55話 ようこそ!エロメス街へ!
アンデル王国の王都北西の一画に、人々の欲望渦巻く場所が存在する。
その場所の名は『エロメス街』。
所謂、歓楽街というやつだ。
エロメス街の中には数多くの酒場に賭場、それに娼館などの様々な娯楽施設がひしめいており、夜な夜な酒や女を求めて訪れる人々を楽しませている。
そんなエロメス街の通りは歓楽街らしく非常に賑やかである。
日が落ちるとともに酒や食事を求める多くの人々が街に訪れ、人々の喧騒や客を求める扇情的な衣装を身につけた娼婦の呼び声などが辺りに響き、通りはなんとも活気に溢れるのであった。
その日も太陽が落ちるとともに、エロメス街に並ぶ店に明かりが灯り、仕事帰りの数多く人々が通りに並ぶ酒場へと足を運んでいた。
そんな酒と欲望渦巻くエロメス街の賑やかな通りを、その雰囲気とそぐわない物々しい威圧感を醸し出す一行が突き進んでいた。
その道行く一行の、一人ひとりの特徴を具体的に言えば………。
先頭を行くは、悪魔みたいな鎧を着た禍々しい雰囲気を放つ騎士。
その両隣には、魔王みたいな風貌かつ骸骨顔の巨漢騎士と、宙に浮くデカイ目玉に触手が生えた明らかにヤバいものであろうナニカ。
その背後には病的な程に肌が青白い銀髪の美少女と、顎髭を生やした中年の冒険者風の男が隠れるようについていく。
一見すれば魔物の行進のようにも見えるであろう。というか、そうとしか見えない。
が実際は違う。違うのだ。
そう。その正体は毎度お馴染みのこと、皆様知っての通り、愛原 香率いる勇者様御一行という光に類するであろう集団であった。
「人が多いなぁ………」
目の前の通りを覆う程の人だかりに驚き、目を見開く。
めっちゃ人多いな。どんだけいるのよ?
どこもかしこも人・人・人。マジ半端ない。
歓楽街って初めてだけど、夜の歓楽街ってこんな人がいるもんなの?
夜なのに昼よりも人が多いんだけど?
私の知ってる歓楽街……というには烏滸がましいが、近所にある地元の飲み屋街なんて、年がら年中閑古鳥が鳴いてるから、比較にもならないわ……。
「ほぉ……カオリはこのような場所は初めてか?」
あまりの人の多さに、お上りさんの如くキョロキョロと辺りを見回していると、横にいるザッドハークが声をかけてきた。
どうでもいいけど、冒険者ギルドの屋根に磔にしてたのにピンピンしとるなコイツ。
結構ぎちぎちに四肢を縛ってきたのに、気付いたら普通に『腹が減ったぞ』って笑いなから降りてきたしな…………。
次からは普通の縄じゃなく、鎖でも使おう。
「うん、初めてだね。というか、未成年な私の年齢ではそれが普通かと」
未成年で繁華街に慣れてるのはヤンキーぐらいだろう。
無論、私はごく普通の女子高生だったので慣れている訳がない。
というより、私の地元は結構な田舎だから、近所どころか市内にもこんなでかくて賑やかな歓楽街はなかったし、学校に少数生息していたヤンキーも酒や煙草を嗜む程に根性の入った者はいなかった。
ヤンキーの敏概くんなんて苦いものが苦手でカルピスウォーターを常飲してたしね。
「ほう………そういえば以前申していたな。汝の世界ではミセイネンとやらは酒が飲めぬという修羅の世界であると。なれば、このような酒場街も初めてで当然であろう」
「人の世界を、強者しか生き残れない世紀末な場所みたいに言わないで」
酒が飲めないだけでどんな例えだよ。
どんだけ酒好きなんだよコイツ。
「フム。まあ、大小はあれど、都市にある歓楽街というものは基本はこれぐらいの賑わいをみせるものよ」
「華麗にスルーしたなコイツ。はぁ………まあ、いいや。でも、そんなもんなんだ。まあ、確かにテレビで見た東京の歌舞伎町の歓楽街も人で凄い賑わってたし、そんなもんかもね」
前に警察24時だかでやってたときに見た歌舞伎町はすごかったもんね。なんか派手な人がワイワイガヤガヤと集まって…………多分、あれがパリピってやつなんだろうね。知らんけど。
※違います。
「…………?カブキチョウ?なんだそれは?」
