全くつかなくって。壁だけならまだしも……とにかく中も見てください」

 刑事に言われて光青とアリスは犯人によって作られた入り口から中に入った。壊された壁はオフィスの壁に続いていた。


 オフィスの中では刑事と思われるスーツを着た人間とドラマで見たことがある青っぽい服で統一された鑑識と思われる人間がせっせと動いていたがアリスを見つけると動きを止め、それはもう立派な敬礼をした。アリスはそれに軽い会釈で応えていた。


 なんて奇妙な光景なんだ。小娘ひとりに大人が仕事の手を止め挨拶をする。やはりアリスは光青が目指す平凡とかけ離れた存在なんだとつくづく思い知らされる。


 刑事の案内でさらに奥の部屋へと進んだ。

 そこには大きな金庫があった。だが、その金庫は金庫としての役目を果たしていない。金庫の扉は粉々に破壊されていて無数に積み上げられている札束が丸見えになっていた。扉の破片はさっきの壁と同じですべてが綺麗な正方形であった。


 光青は戦慄した。自分が探している相手は分厚い金庫すら粉々にできる人間らしい。そして、そんな強大な能力を持った人間を捕まえなければいけない。もちろん、相手は全力で抵抗するだろう。結果、自分が粉々にされるかもしれない。そんな最悪の未来まで一瞬にして光青は思い描いていた。


「切ったのでしょうか?」

 そんな光青の気など知らずにアリスは破片のひとつを拾ってまじまじと見ながら云った。


「切った? 鉄を?」

「そのように見えませんか? 紙をはさみでチョキチョキと切ったらこのような形にできますわ」

 アリスに渡され光青も破片をまじまじと見つめる。


「常識的にはありえないが……」

 人間の域を超えた能力なら確かに十分にありえる。


「二人とも何を言っているんですか? こんな分厚い鉄を切るなんて! 大掛かりな機械でも持ち出さなきゃ不可能ですよ」


 一般人の刑事が横槍を入れる。いちいちなんの事情も知らない刑事に口を挟まれてはことが進まない。そう思った光青はアリスに目を向ける。アリスが視線に気がついたところで光青は刑事には絶対に聞こえないようにして


「彼らを外に出せないか?」

 と頼んでみた。アリスは一度頷き、


「申し訳ありませんが二人にさせていただいてよろしいですか」

 と丁寧に一般人には絶対にできない申し出をした。


 刑事は信じられないという顔をしたが、すぐに文句ひとつ言わないで出ていった。千家家の力権力は絶大だ。

 光青はしっかりと刑事がいなくなったのを確認してから口を開く。


「なんでも切る能力ってことか?」

「違いますかね?」


「だったらこんな風に細かく切り刻む必要もないんじゃないか? 四角く切り抜くだけでいいはずだ」

 アリスは少し考えてから、


「力の誇示ということはないでしょうか?」

 と言った。


「考えられなくもないが……」

 光青は言葉を止めて頭を悩ませた。力の誇示という説明で筋は通らなくもないが光青にはあまり納得がいかない。しかしそれは自分の都合であるのでアリスの意見に反論もせずただ黙ることしかできなかった。


「それでは他にどんな能力が考えられますか?」

 悩む光青にアリスは追い討ちをかけるように質問する。光青はうーんと唸るだけだった。


 結局、光青にはなにも案が出てこなかった。相手の意見は態度で否定するのに、自分の意見はなにもないという最悪の男となってしまった。


「他になにか手がかりになりそうなものはありませんかね」

 そんな光青をアリスは責めることなく話を次へと進めた。恐らくアリスも自分の意見に完全には納得がいっているというわけではないのだろう。


「防犯カメラは?」

「何も映ってなかったそうです」

 二人は声を揃えうーんと唸った。


 光青たちは早くも行き詰まった……ように見えた。アリスは知らないが実際は違う。光青の能力を使えば犯人の手がかりを得られる。だったらさっさと使えばいいのだが、ここまで来て己の平和を求めて止まない光青には迷いが生じていた。本当に犯人を捜し出すべきかどうかという迷いが、だ。


鉄の金庫を易易と突破する能力者。そんなやつと対峙するのはごめんである。世界が滅ぶ前に自分の身が滅んでしまう。光青は知らん顔してこの場をやりすごすことを実にあっさりと心の中で決めた。その時だった、


「よし、コウ君の能力を使おう!」

 背後から突然した明るい声に光青とアリスは体をびくっとさせた。

 声の主は全ての元凶、ミスチェフであった。


「ミスチェフさん驚かせないで下さい」

「ごめんごめん。名案を思いついたからつい」


「どうやってここに入ったんだ?」

「そんなのどうにでもなるよ。わたしは天使だからね」

 ミスチェフは得意気に言う。


「それよりもミスチェフさん、時重君の能力を使おうとはどういうことですか?」

「それはコウ君本人に聞いてよ」

 ミスチェフとアリスは光青を見たが光青は決して目を合わさなかった。


「時重君の能力を使えばなにかわかるんですか」

 アリスは真っ直ぐ光青を見て言った。


「かもな」

 光青はぶっきらぼうに答えた。


「では、使っていただけませんか?」

 光青はアリスの問いに答えず数秒の間その場に立ち尽くした。


 ――糞っ! 誰が天使だって? 悪魔の間違いだろ!


