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グロ表現ありの回です。ご注意ください。
「知ってるわ。あなたはとっても仕事熱心な人よね? だからあなたがもっと仕事のできる人になれるように、私が手伝ってあげる」
「……ッ」
大山が何を言っても、卓也はもう何も言い返せなかった。
いくら詫びても彼女は聞く耳を持たないから。それもあるが、何より彼女から発せられる狂気と恐怖が、卓也から完全に声を奪っているような気がした。
少しその場を外した大山。その隙に逃げられそうな場所はないかと卓也は視線を縦横無尽に走らせた。
薄暗い空間に目が慣れてくると、ところどころにひび割れたコンクリートの柱が見える。足元には規則正しく描かれた白線があり、その間には番号が振られているようだ。
かすれてしまっていてよく見えないが、白線の合間の地面に描かれたあれは……矢印?
それから二つずつ並んで設置されたブロックのような物体はタイヤ止めだろうか。となると、ここはどこかの屋内駐車場だと推測するのが妥当だろう。
「お待たせしてごめんなさい。持ってきたわ」
重そうに運んできたそれを、大山はガシャンと派手な音をたてながら地面に降ろした。
その音は卓也にとっては聞き馴染みのあるもの。どうやら彼女が運んできたのは、ケースにぎっしりと詰められた大量のビール瓶のようだ。
「酒屋さんで働いてると、質の悪いお客さんもたくさん来るでしょう? 酔っ払ってる人なんかは特に厄介よね。だからそういう人が相手でもきちんと接客できるように、私が特訓してあげる。私はとってもシンセツだから」
「おい、待て……何をするつも――ッ!?」
そう言うと大山は、ケースからビール瓶を一本引き抜くと、卓也の頭目がけて思い切り振り下ろした。
茶色いガラスが派手な音を立てて飛び散る。殴られた衝撃で卓也は視界が二重にぼやけ、一瞬でびしょ濡れになった衣服の下ではビールの炭酸が肌を刺していた。
「おうーい、きいてんのかーあ。おきゃくさまがビールをごしょもうなんだぞうーい」
「なんの……つもり、だ……」
「ん? 何って、接客の練習よ。私が酔っ払いのお客さんの役をしてあげるから、上手く応対してちょうだい?」
そう言うと大山はもう一本ビール瓶を引き抜き、再び卓也の頭に振り下ろす。
勢いよく割れた二本目もあたりに破片を散らし、殴られた痛みが時間差でじんじんと頭に響く。
「なんとかいったらどうなんだーあ。さけをうるのがさかやのしごとなんだろうーい」
演技力の欠片もない棒読みで、三本目四本目と次々に殴り掛かってくる大山。その様はまさに狂気の沙汰だ。
殴られすぎて意識も朦朧としてきた卓也。しかし気を失う寸前、太ももに焼けるような痛みを感じて卓也は身体が跳ねあがるのを感じた。辛うじて視線を下ろすと、どうやら割れた瓶を大山が太ももに突き刺したようだ。
「ダメよ、途中で寝たりしたら。私がせっかくシンセツに特訓をつけてあげてるのに」
「もう……やめてくれ、大山……僕が悪かった……悪かったから……」
「違うわ、そんなことを聞きたいんじゃないの。ちゃんと接客してくれないと特訓が終われないじゃない。ほら、早く」
どうやら謝ってもやめる気はないらしい。とんだ茶番だが、棒読みで酔っ払いを演じる大山を相手に卓也が接客をするまでこのシンセツは終わらないようだ。
「……お客、さま……そのようなことを、されては……困りま、す……」
「はーい、よくできましたー」
まともな思考もできないほど殴られた卓也が一言漏らすと、大山は嬉しそうな声を出してもう一度ビール瓶を振るった。
もう何本目かもわからないほど頭で割られたビール瓶。意外にもあっさり合格を出したあたり、大山もこの三文芝居には少し飽き始めているようだ。
「じゃあ特訓はこれでおしまいにして、次ね」
次があるのか、と卓也は絶望した。
何度も頭を殴られて意識が薄れているというのに、シンセツと称した拷問はまだ続くらしい。
次は一体何をされるのかと、ぼんやり考える卓也。
そんな彼の不意を突いて、大山は懐からサバイバルナイフを取り出すと、いきなり卓也の左目に突き刺した。
「――ッ!? あ"あ"あ"ッ!?」
「ごめんなさい。ちょっと痛かっただろうけど、我慢してね」
意識が朦朧としていたせいで完全に反応が遅れた卓也だが、吐き気を催すほどの左目の激痛に完全に意識が覚醒した。
どろりと半分が真っ赤に染まった視界で、真っ赤な着物を着た大山を睨む。少し返り血が飛んでいるようだが、元々赤い着物のためあまり目立っていないように見えた。