「私の世界で有名な歓楽街の名前。別名『眠らぬ欲望の街歌舞伎町』だっけ?警察24時の受け売りだけど」
「ほう………眠らぬ欲望の街。なんとも興味がそそられる二つ名。一度訪れてみたいものよ」
「世界の壁を越えられるなら」
なんか妙に食い付いてきたザッドハークを適当に流したけど、コイツならマジで越えてきそうだな。
歌舞伎町行きたさに世界の壁を越える暗黒殲滅騎士って…………。
もしそうなったら、こいつの対応は日本の警察と自衛隊の方々にお願いするしかないね。
多分、機動隊やら特殊部隊やらが出動することになると思いますが。
「まあ、この話はここまでにして………。これだけの人がいるなら先に進むのも大変そう………と思ったけど………」
「ウム。見事に我らの前方の人垣が割れていくな」
「うん…………」
改めて通りへと目をやる。
当初、その人の多さに進むのも苦労しそうだと思ったのだけど………ザッドハークの言う通り、何もしてないのに前方の人垣がモーゼの十戒よろしく左右に綺麗に割れて道ができていく。
誰もがこちらに目をやった瞬間に私達を避け、一般人もゴロツキらしき大柄な男も皆が皆して目線を逸らしていく。
逆にこちらが歩み寄れば、その方向の人々がザザァーと慌てて逃げていく始末だ。
おかげでこれだけ通りに人がいるのに、私達の周囲と前方にはポッカリと人のいないスペースが空いていた。
ヤクザやチンピラが通っても、ここまで露骨に道は開かないだろう。
…………これ、やっぱり明らかに恐れられてるよね?
いつものあれだよね?私やザッドハークを怖がって、遠巻きに避けられてるよね?
うぅ……前よりは慣れたけど、この畏れられている感じはやっぱり精神的にくるものがあるな……。
「フム。前々より感じてはいたが、他の歩行者の迷惑とならぬように歩むという意識が人々に根付いているようだ。なんと助け合いの精神ができた国民性なのか」
「ねえ、なんでそんな前向きなの?精神構造マジでどうなってんの?腐ってるの?」
何故に自分が畏れられているとは一ミリも考えないのだろうか、この暗黒殲滅騎士は?
「フッ……当然であろう。我は決して後ろを振り返らず、常に前へと進み続ける漢。そんな我が前向き以外の生き方があると?」
「前向き過ぎて盲目になってない?やっぱ精神とか脳とか色々腐ってるじゃない?一回中身掻き出して交換した方がいいわよ。なんなら手伝う?」
Goo〇leでやり方を調べようか?ロボトミー手術とか。一致検索で出てくるかな?
「汝は時折耳を疑うような猟奇的発言をしおるよな」
猟奇的とおののきつつ、何故か感心したように鼻息を漏らす暗黒殲滅騎士。
掻き出したところで無駄かもしれない。だって腐る腐らない以前に、無いのかもしれない。脳が。
「はいはい、じゃれあいはそれぐらいにして先を急ごうぜ。せっかく道を開けてくれてるんだしさ」
骸骨だけにザッドハークってマジで脳ミソ空っぽなんじゃないかと疑いを持っていると、背後からパンパンと手を叩きながらジャンクさんが声をかけてきた。
「というか、マジで早く先に行ってくれ。こんな周囲に避けられると俺までお前らの同族になったみたいで肩身が狭くなる……」
「ちょ?!お前らの同族って!?それって私がザッドハークと同じ扱いってことですか?!心外な?!」
「心外も糞もねぇだろうが!?見た目、嬢ちゃんもザッドハークと変わんねえよ!!そんな悪魔みたいな凶悪な鎧を着てれば誰だって避けるわ!!てか、依頼人に会うだけなのに何で着てきた!?」
「だって夜の繁華街ってなんか怖いイメージ在るじゃないですか!?だから下手にヤバい奴らに絡まれないようにしようかと着てきたんですよ………」
「その結果、効果がバツグン過ぎて避けられてるんじゃねえか!?防犯対策にしろ、ちょっとは自重しろ!!」
「ぐっ…………」
正論過ぎてぐうの音も出ない。
いや、確かに依頼人に会うだけで、流石にこの鎧はやり過ぎな?なんては思ったんだけど、最初は。
だけど、なんか着なきゃいけないような使命感に駆られたんだよね………。
何故だろう?
