43話 悪魔の果実の収穫 その1
「嬢ちゃん、魔法を覚えたらしいな」
朝、ギルドの酒場で朝食をとっていると、対面に座るジャンクさんがお茶を啜りながら尋ねてきた。
私はその質問に食事の手をピクリと止め、スッと横にいるザッドハークへと視線を向けた。
ザッドハークはやたらとデカイベーコンの塊をかじっていたが、私の視線に気付くとベーコンで自分の顔を隠し、視線から逃れた。
「そこの。わざとらしくベーコンで顔隠してるんじゃないよザッドハーク」
「環境活用法であるぞ」
「うるせぇよ。冥府の波動」
私は人差し指から細長い一本の青い雷を発生させ、環境活用法と宣って手元のベーコンを盾にするザッドハークに向けて放った。
「?!待てカオリ……ジビビビビビ?!」
私の雷に気付いたザッドハークは、咄嗟にベーコンで防御しようとした。だが残念。ベーコンは食べるには頼もしい食卓の味方だが、盾とするには余りにも無力だった。
そんな無力なベーコンを簡単にすり抜けた青い電撃はザッドハークへと当たり、その肉体をバチバチと明滅させ、激しく魂を打ち据えた。
その衝撃に耐えかねたザッドハークは、目から光を迸らせながら激しく痙攣。軽く悲鳴を上げだした。
暫くバチバチと雷を放っていたが、私はある程度で雷を止めた。
すると、ザッドハークは目から煙をシュウウと上げながら机に頭から勢いよく突っ伏した。
幸いベーコンがクッションになったようで、酷く痛めつけてはいないだろう。
最後の最後でベーコンが役に立ったようだ。
「このお喋りめ」
私はそんなベーコンを枕にするザッドハークを横目に、一言呟いてから食事を再開した。
そんな私達の様子を、ジャンクさんはドン引きした顔で見ていた。
「…………何と言うか………また、個性的な魔法を覚えたな。効果も嬢ちゃんの様子と、ザッドハークのこの惨状で大体察したわ………」
頬をひくつかせ、私とザッドハークを交互に見ながらジャンクさんが呟いた。
そんなジャンクさんを見ながら、私もカップからお茶を啜りながら呟く。
「私もジャンクさんの惨状を見て大体は察しましたわ」
その言葉にジャンクさんは顔をしかめ、左頬をスリスリと撫でる。
手で撫でるジャンクさんの左頬には、赤々とした紅葉が張り付いている。
いや、正確には頬に紅葉のような色と形をした腫れ後ができていた。
ジャンクさんは先日、冒険者ギルドの合法ロリ受付嬢ことマインさんとデートに行った。
まぁ、実際はデートとは名ばかりの納税で、食欲魔人のマイン女王に、彼女を心酔する奴隷のジャンクが食税を貢いでいるだけのものだ。
まぁ、ジャンクさんは、マインさんがモグモグと食べてる姿を見ているだけで幸せらしいので、私からは何も言わない。
ロリコンの心情なんて理解できないし。
そんな一方的な思い込みのデートに行ったジャンクさんなのだが、どうやら女王に不敬を働いたらしい。当人は顔を腫らし、受付を見れば、マインさんはいつもの無表情ながら、どこか機嫌が悪い。確実に何かやって殴られたね。
大体の状況を察し、呆れ顔で再びジャンクさんを見た。
「で?何したんですか?」
ジト目で睨みながら問いかけると、ジャンクさんは深いため息を吐きながら白状した。
「ペロペロさせて………って言った」
「勇者か」
ジャンクさんの余りにも無謀かつ欲望に忠実な発言に私は戦慄し、気持ち悪さ以前にそんな事を平気で言える心の強さに畏敬の念を覚えた。
「いやさ……食事してたら、リスみたいに口一杯に食べものを頬張ってる姿が可愛くて我慢できなくなってなぁ。つい口走っちゃったんだよなぁ………」
「勇者か」
そのタイミングで言える勇気が半端ないわ。
女性の食事中に『ペロペロしたい』だなんて言えるのはよっぽどですぜ。どんなに深い仲でも、一瞬で破局しかねない魔法のキーワードだよ?
