第5話
「……花ってね、同じように見えるけど、みんなちょっとずつ違うの。それでいて全部が全部、綺麗なの。……それって、とてもすごいことだよね」
嬉しそうな顔で霞は言った。
「うん。そうなのかもしれない」
樹は言う。
樹には霞の言っている言葉の意味がわからないわけではない、と思ったけれど、心からその意見に賛成しているわけではなかった。でも樹は嬉しそうな霞の顔を見て、そうなのかもしれない、といい、霞の意見に賛成した。
「樹さんはなにしにこんな人里離れた深い森の奥にまでやってきたの?」
霞はじっと樹の瞳の奥を覗き込みながら、そう言った。(それはたとえ嘘をついたとしても、絶対に見抜かれてしまうと樹に思わせるような、とても澄んだ小さな、生まれたての子供のような美しい鏡のような瞳だった)
「……ある人に会いにやってきたんだ」樹は言った。
「ある人?」
「うん。……僕の世界で一番愛している人」
樹は霞を見た。
霞は無言のまま、じっと樹の顔を見つめている。
霞の小さくて綺麗な無垢な唇が樹のすぐ近くにあった。思わず樹は、反射的に、その唇に(自然と)キスをしそうになって、その衝動を押しとどめた。
「君はどうしてこんな場所にいるの?」樹は言った。
「僕と同じ理由なんじゃないの?」
樹は言葉を続ける。
この『神様がいる』という伝説のある山に登る人は大抵、『すでにこの世界からいなくなってしまった、自分の大切な人に、もう一度会うために』この山を登るのだと樹はすでに知っていた。
今のところ、霞以外の人と森の中で出会うことはなかったのだけど、こんな場所にこんな高校生くらいの少女がいるということは、この少女(つまり霞も)も樹と同じ理由でこの山の麓までやってきたのだと樹は予想したのだ。
でも、その樹の予想は外れていた。
「ううん。違う」
首を左右に動かして霞は言う。
「違う? じゃあなんで君はこんな霧深い森の奥にいるの?」樹は言う。
すると霞は自分の現れた茂みの奥のほうをその美しい小さな指で指差した。
「あっち」
「あっち?」樹は言う。
「うん。あっちに私の住んでいる家があるの」そう言ってから、霞は樹を見て、にっこりと笑った。