ここにくる直前の自分の考えに改めて疑問を抱いていると、背後からジャンクさんがグイと背を押してきた。
「フウ………まあ、着てきたもんは仕方ねぇ。取り敢えず先を急ごう。こうあからさまに避けられていると、精神的にくるものがあるしよ………」
背を押し、顔をうつむき、恥ずかしげにそう呟くジャンクさん。
自分も一緒くたにされたら堪らないといった様子で先を急がせようとする。
が、そんなジャンクさんへとザッドハークが痛恨の一撃を放った。
「何を申すか?汝もギルドでは普段から大概避けられておるから大して変わらぬであろう」
「うるせえよ!?人が気にしてるところをピンポイントで突いてくんな!!いや、もう、早く依頼人がいるところに急ごうぜ!!」
ザッドハークの鋭利過ぎる言葉にジャンクさんが悲痛な声で叫び、グイグイと更に背を押してくる。
唐突に痛いところを突かれ、慌てふためいているようだ。
そんな慌てて背を押を押すジャンクさんを横目に、私は隣にいるザッドハークに心の中でグッジョブと称賛を送った。
ジャンクさんには悪いけど、私も同じこと考えてたわ。なんか私らばかりキワモノ扱いしてるけど、この人も大概ロリコンを拗らせて皆から避けられているしね。
むしろ、現代社会では強面<ロリコンの公式故に、後者の方が避けられ忌み嫌われるところだろう。
ざまぁみろジャンクさん。貴様も充分にキワモノ役さ。
って、あれ?もしかしなくとも、ここにはキワモノしかいない?
いや、そんな訳ない。
気にしたら負けだ香。うん。
カオリキワモノチガウ。多分。
「さて、まあ確かにキワ……ジャンクさんの言う通りですね。せっかく避けられているんですからさっさっと目的地まで行きましょうか」
「おい。今何て言おうとした」
ジャンクさんを華麗にスルーしつつ、現状を知らなければ酷く悲しくなるようなことを溢しつつ、人垣が割れていくのを利用して先を急ぐことにする。
さて、このような歓楽街に訪れたのは別に遊び目的ではない。そもそも遊ぶ金がないしね。
今日ここに来た目的というのは、仕事だ。
仕事……つまり、私達に指名依頼を出した依頼人と会うためだ。
そう。金貨二千枚もの報酬が払われる依頼のだ。
昨日、私は色々やらかした挙げ句、多大な金額をあのトゥルババアに払うことになってしまったようだ。
ようだ……というのは、その時の記憶が定かではないからだ。なんか途中から記憶がぶっ飛んでいるんだけど、一体私に何があったのか………?
まあ、それは置いておいて、その時の記憶は無いし、どうにかはぐらかせないかと考えもしたが、あの糞ババアに※外堀を固められ、お金を払わざるを得ない状況となってしまったのだ…………。
※主にトゥル農家への嫁入りなど。
そのため、今の私達は金がほとんど無くなり、かなり困窮している状態だ。
くっ………普段から結構贅沢してたツケがここできやがったか………。
もっと節約してればよかったわ。
そんな訳で朝から困窮したり、なんか人間離れしてきた自分にとって嫌気がさしたりなど、絶望の淵にいた私に降ってわいたのは高額の指名依頼。
報酬、金貨二千枚もの依頼だ。
そのあまりの金額に多少は危うさを感じたものの、このままでは宿屋を追い出され、飢えてしまう。
依頼の怪しさよりも、生存への危機感が勝った私は二つ返事でその依頼を受けることにした。
そして、肝心な依頼の内容なのだが………それはギルドを通しては公表はできないとのことで、依頼人が直接私達に話すとニーナから説明されたのだ。
ということで、ニーナから教えられたその依頼人が待つ場所へと赴くことになり、やって来たのがこの歓楽街ということなのです。
歓楽街で待つって、どんな依頼人だよ?