よっぽどドラゴンに単身で飛びかかる方が、まだましだと思うんですが?
「というか、ペロペロ発言よりも、食べるのを邪魔したのを怒ってるらしい…………」
「あの人もあの人でズレてんなぁ…………」
マインさんのズレっぷりと、ロリコンという種族の恐ろしさを改めて実感していると、受付へと赴いていたゴアが触手を蠢かせながら席へと戻ってきた。
『gk6まf8ら依cc8』
「あんだって?」
まるで耳の遠い年寄りの如き事を言ったが、別に耳が遠い訳じゃない。ただ、翻訳を求めてザッドハークへと尋ねただけだ、
そして顔を向けた先……そこには案の定というか、やはり既に復活したザッドハークが、顔に付いたベーコンの油を布で拭っていた。
こいつは目を離すと復活するスキルでもあるんじゃなかろうか?
「フム。『よさそうな依頼があったので、手続きをして持ってきました』だそうだ」
「あぁ、そう。ありがとうゴア」
ザッドハークからゴアへと視線を戻し、微笑みながら礼を述べる。既にこの巨体眼球にも慣れたものだ。
ゴアは『お気になさらず』とも言うように触手を振り、触手に持った依頼書らしき紙をテーブルへと置いた。
「フム。どのような依頼か。カオリの能力を伸ばすような有益かつ、味の良い魔物の討伐依頼ならよいのだがな」
「喰わないからね?」
腕を伸ばし、拭いたばかりのザッドハークのこめかみに指を当てる。そして0距離で『冥府の波動』を発動。
ザッドハークは再びベーコンへと沈んだ。
まったくこの糞野郎が。なんで食べる前提で依頼を選ばなきゃいけないのよ。
あいにく味重視で魔物を狩る習慣はないわ。
というか、好き好んで喰わないわ。
これ以上人間離れしてたまるかと憤りながら、お茶を啜る。
口からは毒。尻からは糸。脛からは謎の衝撃波。そして指先からは青白い雷。
これ以上体の部位から何かを出すなんて本当にごめんだ。勇者云々以前に、人としての尊厳が、違う意味でなくなる。
そんな決意を胸に抱いていると、テーブルに置かれた依頼書を手にしたジャンクさんが内容を読み始めた。
「なになに………ほう!これは報酬もいいし、中々良さそうな依頼だぜ!しかし、『トゥルの実の収穫を手伝って』か……」
「絶対行かないからね!?」
更に新たな決意を胸に、私は叫んだ。
◇◇◇◇
「来てしまった………」
私は今、いつもの鎧姿ではなく、冒険者用の服を着て、街から少し離れた農園の農家へと来ていた。
依頼によれば、金属の装備は置いてきて欲しいとのことで、必要な道具や装備は先方の方で貸し出してくれるとの事で身軽な服装だ。
ザッドハーク以外は。
目の前には一面に広がる畑に、緑豊かな果樹園。どこか懐かしさすら感じる田舎の農園といった感じの景色が広がっている中に、骸骨黒騎士のザッドハークは異様に目立つ。
なんか合成で無理矢理くっ付けたような絵面だ。
そして、そんな晴れやかな日差しが差し込むのどかな景色とは裏腹に、私の心は氷河のブリザード地帯並みに冷めている。
もう絶対零度だ。
あの後、それなりに抵抗したのだが、既にゴアが依頼を受領したことと、無駄に今日は動きの早い受付のニーナにより『先方には既に速達の鳥を送り、皆様が行くことを伝えました』と見事なまでに、逃げ道を塞がれた。
新たな決意は3分も保たなかった。
カップ麺すらまだ固さを残してる時間だ。
しかし、何故に今日に限って連絡を入れた?何故に速達の鳥を送った?それほど私にトゥルの実を収穫させたいのか?
