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「はぁ……はぁ……はぁ……!」
翌、土曜日。純は深夜のアルバイトを終えるや否や、午前中から大量の汗を流し走っていた。
その理由はたった一つ。卓也や英彦に続いて、今度は杏奈まで連絡が取れなくなったのだ。
「出ろよ……頼むから出てくれ……!」
走りながら杏奈の携帯に電話をかける。
しかししばらく呼び出し音が鳴ったあとで純の耳に聞こえてきたのは杏奈の声ではなく、留守電メッセージを残すよう指示する無機質な音声案内だった。
「クソッ!!」
舌打ちをしながら走るうち、純は杏奈の下宿するアパートに辿り着いた。
階段を駆け上がり、杏奈の部屋のインターホンを押す。しかし中から返事が返ってくることはなかった。
いくら仲のいい親友とはいえ、年頃の女性の家に勝手に入るなど言語道断。
普通ならそう考える純だが、今は緊急事態だ。連絡がつかない杏奈の安否を確認するため、やむを得ず純は彼女の部屋のドアノブを回した。
すると、鍵はかかっておらず、ドアがあっさりと開いた。
あれだけ座敷童が来たらと心配していた杏奈が、この日に限って戸締りを怠るなんて考えにくい。
純は慌てて杏奈の部屋に上がり込むと、部屋に彼女がいないか見渡した。
「杏奈! いないのか!? おい!」
部屋自体はワンルームで広くはない。
一目見ればわかることだというのに、純はつい部屋の中にいるはずのない杏奈に呼びかけてしまっていた。
「いない……杏奈まで……クソッ!!」
思い切り壁を殴りつけても、部屋はしんと静まり返っている。
やはり杏奈の言う通り、アルバイトなんて休んで泊めてやるべきだった。
本当に大山忍の幽霊の仕業なのかどうかはさておき、一緒にいれば最悪の事態にはならなかったかもしれないというのに。
悔やんでも悔やみきれず、床にドンと膝をつく純。
すると彼は、杏奈の部屋の床に妙な違和感を覚えて首を傾げた。
「なんだ……砂……?」
杏奈の部屋には、なぜだか砂が上がり込んでいる。
その砂が散っているのはワンルームの廊下が中心。特にトイレ周辺には多いようだった。
どうして部屋の中に砂があるのだろう。
結婚願望が強く良妻を夢見る杏奈は、料理はもちろんその他の家事もしっかりこなすタイプだ。とても綺麗好きで、掃除もまめにしているはずなのだが。
まさか、と純の中で推理が組み上がる。
もしかするとこれは、何者かが土足で上がり込んだ形跡なのでは、と。
誰かに追われていた杏奈が靴を脱ぐ暇も惜しんで部屋に逃げ込んだのか、あるいは部屋に侵入した誰かによって杏奈が被害に遭ったのか。
どちらにせよ、第三者が関わっている可能性は極めて高い。そしておそらくその人物は、卓也と英彦の失踪にも関係している。
証拠と呼ぶにはあまりにも弱いが、仮説を立てる手掛かりとしては十分だ。
部屋には何者かが土足で歩いた痕跡がある。ならば少なくとも予想できるのは、相手は幽霊などではなく、おそらくは生きた人間だということだ。
「もう……それしか考えられないよな……!」
杏奈の家を飛び出した純は、再び炎天下の中を駆けた。
向かう場所は決まっている。昨日も訪れた、大山忍の実家だ。
大山の母親でも父親でもどちらでもいい。純は尋ねなければならないことがある。
四人組のうち三人が消えた。次は間違いなく自分だろう。
しかし純は自分の身を守るためというよりも、消えた親友たちを思って駆ける。
このまま黙っていてたまるか。卓也も英彦も杏奈も、俺が必ず見つけ出してやる……! 最悪の予想すら脳裏にちらつくが、それでも……!
このままのペースなら大山の実家まであと五分といったところだろうか。
熱中症で倒れるかもしれないという不安などお構いなしに、純は昨日歩いた住宅街をひたすらに走る。
『座敷童』の思うようになんてさせるもんか。
俺は戦う。消えていった親友たちのためにも、俺はこのまま隠れたりなんかしない……!
この角を曲がれば、大山家はすぐそこだ。
そう安心して純がラストスパートをかけようとした、そのときだった。
「――――ッ!?」
角を曲がった瞬間視界に飛び込んできたのは、一台の普通自動車。
全力疾走する身体はそのままボンネットに乗り上げ、ブレーキをかけた車から転がり落ちた。
焼けるように熱いアスファルトの上を転がり、二重にぶれる視界の中で呻く純。
頭を打ったせいで一瞬事態が飲み込めず、轢かれたのだと自覚するまでは数秒の時間を要した。
車から運転手が降りてくる。意識が朦朧としていてよく見えないが、どうやら若い女性のようだ。
これから救急車を呼ばれるのだろうか。いや、搬送されている場合ではない。早く立ち上がって、大山の両親に尋ねたいことがあるのに……!
ところが次の瞬間に純を待っていたのは、運転手の女性からの呼びかけでも応急処置でも、ましてや救急車を要請する通報でもなかった。
突然腹部に何かを押し当てられ、それと同時に全身を襲った激痛。身体中の筋肉が強張り、ぴくぴくと痙攣し始める。
一体何が起きたのだと、純は薄れゆく意識の中で辛うじて目を凝らし、すぐ横に膝をつく女性が握っているものを視界に捉えた。
「……スタン、ガン……?」
わかったのは、それだけ。
次の瞬間には純の瞼はゆっくりと閉じ、その意識を完全に闇の中へと閉ざした。