風の噂
「この大学の生徒が、連続で自殺未遂をしたらしいよ」
まるで極秘情報でも話すかのように、名鶴が小声で言った。
「へぇ…」
と相づちを打ちながら、雪路は雑誌をめくった。
今月のお弁当特集は、手軽で美味しそうな料理レシピばかりだが、コストがかかりそうだ。
弁当に夢中の雪路の前で、弁天は一人でジェンガをしている。
いま、二つ目のジェンガを引き抜いたところだが、すでにぐらぐらと揺れている。
三限が休講だったため、双子はミステリー研究会で暇を潰していた。
ちなみに弁天は、授業をサボってジェンガの修行中らしい。
雪路が雑誌をめくる度に、揺れてもいないテーブルを憎らしげに押さえている。
名鶴は興味のなさそうな二人の反応に、声を大きくした。
「ねえ、聞いてる? 僕の学科では、かなり噂になってるんだよ。芳和の友だちの友だちも、自殺したらしいんだ」
「ああ、茶道部の」
「芳和が言うんだから、間違いないよ」
姉と一緒に行動することが多い名鶴だが、優しい人柄から、友だちが多い。
力説する名鶴には目もくれずに、雪路は大豆の唐揚げのレシピを見ている。
名鶴がむくれる。
「僕の話を疑ってるの?」
「いいえ。名鶴を疑ったことはないわ。ただ、一見すると近くに思える相手でも、案外遠かったりするでしょ」
「どういうこと?」
「あなたは、友だちの芳和君に聞いた。その芳和君は、友だちに聞いた。その友だちの友だちは、またその友だちに聞いたのかもしれないわ。私は名鶴を信用することはできても、知らない人は信用できない」
「確かにその通りだな。発信源があやふやなら、信憑性は低いだろう」
四つ目のジェンガを抜き終えた弁天が、会話に入ってくる。
「伝言ゲームと同じだ。噂というのは広まるのは早いが、間違っている可能性が高い」
「……もういいです」
名鶴はそっぽを向いて、窓を開けた。
軽やかな風が、春の匂いと一緒に部室に入ってくる。
雪路がようやく雑誌から顔を上げた。
「桜、満開ね」
「今年は少し遅咲きだったな。…ああっ」
弁天が叫ぶ。
ジェンガが、机の上に散らばる。
ジェンガを拾いながら、弁天は悲しげな声で言った。
「風が当たったからだな」
「先輩の力量だと思います」
雪路が冷静な意見を述べた。
崩れたジェンガに気を取られていた名鶴が、ふいに「あ」と窓の外を見た。
「今から、雨が降るらしいですよ」
「晴れているじゃないか」
弁天が再びジェンガを積み上げながら言う。
たしかに、今日は快晴だ。
「でも今、雨が降るって噂が…」
「また噂か」
呆れたような弁天に、名鶴はむきになって言った。
「これは本当ですよ。風の噂ですから」
「風の噂?」
「風が噂してるんですよ」
「なんの話だ」
弁天が訝しげな顔をする。
それには、雪路が答えた。
「精霊が噂してる声が、風に流れてきたんですよ。名鶴には、たまに精霊の声が聞こえるらしいです」
すると、ぽつり、と窓に水滴が落ちた。
それから、水滴の数はだんだんと増えて、最後には叩きつけるような雨が降ってくる。
名鶴は「ほら」と外を指差す。
その手が雨に濡れて、慌てて引っ込める。
雪路は雑誌を閉じた。
じっと、晴れた空から降ってくる雨を見つめる。
「狐の嫁入りね」
「雨のせいで桜が散ってしまうな。せっかく歓迎会もかねて花見をしようかと思っていたのだが」
弁天が残念そうに言った。
名鶴は窓から視線を外して、雪路を振り返った。
「ねぇ、姉ちゃん。雨が止んだらいいと思わない?」
「そうね。止んだらいいわね」
すると、まるで雪路の声が合図だったかのように、ぴたりと雨がやむ。
弁天が「止んだな」と不思議そうな顔をした。
「きっと、誰かが聞いてたんですよ」
名鶴が笑う。
雪路は呆れて言った。
「通り雨だったから、すぐに止んだんでしょ」
「なるほど。雪路君は、水と相性がいいんだな」
弁天が妙な納得をする。
「だから、通り雨なんですってば」
雪路の言葉に、二人は優しげな表情でうなずいた。
訳が分からない。
「なんだか、二人だけに分かってるってかんじでムカつくわ」
雪路はため息をつくと、また雑誌を開いた。
弁天もまた、ジェンガに戻っていく。
「お花見、楽しみだなあ」
名鶴の呟きは、風に乗って流れていった。
『風の噂』終わり




