110話 悪魔vs悪魔
悪魔とは、人の心の弱い部分につけこむことに長けた種族である。悪魔達は様々な甘言を用いて、時に人を堕落させ、時に精神を操り、時には魂をも食らう、恐るべき闇の一族だ。
アリスはそんな恐るべき悪魔である。
その華奢で可愛らしい外見からは想像はできないが、紛れもない悪魔である。しかも、その名を知るものならば泣いて震える程に恐れられる悪魔だ。それこそ、同じ悪魔達ですら彼女を見れば裸足で逃げ出すほどに畏怖される大悪魔である。
大悪魔と称されるだけあり、その性格は冷酷にして残虐非道。人間・魔族共に容赦はなく、その日の気分次第で他者の命を遊び感覚で無邪気に奪う。彼女の犠牲になった者は人間・魔族を含め万を越えるとさえ言われる。
彼女は熱心な魂収集家で、気に入った者の魂──特に容姿や能力の優れた男の魂──を魅了し、支配下に置き、己のコレクションとするのだ。反対に、気に入らない者の魂も、それはそれで手元に置き、長い時間をかけていたぶり弄ぶという。どちらにしても救われない選択しか与えないのだ。それが、彼女が大悪魔と呼ばれる所以である。
そんな大悪魔の彼女は、アンデル王国王都の通りを歩いていた。人々が行き交う活気ある早朝の通りを堂々とだ。
朝方にアンデル王国に着いた彼女は、そのまま王都内へと侵入していたのだ。侵入とは言っても、正門から堂々とだ。精神を操る彼女ら悪魔にとって、門番をしている人間の兵士を欺くことなど容易いことだった。
そんな彼女が通りを歩くと、往来の人々はまずその奇抜な格好に驚く。しかし、次の瞬間にはその華奢で可愛らしい顔付きに、男も女も見惚れていた。それだけ彼女の容姿は優れているのだ。
アリスはそんな人々にニコニコと微笑みかけてはいたが、内心では『玩具がいっぱい!』と、人間を玩具としか見ていなかった。実に悪魔らしい。
さて、そんな悪魔のアリスが何故にアンデル王国へ来たかと言えば、ズバリ勇者を狙ってのことだった。
アリスは勇者と遊ぶ………つまり、殺し、その魂を我が物にしようとしているのだ。
先日の魔王軍幹部である十三魔将同士の会議では、勇者への対応は監視のみに止めると決められていた。が、アリスにとってそんなものは関係なかった。
アリスは十三魔将の一角ではあったが、先日の会議には参加していなかった。いや、正確には参加しなかったのだ。アリスは自由奔放かつ我が儘な性格であり、命令されたりすることを最も嫌っている。
例えそれが魔王であろうとも……。
故に、会議もサボって参加しなかったし、たかだか魔将如きが会議で決めた内容を守る気もなかった。
そんなことをして罰せられないかと言えば否である。彼女はそれだけの実力と実績を有していた。
魔将の中でも一、二を争う実力者であり、数多くの戦功を上げている。更には、もともとフリーだった彼女を直接スカウトしたのが魔王自身であり、その際の契約事項に『自由にやらせてもらう』という条件があったのだ。故に、彼女を止めることができる者はいなかった。
自由奔放な彼女は、あちらこちら気の向くままに出没する。が、何も適当に渡り歩いているわけではない。常に様々な場所に自身の『目』と『耳』になる者を潜ませており、そこから情報を仕入れて最も楽しそうな場所へと赴く情報通でもある。彼女は気ままで自由で我が儘な子供っぽい性格だが、決して馬鹿ではない。馬鹿っぽくしてるだけの狡猾な策略家だ。
そんな彼女が新しく目をつけた遊び相手が勇者であった。魔王を打倒するために召喚された異世界の戦士。目新しいもの好きな彼女が誘われない訳がなかった。まして、勇者という限定品は、彼女の収集魂をくすぐった。会いに行かない訳がない。
その目的の勇者については情報管制が厳重に敷かれていたものの、彼女からすればそこから情報を引き出すのは朝飯前であった。
