表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/15

迷子2


西館二階の廊下の突き当たり。

雪路たちが向かったときには、中庭が見えるほうの窓には、だれもいなかった。


近くの教室は授業中のようで、講義の声がする。


名鶴に電話をかけると、1コール目で出た。

スピーカーから、名鶴の大きな声が聞こえた。


『遅いよっ。なにしてたのっ』

「最短時間で来たわよ」

「そうだな。腹が減っては戦は出来ないからな」

『まさかランチなんて食べてないですよね』

「そんなことはいいじゃないか。とりあえず、いま俺と雪路君は、名鶴君と同じ場所に立っているはずだ」

『え?』


名鶴の様子から、辺りを見回していることは分かる。

が、当然ながら、見えてはいないだろう。


『あの……いませんよ?』

「そうだな。俺の前にも君はいない」

『違う場所じゃないんですか?』

「いや、この大学では、中庭が見える廊下の窓は、食堂を除くとここだけだ」

「厄介そうですね。名鶴を惑わせている『良くないもの』の名前を掴むしかなさそうですけど……」


雪路が人差し指でコメカミを押さえた。

『良くないもの』の名前を知ることは、かなり骨の折れる作業だ。


「『良くないもの』が飽きるまで……」

『姉ちゃん。まさか、放置するつもりじゃないだろうね』

「大丈夫だ。名鶴君だけを無理やり引きずり出そう」


弁天が言う。

セーラー服の美女が言うには、少々過激な言葉だ。

弁天は雪路に向かって手を差し出した。


「では雪路君。すまないが、手をつないでいてくれないか」

『僕が大変なことになっているときに、姉ちゃんを口説かないでくださいよ、先輩』


名鶴がすかさず抗議する。


「違う。俺がいない間に、他の奴が体に入ると面倒だからだ。雪路君と手をつないでいれば、悪い者は近づけないだろう」

「なにをするつもりですか」


雪路の問いに、弁天は簡潔に答えた。


「体を出ようと思っている」


深く聞く前に、弁天は雪路の手を握った。

女の姿のはずの弁天の手は、大きく、少し節ばっている。


すると、繋いだ手が冷たくなる。

弁天はぴくりとも動かなくなって、虚ろに窓を見つめている。


なにをしているのかはすぐに分かったので、雪路は黙って弁天の手を握りなおした。

幽霊や霊体が見えない雪路には、それしか出来ないのだ。


一方、訳の分からない空間に綴じ込まれた名鶴は、これまた訳も分からず呆然としていた。


目の前には、先ほどまでいなかった弁天先輩の姿がある。

が、上半身だけだ。


ぱっきりと割れた空間から、弁天の上半身だけが、まるではみ出ているかのように飛び出している。

ちなみに、この際どちらでもいいが男バージョンだ。


『なるほど。そこにいたのか』


実体のない弁天が、名鶴に向かって手を伸ばす。


『俺が見えているか、名鶴君』


幽体の弁天が口を動かす。

言葉は遅れて、頭の中で直接響いた。


「……十分すぎるくらい見えてます」


『嫌そうに言うな。見えているなら、掴まってくれ。ここから引きずり出そう』


弁天の体が歩み寄るように前に出る。

上半身しか見えていなかった体が、ちょうど腰のあたりまで見えるようになった。


おそるおそる手を伸ばす。


幽体になんて触れないと思った瞬間、弁天の手が実体化したように見えた。


たしかにそこに存在する質感。

弁天の手がしっかりと名鶴の手を掴んだ。


悲鳴を上げる時間もなかった。


一瞬ぐらりと目の前が歪む。

気がついたときには、名鶴は本物の弁天先輩に手を掴まれたまま、姉の前に立っていた。





急に目の前に現れた弟に、雪路は驚きもせずに「おかえり」と言った。


「うぅっ。姉ちゃ~んっ」


半分泣きながら、名鶴が雪路に抱きつく。


「ほんとに気味悪かった……季節感がおかしいしっ。何度も同じ場所に戻っちゃうしっ」

「結局、なにに迷わされたのかしら」

「とにかく怖かった! もう一生戻れないかと…!」

「はいはい。分かったから。大きな声出さないでね。授業中なんだから」

「あれ? さっきは授業なんてしてなかったのに」


名鶴がふと体を離す。

教室を見ると、たしかに講義中のようだった。


慌てて、先ほどさんざん眺めた窓を振り返った。

窓からは中庭が見渡せる。


そこには、桜が並んでいて、ベンチの横には紅葉していない木がある。


ふと違和感に気づいた。


「……甘夏がない」


先ほどまで触れそうなくらい近くにあった甘夏の木がない。


弁天先輩が言った。


「10年ほど前までは、この場所には、甘夏の木があったらしいな。もう切ってしまったそうだが」

「切った? どうしてですか」

「根元が腐ってしまって、倒れると危ない状況だったそうだ。いまでも木があった場所には、根元だけが残っている」


言われて、窓のすぐ下の地面を見た。

たしかにそこには、木の切り株があった。


「……帰れて良かった……」


思わず安堵の声がもれる。

雪路が疑問を口にした。


「弁天先輩は意外な特技があったんですね」


先ほどの脱出劇のことを言っている。

一瞬実体化した手は、雪路にも見ることができた。


本体から幽体が自由に抜け出せて、なおかつ実体化するなんて、履歴書に書きたいくらいの特技だ。

弁天は腕を組みつつ答えた。


「ろくろっ首気質なんだ。昔は気をぬくと首だけ幽体が抜けてしまって大変だったんだ」

「はぁ。たしかに、周りはびっくりするでしょうね」

「いまは首だけでなく体全部抜け出せるし、出し入れも自由自在なんだがな。最近は『良くないもの』を寄せ付ける体質になってしまって、危なくて抜け出せないんだ」

「……へえ……最近の体質、ですか」

「今でも寝ているときなんかは偶に抜け出てしまって、苦労してるんだ」

「ねえ、お腹すいたよ」


空き具合をアピールするように、名鶴の腹がぐぅと鳴る。

雪路は首を振った。


「わたしはお腹いっぱいだから、名鶴は一人で学食に行きなさいな」

「やっぱり、ランチ食べてから助けに来たよね。最短時間じゃなかったよね」


名鶴が恨めしそうな声を出す。


「あれがわたしたちの最短時間だったのよ」


弁天先輩もうなずく。


平和な午後だった。




『迷子』 終わり




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