志貴 1
時系列的には、独立の日を迎える以前になります。
絆の片割れ、志貴の視点から。
帝国から巡視が来た。
こんな辺境までご苦労なことだ。
あまりの悪路に疲労困憊していたようだから、夜の宴まで出てこないとは思うが、一応それとなく監視はさせている。
鷹求がめんどくせえとぼやきながらも獲物を狩りに行ったから、この時季外れでも、宴の料理はなんとか見られるものにはなるだろう。
自室に術をかけてこもり、帝国の書状にもう一度目を通した。
微かな痕跡も見落とさないように、慎重に調べる。
・・・何もなかった。
帝国は、我々のことを忘れてくれただろうか。
この世ならざるものを滅する力を持った一族のことを。
辺境の地に追放され、飼い殺されている我々を。
長のみに伝えらえる記録をひもとくと、昔はもっと世界各地に魔物が跋扈していたようだ。
異形と化した獣である魔物だけでなく、知性を持ち会話の成り立つものや、物質としての肉体を持たぬものさえいたらしい。
それらに対抗し、滅する力を持つのは、一族のみ。
皇帝は、誓約で一族を縛り、その力を思うままにした。そして、それらが生じる異界への隙間ともいうべき場所を封じるために、一族の者の命を使い捨てにした。
もう何代にも渡って、誓約の証を求められたことも、匂わされたこともなく、この地に飼い殺されている。
魔物が、この魔の森以外で見つかったという話も聞かない。
本能のままに暴れるだけの魔物なら、一族の力がなくとも、多少の犠牲を払えば対抗できないこともない。
今なら、誓約の破棄を、帝国に認めさせることができるかもしれない。
何かきっかけさえあれば。
そうなったら。
あとは魔物の被害さえ何とかできば・・・。
一族の皆が好きな生き方を選べるようになるだろう。
誰も犠牲にすることもなく。
何代目かの記録に、魔物除けの技について記述があったはずだ。
「・・志貴? おい、志貴! 扉を開けろよ。」
我にかえると、いつの間にか日が傾いていた。
術を解くと、鷹求がしなやかな大型獣めいた動きで部屋に入ってきた。
「皆が、長が部屋にこもって出てこないって困ってたぜ」
「悪い、考え事をしていた。それよりお前、狩りで怪我はしてないだろうな?」
鷹求は自分の怪我に無頓着だ。
「してねえよ、狩りぐらいで」
ひらひらと手を振る腕を掴んで引き寄せ、どこか庇った様子はないか、血の匂いをさせてはいないか探る。
見える範囲に見覚えのない細かな傷もないことを確認して、腕を離した。
「面倒くさいだの、手っ取り早いだの言って、避けないから・・・」
「傷なんか舐めときゃ治るって。」
「魔物傷は治らん!」
「そだな、”治癒”の奴らには感謝だなぁ」
ひょいと肩をすくめる幼馴染にため息をついた。
本当は気づいている。
元から大雑把なところのあった鷹求が、自身の傷にことさら無頓着になったのは、"贄の絆"を結んでからだということを。
”贄の絆”を結んで間もなくの頃だった。
薬草の新しい配合を試したくて、材料の薬草を採りに出かけた。
父について長の仕事を習い、贄を得たからといって鍛錬が減るわけでもなく、自由になる時間は限られていて、その薬草の群生地は少し遠かったから、急いでいた。目的の量も確保でき、時間内に戻れそうだとわかって、一息ついた。
そこで初めて、黙って付いてきていた鷹求の姿に注意を向け、息を飲んだ。
無数の小さな傷でいっぱいだったから。
指の先にも幾つものきずがあり、割れている爪もあった。
頬の引っかいたような傷・・・・、そういえば、茂みを強引に抜けた時、木の枝に当たったような気がする。
痛みも傷もなかったから、夢中で薬草を掘り続けたから。
私の傷が鷹求の身体に。
ゾッとした。
「・・鷹求。」
「こんなの舐めときゃ治るって。」
何でもないことのように、鷹求が言う。
「それよりそろそろ帰ろうぜ。量は集まったんだろ? 俺、腹減った。」
「っ、こんなのじゃない!手を見せろ。」
鷹求は、見せる代わりに割れた爪の指をパクリと咥えてもごもごと言う。
「洗わなくていいのは便利だよな。」
それから、私をじっと見つめて言った。
「これは俺が選んで決めたことだ。もうお前に傷一つつけない。」
私は、何も、言えなかった。
それから、鷹求はいつも何かしら小さな傷をつけている。
「気にしてねえからなあ、いつついたか覚えてないな。」
と、その不注意が私のものか自分のものかわからなくする。
狩りで私に危害が及びそうになれば、鷹求が必ず庇って怪我をする。
他の者を助けに入って怪我をすることもある。
「これは俺の怪我。お前だけ特別扱いしたつもりはねえけどな?」と笑う。
早くトドメをさせるからと、多少の被害は無視して怪我を増やすのに苦言を言えば、「細かいこと気にすんなよ。」とそっぽを向いた。
私は、お前にどう応えたらいいだろう。
絆を結ぶ前、毒に身体を慣らすため微量の毒を飲み、寝台で休んでいたことがあった。
隣の寝台には、私よりやや強いものを与えられたらしい鷹求も、ぐったりと横たわっていた。
常にないほど弱っているように見えたから、何かできることはないかと思った。
「鷹求、何か欲しいものはあるか?」
億劫そうに目を開けた鷹求が、しばらくしてから、ぽつりとつぶやいた。
「自由がほしいな」
利かん気の強いいつもの顔でなく、その頃よくみた不機嫌そうな表情でもなく、憧れを宿した瞳で夢見るように。
贄が長より長生きした例はない。
そもそも贄が長生きした例さえほとんどない。
贄は死ぬまで絆に縛られるのだから。
私はお前にどう報いたらいいだろう。
「お前が目指してることすげえと思った。その先を一緒に見たいと思った。
何だよ、俺は手出ししちゃだめなのかよ?お前が1人でやらなきゃいけないことか?
俺はそうは思わない。
一緒に目指そうぜ。俺にもなにかさせろよ。
俺にできることは、これしかないから。だからやるよ。」
鷹求を巻き込む気は無かった。自由に、外の世界に憧れているのを知っていたから。
だけど、真剣な瞳で、そらすことなく率直に伝えられた言葉に、どうしようもなく心が揺れた。
生まれてからずっと傍らにいたのだ。
鷹求がこれからもそばにいて一緒に戦ってくれたなら。
ちらりとそう思っただけのつもりだったのに、もう絆の力に引き寄せられてしまっていた。
「志貴?どした? 帝国の書状なんかまずかったのか?」
「・・・いや。」
とっさに言葉が出なかったことに、何かを察したのか、鷹求が苦笑した。
「まーたなんか済んだこと考えてねえだろな?・・・・それより、あの帝国野郎どうするよ。適当にあしらって帰すだけでいいのか?」
そうだ、過去は変えられない。
鷹求は、私に謝罪も贖罪も求めない。やりたいことをやっただけだから、と。
だから、私がすることは、謝罪でも贖罪でもない、目指すことのためにできることを。
「・・・ちょっと仕掛けてみようと思ってる。きっかけがほしくなってきた。」
心強い幼馴染が、面白そうにニヤリと笑った。
理詰め先読みどんとこいで、常に冷静沈着な志貴さんが、鷹求がからむとヘタレる。おかしい。