 光青は心の中で毒づく。そんな思いを知る由もないアリスは光青になにかしら期待を抱いた目で見つめる。光青はあまりに純粋なその視線に思わずたじろぐ。仕方なく自分は今どうすべきもう一度考える。


 ――どうしようか? 俺が能力を使えば確かに犯人に近づく。しかし、犯人に近づくということは俺に危険が迫るということじゃないのか? 犯人は鉄をも切断できる能力だ。なにが面白くてそんなやつに近づかなければいけないんだ。野放しにしていたら危ないから? だから、誰かが捕まえなきゃいけないって? ……なんでそれが俺なんだ? なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだ? 俺は俺の世界を平和にしたいだけなのに……。今ならまだ下りれるのではないか? しかし、今ここで俺が下りたらアリスは軽蔑するだろう。しかし、今、最も優先すべきは……。己の安全。


「ミスチェフ!」

 光青はアリスを無視してミスチェフを呼んだ。


「どうした少年。怖気づいたか?」

 ミスチェフは憎いぐらい光青の心情を理解していた。


「ああ、怖気づいたよ。無理だ。俺は降りるぜ」

「それじゃあ神の怒りが発動しちゃうかもよ」


「勝手にしろよ。そんな神なら糞喰らえだね」

「そっか残念」

 ミスチェフは憎いほどの清々しい笑顔で云った。そして、言い争いになるだろうと身構えていた光青は全身の力が一気に抜けたようであった。


 ミスチェフは意外にもそれ以上はなにも言わなかった。神の怒りで世界が滅ぶというのは案外嘘だったのかもしれない。そんなあっさり神が世界を滅ぼすはずなどない。光青はそういうことにした。


 ミスチェフは手を出してなにかを求めた。光青は一瞬なんのことかわからなかったがすぐに思い出した。ポケットからヘヴンズフォンを取りだしてミスチェフに渡した。


 ひとり状況を飲み込めないアリスはおろおろしていた。

 光青はアリスにどう説明をすべきか悩んだがどう取り繕っても情けない男の言い訳にしかならないのでありのままを話すことにした。


「悪いなアリス、俺はこの話なかったことにしてもらうわ」

「なぜですか?」


「なぜって? 恐いからだよ。銀行に楽々と侵入して金庫を破る奴だぞ。そんな奴に誰が関わりたいんだ?」

「ですが、このまま犯人を野放しにしていたら危険です。恐らく対抗できるのはわたしたちだけです」


「危険って誰が?」

「誰がって……この街の人たちです」


「なんで俺が自分の身を危険に晒してまで街の平和を守らなきゃいけないんだ?」

「それは……」

 アリスは言葉を詰まらせ、俯いた。


「俺は自分の世界が平和ならそれいいって人間なんだ。知らないところで知らない人間に不幸が訪れても俺には関係ないって思う冷たい人間だ。今回のもそうさ。街の銀行が襲われた。ただそれだけのこと。俺には関係ない」


「そんな……では、なんで最初はこの話を受けたんですか?」

 アリスは酷く悲しそうな顔をした。だが、最早光青にはそんなこと一切関係ない。


「ミスチェフに脅されたんだよ」

「脅すとは人聞きが悪いな」


「事実だろ?」

「わたしは事実を伝えただけだよ」


 アリスは光青とミスチェフの顔を交互に見た。すべてとまではいわないがある程度のことを理解したのか、


「……そうだったのですか。では、仕方ないですね」

 とさみしそうに云った。


 光青は落胆するアリスの姿に胸を痛める自分を確かに感じた。が、光青はその事実を気のせいとして受け入れなかった。


「悪いな、アリス。俺はアリスのような正義感溢れる特別な人間じゃないんだ。能力はあっても自分の幸せばっか考える平凡な人間なんだ。……じゃあな」


 光青はそう言い残して部屋を出ようとした。が、

「誤解です!」


 とアリスがこれまでにない大きな声で言うので足を止めて振り返った。

「誤解です! わたしも自分の幸せばかりを考える平凡な人間です! 特別な人間なんかじゃありません!」

 光青はアリスの意外な台詞になにか言い返そうとも思ったが、必要のないことだから、とやめた。


 ――特別な人間というものは自分では特別だと気づかないらしい。


 なぜか光青の口元は少し緩んでいた。


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