アリスは、彼女からすればザルな情報網から早速とばかりに勇者の情報を仕入れると、すぐさま勇者がいるとされるアンデル王国へと足を踏み入れたのだ。
「ここがアンデル王国か~おもったよりも栄えているね~」
アリスは周囲の町並みを見ながら、楽しげに呟く。そんな彼女の耳に、彼女にこそ聞こえないようにセバスチャンが語りかけてきた。
『国としての規模は中の下というところです。目立った特産物はなく、せいぜいがトゥルの実と呼ばれる青い果実くらいだそうです』
「トゥルの実?はじめて聞いた~あとで食べてみよ~」
観光気分で暢気なことを言うアリス。
しかし、その目の奥には獲物を探す獣のような獰猛な光が宿っており、先ほどから道ゆく人間の一人一人を観察していた。
『お嬢様……そのように獲物を探し回らなくとも、この国には我々が置いた魔族の監視者がおります。そちらの者に勇者についての詳細な情報を聞けば良いのでは?』
「ん~?確かにそうだね。でも、こうやってゆーしゃさまを探すのも、たから探しをしてるみたいで楽しーよ?」
『左様ですか………』
楽しげに言うアリスに、セバスチャンは何も言えなくなった。
「まあ、確かにそっちから話を聞けば楽だね~。じゃあ、セバスチャンは先に行ってその子とコンタクトをとってきてくれる?アリスが来たよ~って。そんで、ゆーしゃさまについて教えろって」
『畏まりました。アリス様はその間どちらに?』
「ん~?てきとうにぶらぶらしてるよ。なんか美味しそうなものでも食べてようかな~」
『それなら良いのですが、あまりに無理はしないでください。弱小国とは言えここは勇者を召喚した地。どんな不確定要素があるか分かりませんので』
「わかってるよ~。さっさと行っておいで」
アリスが軽くシッシッと手を払うと、辺りから気配がなくなった。
お付きの視線から開放されたアリスは『んっ~』と伸びをすると、再び街を散策しはじめた。
暫く街中を歩き回っていたアリスだが、広場に来たときに確かな違和感を感じた。
「………ひとが少ない?」
先ほどから歩けば歩くほどに段々と人の通りが少なくなっているのだ。
この広場に至っては、全く人の姿が見当たらない。早朝といえば、最も活気のある時間だ。にも関わらず人がいない……これはあまりにおかしいことだった。
「………まさか?!」
ドゴゴゴゴオン!!
アリスが何かに思い当たったその瞬間、彼女のすぐ脇に何かが轟音とともに降り立った。
「な、なに?!」
驚いたアリスが目を向ければ、土煙がもうもうと立ち込める中を、何かが彼女に向かって歩いてきていた。
それは、悪魔のような騎士であった。
悪魔の相貌のような兜を被り、血管が浮いたような不気味な鎧を纏った騎士。そんな騎士が、血のように真っ赤なマントをたなびかせながら、真っ直ぐにアリスへと向けて歩を進める。
悪魔のような騎士の登場にさしものアリスも驚いた。が、それも一瞬。そこは経験によるものか、ポシェットから熊とウサギのパペット人形を取り出して左右の手に嵌め、直ぐ様臨戦態勢を整えた。
しかし、アリスが臨戦態勢を整え終えた時、先程までいた場所に悪魔の騎士はおらず、騎士はいつの間にか彼女の懐へと入っていた。
唖然とするアリス。
あまりにも瞬時に自身の懐へと容易に入り込んできた騎士に困惑していると、騎士は兜のスリットから覗く瞳でアリスを見ながら、ねっとりとした声で囁いた。
「うぇるか~む 。歓迎するわよ。アリスちゃ~ん」
同時に、アリスの腹へと騎士による重い打撃が入れられた。
「ぐぷっ?!」
アリスがくの字になって背後へ飛ばされる。それでも何とか身体を捻って衝撃を殺し、足を踏ん張って態勢を整えようとした。
が………。
「?!っぐあ??」