しかし、あれだね。
高額な報酬。
公表できない依頼内容。
夜の歓楽街。
今更だけど、正直かなり怪し過ぎて内心結構ビビってきてます。
なんか冷静になって考えたら、この依頼って普通にヤバいんじゃなかろうか?
これ、犯罪ギリギリの依頼とかじゃないよね?
なんか怪しいものを運んだり、怪しい取引に参加したり、怪しいものを始末したりとかの………?
うわっ。想像したら何か怖くなってきたんだけど?ヤクザな感じの仕事だったらどうしよう?
揃いの黒服を着た屈強な方々に囲まれたらどうしよう…………。
と考えたが、更に冷静に考えてみればこっちは黒服どころか黒騎士と黒い眼球の化け物。おまけに言えば黒魔術士の考えうる最強の黒属性が勢揃いしているんだし、畏れることはないどころはないんじゃなかろうか?
むしろ、こちらにかなり分があることに気付く。
うん。あれだね。怪しければちゃんと断って、暴力に訴えられれば返り討ちにすればいいだけだね。
よし、安心。
…………自然と『返り討ち』って単語が出てくるあたり、私も大分染まってきてるんだろうなあ。
ちょっと悪い方の大人になりつつある自分にもの悲しい気分になりながらも、そういえばと忘れていたことをザッドハークへと確認する。
「ねえ。依頼を受けた時は気にしてなかったけど、そういえば依頼人は誰なの?」
そう問うと、ザッドハークは顎先を指先で撫でながら私にジロリと視線を向けてきた。
「フム。そういえば聞けば、依頼の話がきた時、汝は『ヒャッホゥゥゥゥ!金だ!金だ!金が入るぞ!神様も捨てたもんじゃねえぜ!!』と叫びながら狂喜乱舞しておったそうだし、詳しく内容も見ておらぬのだったな」
「そ、そこまで激しくしてないもん!?」
ザッドハークから唐突に語られたカミングアウトに驚き声が裏返る。
今朝、指名依頼の話を聞いた時、あまりの嬉しさに多少ハイになってしまったのは事実で、記憶に新しい黒歴史だ。だって仕方ないでしょ?お金が無いのに大金が手に入るチャンスがあるとなれば、誰だって多少は※はっちゃけるでしょ?
※はしゃぐこと。
そんな忘れたい過去を蒸し返しやがって。
先の心の中で送った称賛を返しやがれ。
というか、そんなことを喚きながら乱舞しとらんわ!!恐らく。多分。
「いや、やってたぜ。机の上に乗って踊ってやがったぜ」
「ジャ、ジャンクさんまで!?」
ザッドハークの言葉を否定していると、立ち直ったジャンクさんがまさかの援護射撃をかましてきやがった。
この野郎。自分から話題が逸れたのをいいことに、便乗してやがるな。なんて女々しい男。
後でザッドハーク共々脛砕いたるわ。
やたら私がはじけていたと喚くザッドハークとジャンクさんに静かな殺意を燃やしていると、そんな私の殺意を吹き消す程の静かで、冷たく、鋭利な声が背後から聞こえてきた。
『踊ってましたよ。無様で滑稽な踊りを』
ハンナだ。ただでさえ青白い肌をした寒々しい印象の魔物であるリッチのハンナが、更に当社比1・5倍増しくらいの冷たい口調で追撃をしてきたのだ。
背後へと振り向き、冷たい瞳をしたハンナと目が会う。
私はそんなハンナの目をしっかりと見据えながら……。
「へい、踊ってました。無様で滑稽な踊りを」
腰を低くくし、小物臭漂う感じの喋り方で認めた。
『………ハン。無様ですね』
「へい、ごもっともで」
高圧的かつ吐き捨てるように言葉を投げ掛けてくるハンナに、私はどこぞの三下のチンピラよろしく、揉み手でへこへこと応じた。
昨日、このハンナをトゥルキングを罠に嵌めるための囮にした負い目は、確実に私の良心に並々ならぬ負荷をかけてきていた。
いざ戦っている時はアドレナリンが大量に分泌されているせいか、全く良心の呵責的なものを感じていなかった。
だが一晩あけて冷静になってみると、凄まじいまでの負い目やら罪悪感やら沸き上がり、私の心を攻め立ててきた。
いや、私なんであんな非道なことしたんだろう?