そんな疑問が鳴門海峡の渦潮の如く心で渦巻いたが、荒れ狂う心を整理する前に、あれよあれよという間に、仕方なくここまで来てしまった。
なんだろう………。私をどうしてもトゥルの実の収穫に行かせたい。そんな世界の強制力が感じられるよ……。
実は世界の裏では強大な力を持つ何者かが、人々の運命を弄んでいるのではないか等と妄想に耽りながら現実逃避をしていた。が、私の意識は直ぐに現実へと呼び戻された。
「まぁまぁまぁまぁまぁ!今日はみなさん、よろしくお願いしますねぇ!!まぁまぁまぁまぁま!こんなに来てくれて、依頼を出して良かったわあ」
「はぁ…………」
やたらテンション高く『まぁ』を連呼するおばさんが、その『まぁ』に合わせて私の肩をドラムビートの如くビシビシと叩いてくるのだ。
しかも結構遠慮なく叩くから、普通に痛い。そりゃあ現実に強制的に呼び戻されるわ。
そんなビートを刻むおばさんは、恰幅の良い体格と、人の良さそうな顔をしている。頭にはほっかむりを被り、前掛けやらアームガードを付けており、正に絵に書いたような農家のおばさんの格好をしている。いや、実際にこの農園で働くおばさんであり、今回の依頼主でもある、この農園の奥さんだ。
家族で代々トゥルの栽培をしているらしいのだが、今年は収穫時期が迫っているのに人手が足りなくて困っていたらしい。
そこで藁にもすがる思いで、先日依頼を出したところ、直ぐに私達が来たと。
だからか、私達が来たことを非常に喜んでくれて、テンション高く出迎えてくれている。
だが、そろそろ肩を叩くのは止めて欲しい。
外れそうだ。
しかし、こうやって喜ばれ、人の役に立つというのは嬉しいことである。が、正直勇者の私が何やってんだ?という気持ちも強い。いや、というか、私こんな事やってていいの?魔王放って農家の手伝いしてていいの?しかもトゥルの。
優勢順位とか、使命とか忘れつつないか?
そんな思考の海に沈みそうにもなったが、結局は奥さんの肩叩きという投網に絡みとられ、敢えなく浮上した。
「まぁまぁまぁまぁまぁ!本当に助かりましたよ!人手が足りないの足りないのって!本当に来てくれて助かったわぁ!」
「えっと……まぁ……はい………」
バンバンとたたかれながら相づちを打つ。
抵抗もしてみようとも考えたが、一応は雇い主ということで我慢する。
しっかし、力つえぇーな…………。
肩の痛みに顔をしかめると、奥さんは急に叩くのを止めた。
おや?こちらの意図を組んでくれたのか?と思ったが、どうやら違うようだ。
奥さんは、困ったように頬を押さえ、ハァと深くため息を吐いた。
「いつもなら息子がいるんですが、『もう、あんな気持ち悪い果実だか魔物だか分からないものに関わりたくない』なんて言って家を出ていっちゃって。他の家のところも同じみたいでねぇ。本当に近頃の若いのは堪え性がなくてねぇ……」
「すいません。できることなら私もその若者グループに入りたいんですが?」
「だからね。あなたみたいな可愛いお嬢さんに来てもらって助かってるのよ?あぁ、本当に助かるわ」
「話聞いてます?息子さん出て行った理由の片鱗を見た気がする」
全くこちらの話を聞かず、自分の話を押し通す。
田舎の年配のご婦人にありがちな習性だ。
これも理由で息子は出て行ったんじゃなかろうか?
というか、これもう田舎の年配者専用の何らかの特殊なスキルなんじゃなかろうか?
しかし、どうやらトゥルをゲテモノと思っているのは私だけでないらしい。同士に会えたような喜びが胸の内に溢れてくる。
というか、生産者である筈の家の子供が逃げている時点で、やっぱりヤバい実じゃないのかよ?しかも理由が金にならないとか世話が大変とかの一般的理由じゃなく、気持ち悪いって…………。
やはり無理にでも依頼を断ればよかったかな?
もう、いやな予感しかしないんだけど?
そんな予感を感じていると、奥さんは再びバンバンと叩きだした。
ザッドハークを。
「しかし、お兄さんみたいなガタイのいい人が来てくれて助かるわぁ!!これだけ体格よければ、力仕事をバンバン任せても大丈夫そうねぇ」
「フム。下賤な者の仕事なれど、我が力を必要とするならば貸さぬ道理もあるまい。どれ、この我が直々に力添えをしてやろうぞ。さあ、そこな醜女よ。青き果実が実のりし園へ案内するがよい」
「アハハハハ。兄ちゃん頼もしいね」
私はその光景に目を見開いた。
あの奥さん凄いな?!何故あのザッドハークを見て動じないのだ?!