踏ん張ろうとした軸足に尋常ならざる痛みが走る。正確には脛を思いっきり強打されたような痛みが走った。
アリスは思わぬ痛みに態勢を崩してしまい、無様にもゴロゴロと地面を転がった。
「ぐっ……くそ………」
数十メートル程転がってから止まった後、アリスは足の痛みを堪え、その場に直ぐに立ち上がった。そして憎々しげに悪魔の騎士を見れば、彼女へと向かって真っ直ぐに駆けてきていた。
「この………舐めるなよ!豚野郎がぁぁぁ!術式展開!『アリス・ワンダーランド』!」
アリスが咆哮を上げると同時に、彼女を中心に空間が歪んでいく。やがて周囲の景色は一変し、周りには玩具箱をひっくり返したような不思議な景色が広がっていた。
空の色はピンク。浮かぶ雲や太陽には不気味に笑う顔があり、辺り一帯には人よりも大きな人形やぬいぐるみといった大量の玩具達がアリス達を取り囲んでいた。
そんな不思議かつ不気味な光景に驚いてか、騎士の足が止まった。
「糞が糞が!誰だか知らねーが調子に乗りやがって!ちょっと不意を突いたくらいでいい気になってんじゃねーぞ!!」
騎士に向けてアリスが激昂し叫ぶ。その顔には先程までの少女としての可愛らしさは一切なく、憎々しげに敵を睨み付ける悪魔の表情となっていた。
言葉遣いもすっかり変わり、彼女本来の悪魔としての顔が完全に表に出てきていた。
「だが、てめぇが調子に乗ってられんのもここまでだ!この『アリス・ワンダーランド』は、私のための私による私だけの空間!この固有結界の中では私は万能に等しく、てめぇを塵みたいに片付けるのは造作もねぇ!!いまからてめぇをこの世界でグチャグチャの八つ裂きに────」
「ヒャッハーー!嫉妬世界展・開!」
アリスが展開した自信の固有結界術『アリス・ワンダーランド』の説明を自信満々にしていると、それを遮るように騎士が声高に叫ぶ。
すると、騎士の足元から黒い空間が広がっていく。それはアリスが展開した空間を急速に侵食していく。玩具兵は闇に飲み込まれ、太陽も雲も絶叫と共に闇へと吸い込まれ、ガラガラとアリス・ワンダーランドが崩れていく。やがて周囲は先程のカラフルな光景から一変し、黒一色だけの世界となってしまった。
アリスはそんな光景を唖然と見ていた。
目を見開き、口をポカーンと開けた間抜けな顔でだ。
「えっ………………なに?………うそ?」
信じられない。信じたくない。
目の前で起きた現象を彼女は信じたくなかった。
アリスが発動した『アリス・ワンダーランド』は、アリスが絶対の自信を持つ結界魔法である。
結界の中はアリスの自由自在であり、どんな奴であろうとその世界での神たるアリスへと抗う手段はない。この魔法を用いれば、例え相手が魔王であろうと、葬ることができるという自負があった。
だが、今その絶対の自信たる結界が崩れ、あまつさえ他の結界によって侵食されてしまった。
その事実にアリスの脳は追い付かず、ただただ唖然と見上げるだけであった。
そんなアリスに唐突な重圧が襲った。身体から力が抜けるように重くなり、立っていることも困難になったのだ。
「こ、これは………?!」
やっと我に返ったアリスが這いつくばったまま顔を上げると、そこにはアリスとは逆に力をみなぎらせる騎士の姿があった。
「ウリィィィィィィ!!力が満ちる溢れる迸るぅぅぅぅ!」
何が起こっているかは分からない。だが、この空間によるものか、アリスの力が騎士へと急速に奪われているようだ。それに気付きアリスは歯噛みした。
当の騎士は奇声を上げながら、自身の身体を抱いていた。暫し恍惚とした様子で力に感じ入っていた騎士だが、不意にその目をアリスへと向けた。
その兜から覗く瞳と目があったアリスは、悪魔らしからぬ『ヒッ?!』と小さな悲鳴を上げた。
なぜならば、その騎士の瞳にはアリスを心底妬み恨み憎んでいるかのような、尋常ならざる負の感情が込められていたからだ。