てか、できたんだろう?
ハンナを潰し、剥いて、押し出してと、端から聞けば料理の手順のような非道な行いを──実際、最終的にミートソースのようになっていたらしい──よくできたものだと悪い意味で自分に感心する。
昨日の自分が自分じゃないように感じ、頭が痛くなるが、間違いなく自分がやったことだ。記憶にしっかりと焼き付いているし、感触も残っている。
今朝なんて、殺人を犯した犯人の如く、無駄に何回も手を洗っていたし。
そんな訳で、私は今朝方からあまりの申し訳なさからハンナに強く出れないし、色々と気を使うはめになっている。
自業自得故に仕方がないことだが、この冷たい空気や視線がマジで辛い。
ハンナさんや。本当に反省してますんで、そろそろ許してくださいな。無理かな?
私がスリスリと揉み手をしながらハンナの機嫌を伺っていると、ザッドハークが怪訝な様子で私達二人を見回してくる。
それから横にいたジャンクさんへとボソリと尋ねた。
「フム。何やら不穏な空気が流れているようだが?これは如何に?」
私が言うのもなんだが、何故察しない?
昨日、あれだけのことを傍で見ておきながら、何故にハンナが怒っているのか理解できないんだ?
いや、本当に当事者かつ容疑者の私が言うのも何だが、普通は気付くだろう?
やはり考える脳ミソが無いのだろうか?
変わりにカラカラに渇いた高野豆腐でも入ってじゃなかろうかとさえ疑ってしまう。
実際、問われたジャンクさんも『こいつマジで言ってんのか?』という顔つきでザッドハークを見ていた。
しかし、『こいつなら仕方ないか』という諦めの表情ともにため息をつくと、当人が近くにいる故に小さな声かつ言葉を選びながら説明をはじめた。
「いや………ほら。昨日よ……色々あっただろ?あのトゥルキングのとき………」
「むっ?あれか?カオリがハンナを裸にひん剥いて、あられもない姿を皆の前に晒させた行いのことか?」
場の空気が凍りつく。
ハンナの片眉がつり上がり、ジャンクさんは頬をひくつかせ、ゴアは触手を蠢かせ、私は揉み手のまま硬直する。
私は油の切れたブリキ人形のようにギギギと首を動かし、全く空気の変化に気づかぬ無神経野郎を見やる。
こいつは本当に煽りの天才か?
わざわざジャンクさんか小声で話しているのに、何故に普通に……いや、むしろちょっと大きめの声でそれを言うか?
