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トリカエッコ4


大学の外に出た弁天先輩は、普通の大学2回生の男だった。


ふわふわと天然パーマがかった栗色の髪は、短くなっている。

肩幅はがっしりとしていて、とてもじゃないが先ほどまでセーラー服を着ていたようには見えなかった。


今後について話し合う名目で、駅前のファーストフード店でハンバーガーを食べている。


が、名鶴は嘆くばかりで、弁天は食べるばかり。

あまり話は進まない。


雪路はここで、素朴な疑問をぶつけてみた。


「結局、トリカエッコってなんなんでしょう。名前ですか?」

「……さぁ?」


食べ終わったハンバーガーの包み紙を綺麗に正方形に折りたたみながら、先輩が首をかしげる。


「弁天先輩は、トリカエッコと高校から一緒なんですよね」

「そうだが……さっきも言ったとおり、トリカエッコは不登校だったんだ。卒業できたのも、理事長の孫という立場を利用して、出席日数をごまかしたからという噂があるくらいだ。俺はクラスも別だったしな」

「じゃあ、なにも知らないんですね」

「でも確か、中学までは普通に学校に通っていたと聞いたことがあるな。高校の中頃からは、今のように妙な結界を張って、簡単には会えなくなってしまったが」

「じゃあわたしたち、結局、本当の名前すら分からないんですね」


蛇の胴体はすぐ側に見えているのに、肝心の蛇の頭が見えていないような、不思議な感覚だ。

得体の知れない気持ち悪さがある。


雪路は隣で涙ながらに突っ伏している名鶴の頭を叩くと、立ち上がった。


「変えるよ。蔵で調べましょう」


頭が分からないなら、見えている胴体を鷲掴みにするしかない。





「ねぇ。まだ探すの?」


名鶴が眠そうな声を出した。

家に帰ってから、5時間は経過している。


冷たい床に座り直して、雪路はまた新しい本をめくった。

目が痛い。


蔵の中の膨大な量の蔵書をすべてを探すのはさすがに無理なようだ。


雪路は棚また新しい本を取り出しながら、胡座をかいてうとうとし始めた弟に言った。


「先に寝てていいよ」

「なんだかそれも落ち着かないよ。っていうか、妖怪の文献なんて読んだって、トリカエッコなんていないと思うよ」


横であくびをする名鶴を見て、思い出したように眠気が襲ってきた。

コメカミを押す。


「でも、分かるかもしれないでしょ? これだけ文献があれば、どこかに載ってるかも……」

「でもあの子、妖怪ってかんじじゃなかったよ。どちらかというと、呪いのフランス人形が動き出したかんじだった」

「フランス人形を見たことあるの?」

「ない」


名鶴は床に座ったまま壁に寄りかかる。

目はもう閉じかかっている。


「フランス人形……ね」


妖怪全集を置いて、棚の一番下の段を探す。

この蔵にある文献は日本に関するものが多いので、ヨーロッパに関する文献は、この段だけだ。


雪路は徹夜覚悟で、右端から順に読んでみることにした。





「トリカエッコにもう一度会いたいんです」


次の日の朝、怖がる弟を連れて昨日の教室をのぞいたけれど、トリカエッコはいなかった。


代わりにミステリー研究会には弁天がいて、雪路は挨拶もそこそこに頭を下げた。

名鶴がため息まじりに言う。


「姉ちゃん、言い出したら聞かないんですよ」

「なるほど。しかし、トリカエッコに会ったところで、状況は悪化するだけだぞ。俺を見ろ。もがけばもがくほど悪循環だ」


先輩はセーラー服を見せつけるように、くるりと回ってみせた。


「こうはなりたくないだろう?」

「絶対になりたくありません」


名鶴が頷く。


「それはちょっと言い過ぎじゃないか」

「でも、そんなことは関係ないんです。とにかく、お願いします」


弁天はじっと雪路の顔を見たあと、覚悟を決めたようにうなずいた。


「よし、分かった。じゃあ今から、文化人類学の講義を聞きに行こう」





暗い室内に、教卓がひとつ。

昨日と同じように、トリカエッコはその前に立っていた。


「昨日ぶりね。どうしてここに来たのかしら?」

「昨日、人の本質を知りたいかって聞いてましたよね」

「ええ」

「知りたいです。あなたの本質が」

「へえ?」


余裕の笑みを浮かべるトリカエッコに、雪路は言った。


「昨日、徹夜で調べました。わたしの家にあるヨーロッパの文献を、すべて」


ぴくり、とトリカエッコの頬が引きつる。

が、それは一瞬のことで、また元の笑顔に戻る。


雪路は自信を持って続けた。


「中世ヨーロッパでは、妖精と取り替えられた人間の子を、取り替え子と言ったそうです」

「取り替え子?」


後ろで、先輩の声がする。

雪路は表情の変化をひとつも見逃さないように、ただただ真っすぐにトリカエッコを見つめた。


まだ、表情は崩れていない。


「人と違う人間は、人の輪に入れないことが多いです。たとえば、変わり者とか、障害のある人、頭の良すぎる人。ヨーロッパでは、そういう人たちを、取り替え子として遠ざけていました。そこで、わたしは思ったんです」


一度言葉を切って、反応をうかがう。


「あなたは、妖精に取り替えられてしまった子どもなんでしょうか」


答えを待つように、話すのを止めた。

トリカエッコは教卓に肘をついて、試すように雪路を見ている。


間が空いたけれど、トリカエッコはきちんと答えた。


「……少なくとも、わたしの祖母はスコットランド人で、取り替えられた妖精の子どもだったと聞いているわ。本当かどうか知らないけれど」

「なら、あなたが取り替え子と名乗る理由はなんですか」

「……わたしが、人と違うからじゃないかしら。クウォーターなぜか金髪だし、変な力もあるしね」

「人と違うところは、それだけでしょうか」

「どういう意味かしら」

「姿を取るだけなら、わざわざ女を男に、男を女にする意味はありません。どうして、性別にこだわるんですか?」


今度こそ、トリカエッコから笑顔が消えた。


笑顔が消えると、とても冷たい印象になる。

だが、その冷たい印象は、綺麗な容姿のせいだけではない気がした。


雪路は確信した。

やはり、雪路の推測は正しい。


「あなたが本当に知りたいのは、あなた自身の本質じゃないでしょうか」


トリカエッコはなにも言わない。

ただ無表情を貼りつけている。


雪路の言葉に興味がないようにも見えるし、処刑されるのを待っているようにも見える。

雪路は、自分の仮説を、堂々と宣言した。


「トリカエッコ。あなたは、戸籍上は、男なんじゃないですか?」


「え?」と、名鶴の驚く声がした。


「戸籍上は男、でも中身は女。あなたが本当に分からないのは、あなた自身の本質です」


その瞬間、ぐにゃり、空間がゆがんだ。


すると、ぐっと、後ろに引っ張られた。

掴まれた左手の痛みだけが、ゆがんだ視界の中で妙にリアルに感じる。


その力強さから、弟ではないことだけはよく分かった。





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