プロローグ
今日の日替わり定食は、ブリの照り焼き。
小皿で納豆も追加した。
大学生活3日目にして初めての食堂は、お手ごろな値段と雪路好みの味で、悪くなかった。
納豆を混ぜていると、大声で「姉ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた。
雪路をそう呼ぶ人物は、双子の弟しかいない。
……いや、この場合は妹か。
とにもかくにも、雪路の弟、名鶴は、なぜかロングスカートをはいていた。
「……かわいいわね」
「やめてよ!悲しくなるよ!」
名鶴が叫んだ。
大きな黒目がちの目にうっすらと涙の膜がはっていて、とても愛らしい。
てっきり女装のできばえを褒めてもらいにきたのかと思ったが、この様子では違うようだ。
「どうしよう、姉ちゃん。トリカエッコに、姿を取られちゃったんだ」
「トリカエッコ?」
知らない単語だ。
「とにかく、来て。食堂では話せないんだ」
「そうね。デリケートな問題だし、家でゆっくり話しましょう」
「そうじゃなくて。この姿を見られたくない人がいるんだ」
「でも、カミングアウトは早い方が混乱も少なくていいんじゃないかしら」
「お願いだから、そんなに早く受け入れないで。とにかく、来てもらったらわかるから」
名鶴は雪路を席から立たせると、ぐいぐいと引っ張っていく。
「あ、納豆……」
「ごめん。諦めて。かわいい弟の一大事なんだ」
「たしかに、今はかわいいわね」
食堂の階段を上がると、大学の正面玄関が見える。
規模の大きな有名私立大学なだけあって、立派な学門だ。
歩きながら、名鶴は焦った口調で言った。
「とにかく、研究会に行かないといけないんだ」
「クラブ活動なら一人でどうぞ。というか、クラブに入るならスカートで大丈夫かしら」
男子サッカー部や男子バレー部は、スカートをはいていても入れるのだろうか。
「時間がないんだよ。とにかく、触って」
学門の前で立ち止まると、弟は雪路の手を取って、自分の胸に押し当てた。
雪路は一瞬考えてから、自信たっぷりに答えた。
「……Bカップね」
「そうじゃないよ! いや、たぶんBだけど! でもこの場合は、どうして男の僕に胸があるのかということを気にしてよっ」
「あぁ、整形したの?……まさか、全部とっちゃったの? 一応、姉に相談くらいしてくれたって……」
「違うよ!ってか、下はまだあるよ!」
明け透けに叫ぶ弟に、通行人が奇異の眼差しを向ける。
学門の外は、普通の道路なのだ。
名鶴は冷たい視線をいとも簡単に無視して、一歩、学門を出た。
ぐにゃり、一瞬、空間がゆがんだ気がした。
思わず目を細める。
瞬きの間に、名鶴は、今朝家を出たときと同じ、ジーンズ姿になっていた。
雪路は一歩前へ出て、名鶴の胸に両手を当てた。
通行人がひとり、立ち止まって姉弟を見ている。
たしかにBカップだった胸は、平らになっていた。
「……現代の技術ってすごいのね」
「違うよ!」
弟の叫びが、大学中に響き渡った。