何の戸惑いも躊躇も見せないザッドハークから放たれた言葉に、私は一週回ってもはや敬意すら覚える。無神経にも程がある。
こいつは何故に一番触れちゃダメなポイントを突くのだろうか?地雷を平然と踏みぬくどころか、わざと地雷のある部分を選んで踏みしめているとしかおもえない有り様だ。
暫し皆が凍りつき黙っていたが、説明をしていたという責任感だろうか、いち早く復帰したジャンクさんザッドハークを屈ませると、ヒソヒソと耳打ちした。
「ムッ?如何したジャンクよ?」
「いや、あのな……如何したとかじゃなくな?そのな………?誰しも触れられたくないことがあるだろう?だから、ほら?もっと言葉の選び方とか、気づかいとかさ……」
ハンナの様子をチラチラと伺いながらとりなすジャンクさん。
すると、ザッドハークが得心を得たとばかりに重々しく頷く。
「フム。成る程。確かに我が言葉が足りなかったか……。ここは素直に詫びよう」
ハンナへと向き直ったザッドハークが、珍しく素直に謝罪を口にする。
これにハンナは鳩が豆鉄砲を食らったかように驚きに目を見開き、ジャンクさんは『なんとか理解してくれたか』と一仕事終えた後のように額の汗を拭っている。
凍りついていた空気が弛緩する。
だが私は知ってるが故に油断しない。
こういう訳知り顔の時こそ要注意だ。
彼らはまだ理解していない。ザッドハークという生き物は、我々人間とは違う思考回路をしているということを。
「ハンナよ。汝の胸は何とも雄大で張りの良い形であった。尻は若干大きめであったが我の許容範囲よ。しかし、乳輪がやや大き過ぎるのが気になるところであるが」
再び空気が凍りつく。
いや、凍りつくなんて生半可なものじゃない。
絶対零度だ。永久凍土だ。ブリザードが私達の周囲で吹き荒んでいる。
私は『ほらね』という予想が的中した思いと、『やっぱやりやがった』という焦燥感を抱きつつ、その場の皆の様子をそっと見回す。
ハンナは当然とばかりにこめかみに大量の青筋を浮かばせて怒り爆発寸前。
ジャンクさんは最早匙を投げたのか、虚空を見つめたままに半笑い。
ゴアは変わらずうぬうねと触手を蠢かせていた。
更に周囲で遠巻きに見ている人達………特に野郎共が、『あの娘、乳輪デケェのか』とハンナを指差しながら、下世話な話で盛り上がっていた。
こりゃ駄目だ。
思わずため息が漏れる。
もうこの空気はどうしようもないし、どうにもできないわ。
ただでさえデリケートな話題を、あの糞野郎が更に掻き乱しやがった。もうぐちゃぐちゃどころじゃない。外国製のミキサーでかき混ぜた如くどろどろだわ。
やっぱりザッドハークはザッドハークだったわ。
マジで死ね。
元々は私が発端で当事者ではあるが、もう投げ出していいかな?逃げていい?いいよね?
ハンナなんか、今や女の子にあるまじき表情をしているんだけど?
正面からメンチを切り、こめかみからビキビキと謎の効果音が出て、口からは『あ"あ"ん?』とドスの利いた声を漏らしながらザッドハークへと詰め寄っている。一昔前のヤンキー漫画状態だ。
これ以上ないくらいの分かりやすいほどの一触即発ムード。
いや、確かに今のハンナにはザッドハークを一発ぶん殴るどころか最強魔法一発打ち込むぐらいの権利はあるだろう。
黒歴史とも言える話題を掘り返された上に、公衆の面前で乳輪がデカイことをばらされたのだ。
一発どころか死ぬまで撃ち込んでもいいかもしれない。むしろ撃ち込んでほしい。
が、場所が悪い。
残念なことに歓楽街のど真ん中かつ、人ごみの真っ只中。こんなところで魔法を撃ち込まれたら被害は計り知れない。
というか、間違いなく人死にがでるわ。
なればそんな被害が出る前にハンナを宥め、何とか止めなくてはならない。
では誰が止める?
