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グリーンイグアナの家族

作者: AsaHI

 すうちゃんと動物園に行くことになった。すうちゃんが爬虫類、特にイグアナを見たいらしい。すうちゃんの夢はグリーンイグアナを買うこと。だから僕はすうちゃんもグリーンイグアナも大好きだ。はやく僕たちの子どもみたいにグリーンイグアナを迎え入れたい。グリーンイグアナは、その名の通り体表は緑色で、時折枯れた葉っぱの色みたいなとても美しい黄土色、橙色なんかが混じっている。皮膚は乾いてごつごつしており、頬のコブみたいな膨らみがかわいらしい。性別はどっちでもいい。すうちゃんと僕、グリーンイグアナの二人と一匹で暮らせればそれでいいのだ。


 すうちゃんは予定より三十分遅れて上野駅に着いた。すうちゃんの遅刻には慣れっこだから、僕はトーハクの前の公園でぼんやりして待っていた。規則正しく舞い上がる噴水の前に、すうちゃんは現れた。今日もすうちゃんはかわいくて、僕は抱きしめたい気持ちをぐっと堪える。すうちゃんはそういうのは嫌いだ。すうちゃんは、「すう、仏像が見たくなっちゃった。トーハク行こうよ」と言った。僕は完全に、仏像ではなく爬虫類の気分になっていたけれど、すうちゃんがそう言うならそうするしかない。すうちゃんは大学生で、学生証を見せれば無料でトーハクに入ることができる。僕はしがないサラリーマンだから、チケットを購入した。

 すうちゃんが行きたくなったのはトーハクの中にある法隆寺宝物館だった。僕もすうちゃんと一緒に四回は来ていて、今日も何十体もの仏像に囲まれて薄暗い館内を歩く。金ピカだったり、錆びなのか汚れなのかすごい色になっていたり、光背やら腕やらがあちこち壊れてしまっているような仏像を、すうちゃんは熱心に眺める。眺めたところで何があるのか、僕にはわからない。たぶんすうちゃんにはわかる。だから僕はすうちゃんのことを好きなんだけれど、すうちゃんは僕のことをどう思っているのだろう。

 すうちゃんは二十分ほどで飽きた。「イグアナ見に行こう」と、館内のソファで座っていた僕を引っ張ってトーハクを出て、動物園へ歩き出した。僕の腕を引いてくれたので、僕はちょっとどきどきしていた。

 動物園のチケットは自分の分だけ買った。すうちゃんも自分の分を買った。すうちゃんはお金のことに厳しい。僕がチケットを二枚買おうものなら、きっとすうちゃんは上野駅へと踵を返してしまうだろう。すうちゃんはそういう気遣い、もとい、押し付けが嫌いだ。今の時代、男が女に奢ることには根拠がない、とすうちゃんは言う。以前、「僕は働いているから、すうちゃんよりお金がある、これは根拠だよ」と言ってみたら、すうちゃんのお母さんは実業家で、大変豊かなのだそうで、僕よりよっぽどお金を持っていることを知った。僕の論は成立しなかった。


 僕は爬虫類館にいる間、すうちゃんのことと、将来一緒に飼うはずのグリーンイグアナのことしか考えられなかった。すうちゃんと一緒に暮らしたい。すうちゃんのことが好きだから、僕は何でもやってきた。すうちゃんのわがままに何でも付き合ったし、すうちゃんの言う細かなこだわりにも対応した。だからすうちゃんを僕だけのものにしてもいいんじゃないか?

 爬虫類館を出て、広場のベンチに二人で腰掛けた。すうちゃんとのお喋りは楽しい。すうちゃんはいろんなことに詳しいから、僕は圧倒されてしまう。でも楽しい、すうちゃんはかわいくて、ちょっと変なところもあるけれど、すうちゃん……すうちゃんはいつになったら僕を一番にしてくれるのだろう。

「すうちゃん」

「なあに」

「お願いがあるんだ。僕以外の人と会うのをやめてほしい。すうちゃんのことが好きだけど、すうちゃんはいつまで経っても僕のものじゃない気がする。僕を安心させてよ、すうちゃん」

 すうちゃんはじっと僕を見た。形の良い唇が開かれるのを僕は待った。

「すうは誰のものにもならないよ。嫌ならカンタも、他の人と付き合えばいいじゃない。そうだ、それがいい。すうもカンタが選んだ、すうじゃない人と会ってみたい。……ねえ、そろそろめぐちゃんとみのるくんに会ってよ。すうの大切な人とカンタが仲良くなってくれたら、すごく嬉しいんだけど」