これまで多くの人々や屈強な冒険者。更には野生の魔物までもザッドハークに恐怖し、平伏した。
なのに、この奥さんは平服するどこか大分攻め込んでいるんだけど?全く臆することなく、堂々としてるんだけど??
私が驚き、唖然としている間も『兄ちゃん何人兄弟?何?一人っ子なの?』などと、ザッドハークのどうでもいいような新情報を引き出していく。
田舎のおばちゃんパネェな………。
てか、ザッドハーク一人っ子なんだ。
私も一人っ子なんだ……などと、不覚にも妙な親近感を覚えてしまった。
そんな田舎のおばちゃんの情報収集スキルパネェなぁなどと呆けていると、背後から何者かが声をかけてきた。
「サエィコさんや。こん人達は誰だねぇ?」
フッと振り返って見れば、腰の曲がったお婆さんが訝しむように私達を見ていた。
「あっ、お義母さん。この人達はね、冒険者ギルドに頼んでいたお手伝いの人達なんですよう。今着いたところで、ちょっとお話してたところなんです」
お婆さんを見たおばちゃんは、まあまあと手を振りながら説明した。
どうやらこのおばちゃんの旦那の母親らしい。
お婆さんはおばちゃんからの説明を受けると、先程とは一転して朗らかな笑みを見せた。
「ほうか、ほうか。そりゃあ遠い所からありがとさんだわ。今年は人手が足んなくて、どうすっぺかなぁって悩んでたとこなんだぁ。ほんにありがとうなぁ」
お婆さんはそう言いながら一礼し、『まずは遠路か来たんだから休んでけんろ。サエィコさん。せっかくだから、冷たい飲み物とトゥルの漬物持ってきんさい』とおばちゃんへと指示を出した。
私はありがたく、冷たい飲み物だけ頂いた。
◇◇◇◇◇
おばちゃんとお婆さんの案内の下、トゥルの実が生っているという、私にとっては地獄に等しい果樹園へと向かう道を、私達はとりとめのない話をしながら歩いていた。
「いやぁ、本当に来てくれて助かるわぁ」
背にカゴを背負った腰の曲がったお婆さんが、ゆっくりとした足取りで歩きながら話しかけてきた。
「いえ、まぁ、依頼なんで………」
トゥルの生る果樹園へと続く道を、死刑執行の道のりを行く囚人の気分で歩いていた私は、若干テンション低めに返答した。
だが、お婆さんは気にすることなく朗らかな笑みを見せる。
「いやいや、こんなしょうもない依頼を受けてくれて本当に助かるでよ。この仕事は、力仕事が多いのに今年は男手がない。儂らも年で、そんなに動けんし、どうしようか………なんて悩んでた所だからねぇ。来てくれて良かったよう。特に、こんなガタイのいい兄ちゃんが来てくれて本当に助かるだよ」
お婆さんは隣を行くザッドハークを見上げながら、ニコニコと笑ってその股辺りを軽く叩いた。
このお婆さんもお婆さんで凄いな。全くザッドハークに臆してないよ………。
寧ろ体力ありそうな働き盛りの若者が来た……みたいなノリで、歓迎ムードなんだけど?
えっ、何?この辺りの人にとって、ザッドハークは魔王みたいな奴じゃなく、ただのガタイのいい若者なの?頭大丈夫??
果たしてザッドハークを若者のカテゴリーに入れて良いのかと悩んでいると、そのザッドハークが厳かな口調で呟く。
「フム。老いさらばえ、死の足音も間近に聞こえし身で、未だ厳しき労働に殉じるとは見事なものよ。然れど、もう案ずることはない。無力にして蒙昧な貴様らに代わり、この我とカオリが青き実の尽くを収奪してくれよう。老いぼれは老いぼれらしく、端に寄って冥府の迎えが来るのを待っていよ」
「本当に頼もしい兄ちゃんだねぇ」
心から頼もしい者でも見るような目でザッドハークを見るお婆さん。
教えてほしい。
どこが頼もしいんだ?