ザッドハーク。火に油どころか、油田そのものぶち込むような大火災になることしか予想できないから没。
ジャンクさん。最早他人の振りをして当てにならないから没。
ゴア。そもそも言葉が理解できない。没。
となれば……消去法で私しかいない訳です。はい。
うわっ、入りたくない。こんな殺伐とした空気の中に入りたくないであります。
だが、周りが頼りにならない今、私が入らなければならないのだろう。
というか、元を辿れば私が元凶なのだろうから、私がやらなきゃいけないよな………。
よし、止めるぞ。本当は止めたくないけど、止めるったら止めるぞ。
ようやく腹を決めた私は、ザッドハークへと詰め寄るハンナへと近付いた。
「ま、ま、ま、ハンナさんや。そんな怒んないでくださいよ?ザッドハークだって悪気があったわけじゃ……」
『あ"あ"?悪気がなきゃ、んな言葉出てこねぇぇだろうがい?』
ドスのやたら利いたハンナの声にたじろぎながら思う。
はい、確かにそうです。正論です。
でも違うんです。そいつマジで頭おかしいんですよ。悪気やら邪気とか全く含むことなく人を苛立てせる天才なんですよ。言葉に煽り属性がついてるんっすよ。
「いや、ハンナ。一回お願い落ち着いて。ザッドハークは言葉は通じるけど、意思は通じない一種の化け物なの。普通の人が怒るような発言も、本人からすれば褒め言葉として喋っているつもなの。馬鹿なの。頭おかしいの。無神経なの。きっと頭の中には脳ミソの変わりに味噌とか糠が詰まってるのよ」
「フム。カオリよ。そうまで言われると照れるではないか」
「ねっ?通じてないでしょ?」
『確かに………』
現在進行形で嫌味が全く通じないザッドハークを指差すと、ハンナは同意しながらも憤懣やるせないといった表情となった。
よし、なんとか賛同してもらったし、ちょいと戸惑っていますな?いや、戸惑うだろうね。こんな存在やら思考回路やらがバグった奴みれば。
じゃ、後は何とか宥めて、少し大人しくしてもらおう。
「ねっ?だからここは私の顔に免じて………」
『免じる程の顔でもないでしょう?』
「そのとおりで」
失敗しました。
やべっ。いまだ私への怒りが冷めやらぬというのに、ついいつもの調子で『私の顔』なんて使ってしまった。そのせいか、めっちゃ私をジト目で睨んでる。
だよねー。そりゃ、怒るよねー。
そもそも怒りの大元が何言ってんだ?って感じになりますよねー。
これ、完全にザッドハークにぶつけられない憤りを私に向けてるわー。
火に油を注いでしまったと頭を抱えたくなる。
こちらを睨む視線と無言の圧力に気圧され、冷や汗がダラダラと止まらない。
さて、これはどうしたものかと頭を悩ませていると、既に我関せずといった様子で私達から若干距離を離しているジャンクさんとザッドハークの会話が聞こえてきた。
「うーむ?依頼人がいるって場所はどこだ?依頼書に場所は一応は書いてあるが、俺はあんまこの辺に詳しくないからよく分かんねぇな………」
「フム……どれ。フムフム。これならば我が案内できよう。場所は……まず、この通りを暫し真っ直ぐ進み『耳長娘はお好きですか?』という店の角を右へと曲がる。それから少し進んだ先にある『粘体スライム風呂』という店の脇にある通りを左へと曲がり進んでいく。すると、その先に『ドピュ!!淫乱サキュバス(アンデル本店)』という一際大きな店が見えてくるのだが、記された場所はその隣にあるところぞ」
「…………やけに詳しいな」
「フッ。この街には週7で訪れておるからな。既に我が庭も同然よ。あらゆる店。あらゆる道。あらゆる人気嬢。その全てを網羅済みの我に死角は無しよ」
「…………お前、本当にすげーな」
「フッ。そう誉めるでない。さて、目的地であるが、先に申した道以外に、知る者ぞ知る人通りの少ない裏道がある。そこを使えば最短で目的地に着けるであろう」
「そうか………。うん、じゃあ、その道で?」
「ウム。そこならば汝らが気にする人目もほぼ無い。故に安心して歩けるであろう。さて、時がもったい無い故に先を急ごうぞ」
「そうか……うん。行こうか。先に言っておくが、お前はその………うん。本当に凄かったよ」
「何故過去形か?」
「取り敢えず、その裏道入ったらやろうか?」
『そうですね』
何とか遠慮することなく怒りの矛先をぶつける場所を見つけたハンナと、かなり貯蓄を食い潰したであろう事実を知った私は、糞下衆変態色欲野郎に天誅を喰らわせるべく、過去のことを一時忘れて互いに手を握りあった。
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