「ほら、人間って一部の感覚が麻痺すると、それを補って他の感覚が鋭くなるらしいじゃない? あなたはお酒の香りを楽しむのが好きだって話をしてたし、嗅覚以外を潰せばその楽しみがもっと深まると思って」
「それ……店で純と話した……なんでその、話をお前が……知っている……?」
「当たり前じゃない。私も一緒に聞いてたもの。その話」
さも当然のように答える大山。
まさか、亡霊だから姿が見えなかっただけで、彼女もあの場にいたのだろうか。
信じられない。非科学的だと信じていなかったが、本当に幽霊というものが存在しているなど……。
「右目を潰すのはあとにしてあげるわ。視覚って人間が一番頼りにしてる感覚らしいから。私ったら本当にシンセツね」
そう言って大山は、数メートル離れた駐車場の柱に向かって歩き出した。
そして彼女がその陰から持ち出してきたものを見て、卓也は全身からどっと汗が噴き出すのを感じた。
こちらへ戻ってくる大山が握っているのは、今までずっと卓也の死角で炙って準備していたのであろう、先端が真っ赤に焼けた鉄の棒だったのだ。
「視覚は半分潰したし、私の話が聞けなくなるのは困るから聴覚は最後でしょ? だから次は、味覚を潰してあげようかしらね」
「おい、待て……待ってくれ」
その言葉で大山が何をしようとしているのか想像がついてしまった卓也。
その恐怖で思わず失禁し、彼は既にビールでびしょ濡れのズボンをさらに温かく濡らした。
不気味にすら見える笑みを浮かべて歩み寄ってきた大山は、卓也を縛り付けた椅子を蹴り倒す。
そして仰向けのまま身動きが取れない卓也の胸を踏んで身じろぎすら抑え込むと、焼けた棒を彼の顔の前でちらつかせながら穏やかに口を開いた。
「怖がらないで。ちょっと熱いだろうけど、これが済んだらあなたは今まで以上にお酒の香りが楽しめるようになるんだから。ね?」
「嫌だ……嫌だッ!! 誰か! 誰か助け――――ッ!!??」
最後の力を振り絞って大声を出した卓也だったが、それが仇となった。
じりじりと肌を焼いていた鉄の棒は、その一瞬のうちに卓也の口の中へと強引に押し込まれたのだ。
悲鳴にならない声がもごもごと駐車場に木霊する。
真っ赤な鉄棒は抵抗すらまともにできない卓也の舌を焼き、歯を削り、唇を焦がしていく。
いくらもがいても大山は鉄の棒を抜こうとはせず、むしろぐりぐりと口の中へ押し込んでいく。その表情は快楽でも優越でもなく、不気味なほどの無そのものであった。
「そろそろいいかしら。少し焦げ臭いわね」
大山がようやく鉄棒を引き抜くころには、卓也の意識は半分なくなってしまっていた。
刺された左目からは涙と血が混ざったものが流れ出ている。そして思い出したかのように、大山は残った卓也の右目にもナイフで切りつけて彼の視覚を完全に奪った。
「……ァ……、……」
「ん? なあに? 心配しないで。私はとってもシンセツだから」
両目を潰されて、卓也にはもう何も見えない。喉の奥が焼けて腫れあがり、呼吸すらまともにできない。
大山はそんな卓也の前に、一本の桶を持ち出してきた。
「じゃあこれで最後ね。せっかくお酒の香りをもっと楽しめる身体になったんだもの。十分に堪能してちょうだい?」
何も見えない卓也には、大山が何を準備しているのかがわからない。
もはや抵抗する気力すら残っていない卓也。そんな彼を縛り付けた椅子を大山は蹴飛ばし、彼がうつ伏せの状態になるようにした。
「ああ、私ってなんてシンセツなのかしら。大好きなお酒を文字通り浴びるほど飲めるなんて、酒屋として最高の幸せだと思わない?」
そう言って大山は、卓也の顔を桶の中に力いっぱい押し付けた。
桶の中身は水――いや、これは芋焼酎だ。舌を焼かれて味はわからないが、皮肉なことに鋭敏になった嗅覚が、その香りだけで銘柄まで卓也が予想することを可能にした。
しかしそのようなことを考えている場合ではない。喉の奥が焼けて腫れあがっているせいで、ただでさえ呼吸が苦しいというのに、今度は桶に溜めた酒に顔を沈められているのだ。
しかし卓也は、このまま殺されるのだとしても抵抗できるだけの気力は残っていなかった。それどころか、今すぐ殺して欲しいとまで思うほどの苦痛を味わっていた。
これがシンセツ……自分は大山に同じことをし、同じような思いにさせたというのだろうか。
もはやこの感情が恐怖なのか後悔なのかもわからない。一切の抵抗すらできぬままに、堀田卓也はむせかえるほどの強く濃い酒精の中へとその意識を完全に沈めた。