なんか誉めてんのか、貶しているのか分からんこと言ってんだけど?
今の文言、慣れてる私だから分かるが………。
『そんな老体で大変でしたね。後は私達がやりますので、お婆さんは休んでいてください』
と言っているのだ。
だが、知らない者が聞けば、間違いなく老婆へと止めを刺さんとする悪魔の宣告にしか聞こえないだろう。
実際、背後にいる『今日は一人になりたくない』と、乙女のような事を言って付いてきたジャンクさんに至っては『とうとう本性を出したのか?』って顔を青くしているしね。
そんな罵りにしか聞こえない事言われてんのに、何で平気そうなんだ、このお婆さんは。何で頼もしいなんて言えるんだ?耳鼻科と眼科に行くのを、強く勧めるよ。
私のそんな疑問や心配を知ってか知らずか、お婆さん達の会話は更に続く。
「しかし良かったですねぇ、お義母さん。頼りになりそうな男手が二人に、こんな可愛いらしいお嬢さん達まで手伝いに来てくれて。なんだか華やかな雰囲気ですねぇ」
「ほんになぁ。そっちの茶髪の子も可愛いが、こっちの丸っこい子も目がパッチリしてめんこいなぁ」
お婆さんはゴアの横側を撫でながら、可愛い可愛いと誉めた。
教えてほしい。
どこが可愛いんだ。
丸っこいって、完全な球体だし、目がパッチリって目しかねぇよ。
どう見れば、この触手を蠢かせる巨大な眼球が可愛く見えるんだよ。
しかも、遠回しに私はゴア以下と言われてるし。
お婆さん。眼科と脳外科に行くことを強く勧めるよ。
「フム。ところで男手が足りぬと申していたが、貴様らの番たる者達は如何したのだ?孫は逃げたと聞いたが、その者らも逃亡したか?それとも死んだか?」
唐突にザッドハークがそんな質問を投げ掛けた。
確かに男手がない………というのはおかしいと思っていた。普通は、こういう家族経営の農家では、旦那さんなりの男手があるのではなかろうか?
ここに来てからおばさんとお婆さんしか見てないし、逃げた息子はともかく、旦那さんらしき影も形も伺えない。
というかザッドハーク。何で選択肢が、逃げるか死ぬかしかないんだよ。戦場かよ。
すると、そんなザッドハークの質問に、奥さんが俯き、ため息を吐いた。
「いえね。お義父さんは先日の昼までは元気だったんですよ………だけど………」
先日の昼まで?元気だった?あれ?えっと、まさか、本当に…………?
「お義母さんとハッスルし過ぎて腰を痛めちゃってねぇ」
「これサエィコさん!いらねぇ事は言わなくてえぇから!!」
「いや、誰得情報?」
頬に手を当て、幾つになってもお元気なの。と言うおばさんに、お婆さんが頬を僅かに赤く染めながら抗議の声を上げる。
…………なんだろう。この世界では年をとるほど精力旺盛にでもなるのだろうか?メル婆しかり、目の前の婆さんしかり。老体で頑張り過ぎだろ。どんだけ子孫残そうとしてんだよ?
というか、収穫前の大事な時期に何やってんだよ??