 僕は頭を抱える。めぐちゃんというのは、認めたくはないけれど、たぶん僕よりずっとすうちゃんに好かれている女性だ。僕とすうちゃんだって恋人同士だけれど、彼女たちの結びつきはもっと強いんじゃないかと思う。僕はまだすうちゃんの家に上がったことはないが、めぐちゃんは何回も泊まっているらしい。みのるくんも、すうちゃんに気に入られておうちで映画鑑賞デートをしているらしいのだ。当然ながら、僕は嫉妬する。

「すうちゃん、僕には無理だよ」

「そうか、カンタは……ごめんね、すう、大事なこと何回も忘れてるね。でもこれがすう達にとっては普通だし、一対一って考えられないよ。すうはめぐちゃんとみのるくんを選んだ。カンタのこともすごく好きなんだ。すうのところへ来てよ。すうがカンタのこと幸せにするし、カンタもすうのことを幸せにしてよ」


 僕は特別な人間だ。容姿に恵まれ、頭脳明晰、運動神経も優れている。特別だから選ばれてしまった。あのとき僕は大学生だった。若く美しく、希望に満ち溢れていた。僕は選ばれて、そして平成最後の日、日本全国から同じように選ばれた十数人の優れた若者たちと一緒に、冷凍カプセルで未来へ送られることになった。

 平成が終わってから三世紀ほど経って、僕たちは目覚めた。劇的な目覚めではなかった。中身が気になるしそろそろ開けてみようか、パカ!というかなり軽い政府の判断により、僕たちは目覚めたのだ。僕たちは、世界が平成時代とほとんど変わらないことに衝撃を受けた。電車だって、いくつか駅が増えたり減ったりしたが、上野への行き方は変わらない。トーハクも動物園も変わらない。平成と同じだったのだ。


 一つだけ大きく変わったのは、複数の人と恋愛したり、性交渉したりすることが一般的で美徳と考えられるようになっていたことだった。むしろ、平成時代の一夫一妻制的な考え方は古く、ダサく、理解できないものとされていた。人々は一夫多妻や一妻多夫の形で生活するようになっていた。ナンキョクオットセイが形成するハレムのように、ある一人に選ばれた数人が集い、暮らしをともにしつつ、その暮らしの外での自由な恋愛も受け入れられる社会へと変容していたのだ。

 すうちゃんもそういう、誰かを選ぶ資質をもった一人だ。すうちゃんは女性とも男性とも恋愛する人で、そして自分というものを強く持って表現できる人で、そんなすうちゃんに惹かれる人は多かった。すうちゃんが選んだのは、僕より年上のOLめぐちゃんと、同じ大学に通う後輩のみのるくん、そして冷凍睡眠から目覚めたのち、政府にほとんど放置され、とりあえず企業に就職した僕だった。


 すうちゃんは僕の目を見て言う。

「仏像を見に行くと、カンタがあの時代が来たのかなあ、って想像が膨らむの。ほら、トーハクには平成時代の仏像も何体かあるでしょ。平成の仏像ってつやつやしていて、今さっき作られたみたいに見える。でもよく見るとピカピカの新品ってわけじゃなくて、三百年分、苦労してきた傷が見えるんだよね。だからカンタも、冷凍されてから起きるまでの三百年間で、どっかで苦しい気持ちがあったんじゃないか、ってすうは納得できる。苦しんで生きてるからカンタは面白い。話していると、自分がもっと広くて繊細な伸縮性のある人間になれる気がする。それはすうだけじゃなくて、めぐちゃんとみのるくんも同じように感じると思う。一緒に暮らしたい。すうとめぐちゃんだけ、すうとみのるくんだけじゃ足りないんだ。絶対絶対足りない。すうにはみんなが必要だ。それでいつか、すうはグリーンイグアナを飼うんだ。大きくなっていくイグアナを大事にお世話して、一緒にお昼寝するの。めぐちゃんのおなかの上に乗ってのんびりしてるイグアナを、みのるくんが一眼レフで撮ってアルバムを作るんだ。家族写真、いいでしょ。そしてそこにはカンタが写っていてほしい。そうしたい。すうはそうしたい。だから、すうと一緒に暮らしてください。みんなで、一緒に」

 思いもかけないプロポーズのようなすうちゃんの話に、僕はやっぱり圧倒された。理解できないし、何が正解かわからない。でもすうちゃんは僕を好きで選んでくれるみたいだから……きっとすうちゃんの一番になれるわけではないし、将来は二人と一匹でもなさそうだけれど、僕はこの時代のやり方で好きな人と生きるしかないのかもしれない。いつか、四人と一匹で。

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