一瞬でもマジで心配した自分が馬鹿らしいわ……マジで鬼籍にでも入ったのかと思ったわ。
あんまりなお爺さんの脱落理由に呆れ、深くため息を吐く。すると、横からザッドハークが深刻そうな雰囲気で呟いた。
「フム………成れば致し方なし。子孫繁栄は生ける者の重要な責務。それを蔑ろにすることはできぬ。その上での負傷ならばやむ無し。寧ろ、老いさらばえた身でよくぞと褒め称えたいものよ」
「うるせえよ」
無駄に爺さん婆さんの夜の営みを荘厳に語るザッドハークの脛に、歩きながら軽く脛殺しを放つ。
ザッドハークは『此度は脛か……』と呟きながら踞った。
そんな私達の様子を見て、おばさんは口元に手を当てながら、アラアラと面白そうなものでも見るような顔となった。
「アラアラ?もしかして、お二人はできてるの?」
「ブホッ?!」
咽せた。
唐突な予想もしない奇襲に不意を突かれ、大いに咽せた。
「アラアラ照れちゃって。なんだかお互い凄い仲良しだし、おばさんそういうの、直感で分かっちゃうのよ?」
その直感、間違いなく死んでます。
咽び、困惑しながらも、おばさんの直感と脳細胞が確実に死滅していることだけは確信する。
「いや、違いますからね?彼氏とかじゃありませんからね?!」
何とか心を落ち着かせ、必死の反論を試みる。
「まぁまぁまぁ照れちゃって。おばさん、分かってるんだからねぇ?」
駄目だった。
暖簾に腕押しとはこの事だろうか。全く聞く耳がない。反論するほどに確信しているようだ。
田舎の年配の人は、年頃の若い男女が隣同士で歩いていれば、取り敢えずデキているだのカップルだのと結びつける習性があるのは知っていた。
何を隠そう、私の祖母もそうだった。
男友達と偶々一緒に歩いているだけで、祖母にカップル認定されたものだ。当然、一緒に歩いているのは同じ男子とは限らない。その為、『家の香は男を取っ替えひっかえしてるのよ』と、老人会で自慢気に話していたらしい。おかげで、一時は年配者の間で私は魔性の女として恐れられた。
実際は一度も彼氏がいたことない乙女だというのに。
だから年配者の思い込みや、厄介具合などは身を持って良く知っているつもりであった。
だが、まさかザッドハークまでその対象となるとは思いもしなかった。
この巨漢の骸骨黒騎士が年頃に見えるとは………マジで医師に見てもらった方がいいと思う。
そんな事を考えている間にも『若いっていいわね』や『顔を赤くして照れちゃって』などと楽しそうに喋っている。最早、カップル補正が入ったおばさんの目には、私達が初々しい付き合いたてのカップルにしか見えていないようだ。
こちとら顔が赤いどころか、真っ青だというのに。
フッとザッドハークの様子が気になり、チラリと見れば、全く動じていなかった。
こっちは思いもしない攻撃に咽せているのに、腹立つ程に冷静な顔でおばさんを見ていた。
すると、ザッドハークが厳かな口調で語りだした。
「フム。何やら勘違いをしているようだな。我とカオリはそのような間柄ではない」
「あら、そうなの?」
なんでザッドハークの言葉には耳を傾けるんだ?と、おばさんに疑問を感じたが、まぁ否定してくれるならそれでいいかと安堵の息を吐く。
「ウム。我の好みは豊満なる胸を持ちし者。かような飛竜が住みし絶壁の如き胸は、我が眼中にはない」
「おい、ちょっと待てコラァ」
一転し、ザッドハークを睨み付ける。
チンピラみたいな言葉つかいになってしまったが、仕方ないことだろう。
何せ、乙女のアイデンティティーを侮辱されたのだ。これぐらいは許されるだろう。
てか、誰が飛竜の住みし絶壁のような胸だ?どんな絶壁か知らんが、少しはあるわぁ?!飛竜なんて飼っとらんわぁ?!
憤りを露に、ザッドハークを睨み付けていると、おばさんが急に背後へと回ってきた。
「まぁまぁ!胸なんて関係ないわよ。女は尻よ。見てみなさい、この立派な安産型。何の問題もなく、スルリと出てくるわよ?」
すると、おばさんが対抗するように尻がいいと言いながら、私のお尻を撫でてきた。
「えっ?いや、ちょ?!」
「フム。確かに以前触れた時、真に立派な安産の山だと感心したものだな」
ザッドハークは腕組みし、撫でられている私のお尻をジッと観察する。
いや、確かに触ったよ?ポイズンスパイダーを食べた時、糸は出るのかと触りやがったよ?!
でも、それをこのタイミングで………。
「あら、お尻を?やっぱりそういう仲なんじゃないのう?」
グフフフと笑い出すおばさん。
ほらっ、やっぱりぃぃぃぃぃぃ?!
誤解してるじゃないのう?!もう、おばさんの中では、私がザッドハークと大人な関係になってるのが確定事項なんですけどぉぉぉぉ?!
ちょ、どうすんのこれ…………。
「が、やはり我は胸であるな。このような手応え無きに等しいものでは、満足できぬ」
と、ザッドハークは私の胸にペタリと手を置いてきた。
「………………………………フッ」
※R-18。暴力的・グロテスクな表現が入りました。暫くお待ち下さい。
「あらあら?ケンカ?若いわねぇ。まぁ、ケンカする程仲が良いとも言うし、今のうちに意見をぶつけあっちゃいなさい」
「はぁ、もう、それで良いです………」
モザイク無しでは見れなくなったザッドハークを引きずり、最早おばさんの説得は諦め、ため息を吐く。
結局、このおばさん達には何を言っても、何を見せても無駄なようだ。
はぁ、早く依頼を終わらせて帰りたい。
というか、もう帰りたい。
依頼失敗でもいいから、帰りたい。
既にに私のライフは一桁ですよ………。
わざと砂利の多い道を行き、ザッドハークの頭をガンガンと石に打ち付けるように引き摺りながら、帰りたいと切に願う。
すると、おばさんがハァと深く息を吐いた。
「なんだか二人を見てたら羨ましくなってきたわぁ。はぁ、ここに旦那がいればねぇ」
「殺し合いをしたい相手でもお探しですか?」
今の私達二人を見て羨ましいなどと思うのは、血に飢えた狂戦士か快楽殺人者くらいだろう。
だが、このおばさんのニュアンス的に違うようだ。確実に雄を求める雌の顔だ。
マジでこの人の目はどうなってんだ。
「ハァ……なんでこんな時にあの人はいないのかしらねぇ…………」
「旦那さんはどうしたんですか?夜に腰振り過ぎましたか?それとも賭け事に負けて、マグロ漁船にでも乗りましたか?」
半ば投げやりに尋ねると、おばさんは憂いを帯びた瞳で語りだした。
「いえね………魔物に襲われて怪我をしちゃって」
「ほう?」
不謹慎だが、意外にもまともな理由だった。
負傷して来れぬとあれば仕方ないだろう。
先の爺さんの理由に比べれば、万倍もマシだ。
そう考えている間も、おばさんの話は続いた。
「幸い命に別状はなかったんだけど、無理はできないからねぇ。それで襲ってきた魔物。ほら、あの熊の………フォレストベアって魔物らしいんだけど」
「ほう?」
ビクリと肩がはねあがった。
「あれが畑の外れに現れたらしくてねぇ。本来は東の森から出ない魔物らしいんだけど、何故か群れで森からの大移動をはじめたらしくてねぇ」
「ほうほう?」
額から冷や汗が滲み出る。
「その内のはぐれた一頭が、畑に迷いこんだらしくてねえ。うちの旦那、そうとは知らずに私と間違えて声をかけたらしいの。そしたらガバーっとやられたらしいのよ」
「ほうほうほう?」
指先が震え、罪悪感が湧きだしてくる。
そのフォレストベアの群れってもしかしなくとも………。
血の気が引き、小刻みに体が震える。
だが、そんな私の変化にも気付かず『あの人ねぇ。妻だと思ったら熊だった……なんて。上手くないわよねぇ』と朗らかに笑っている。
そしておばさんは再び私へと顔を向けてきた。
「ということで、旦那も負傷しちゃって人手が足りなかったのよう。だから本当に助かったわぁ。皆さん、頼りにしてますからねえ」
そう言われた瞬間、私は踵を揃え、背筋を伸ばし、おばさんに向けて最上級の敬礼をした。
「イエス・マム!!」
「あら?急にどうしたの?やる気に満ち溢れて?」
「イエス・マム!!」
「まぁまぁ。訳は知らないけど、やる気があっていいわねぇ」
「イエス・マム!!」
「じゃあ今日は頼みますねえ」
「イエス・マム!!」
おばさんは、最近の娘は勢いがあるわねぇとカラカラ笑いながら前を向き、果樹園への道を揚々と歩いていく。
そんな背後を、私は何とも言えない胸の重みと、手に引きずるザッドハークの重みを感じながら、ゆっくりと着いていった…………。
よろしければ、ご意見・ご感想をお待ちしています。また、おもしろければ、ブックマークをしていただけると幸いです。