「ア~リ~ス~ちゃ~ん。聞いてた通りだね。綺麗な髪。綺麗な肌。綺麗な瞳。可愛らしい小顔で、細長い手足。どれも女の子らしくていいよね~。私なんて肌もガサガサで、髪もパサパサ。腕なんかこんな太くってさ………。しかも、凄くお洒落な服だよね?可愛くって、カラフルで、人気者で……本当、羨ましくて、妬ましくって、憎たらしくって、どうにかなっちゃいそうだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ひぃぃぃ?!」
騎士が叫ぶ。その声には怨嗟の念が込められていた。
アリスはその殺気に当てられ、全身から鳥肌が立ち、尋常じゃなく身震いする。それでも必死にポシェットへと手を伸ばし、中に入っていたヌイグルミ達を散りばめた。
「あ、遊べ遊べ遊べ私のお人形!遊んで遊んで遊び殺せ!!」
アリスが呪文を唱える。
すると、ヌイグルミ達が動き、ムクムクと大きくなっていく。
このヌイグルミ達は玩具兵と呼ばれるもので、他者から奪ってきた魂を、アリス特製のヌイグルミ等の玩具へと込めたものだ。
玩具兵には自我がなく、アリスの命令には絶対忠実。魂を砕かれぬ限り死ぬことはなく、手足が千切れようとも敵へと向かっていく。更には、もとの魂の能力や戦闘技能をそのまま使うことができるという、恐るべき兵士達なのだ。
しかも、このポシェットに入っているのはアリスのお気に入りのものばかりで、もとは英雄と呼ばれる戦士や、名のある魔族などの一級戦力を持つ者達の成れの果てであった。
「いけ!玩具兵!あ、あいつを殺せ! 」
アリスが玩具兵へと命じる。
玩具兵達はアリスの命令に即座に応じ、騎士へと向かっていく。
だが………。
「お人形遊び?なら、私もコタエなくちゃね!出てきな野郎共!!」
『『『ヒャッハーー!!』』』
騎士の叫びに呼応するように、どこからともなくアンデッドの群れが出現する。
スケルトンやゴブリンのゾンビ。更には様々な魔物のゾンビなど、その数は優に百を越える。
そんなアンデッド達の乱入に驚くが、これはまだ序の口だった。
「更に我が加護の力により全員に│超怪力巨獣化を付与!さあ、暴れ回れ!」
『『『グオオオオ!!』』』
なんと、突如アンデッド達の肉体が肥大化したのだ。スケルトンもゴブリンゾンビも……皆が皆、暴力的なまでのムキムキな肉体へと変貌していく。
『ゴロス!ゴロス!』
『タタギツブゼ!』
ムキムキになったアンデッド達が殺意も満々に玩具兵へと襲いかかる。アンデッド達は迷うことなく玩具兵へと掴みかかると、その手や足を腕力に任せて強引に引きちぎっていく。
一瞬にして四肢を千切られ、そこから更に細切れとされる玩具兵。さしもの不死身の玩具兵も、バラバラになってしまえば身動きが取れず、地面へと転がって身動ぎするだけの置物と成り果てた。
「う、うそ………?」
自慢の玩具兵達が蹂躙される光景を、アリスは呆然と見ていた。目の前の現実が受け入れられなかった。
頭が混乱し過ぎてなにがなんだか分からず、ただ突っ立ているだけであった。
そして、そんな隙だらけのアリスを、悪魔の騎士。いや………我らが香が見逃す筈がなかった。
「ヒャッハー!隙だらけだぜい!」
アンデッドと玩具兵が入り乱れる戦場を掻き分け、アリスへと急速に接近する。
そして、己の拳に全身全霊の力と妬みを込めると、容赦なく突き放った。
「男心と乙女心を弄ぶ悪女に制裁を食らわす!食らえや、純真男子と乙女の敵が!嫉妬パァァァァァァァァァァンチ!!」
「ゴボッフ?!」
何の捻りもない技名がつけられたパンチが、アリスの左頬を躊躇なく捉えた。
技名はアレだが、その威力は本物。アリスは女子にあるまじき表情を晒しつつ、切りもみ回転しながらぶっ飛んでいった。
アリスはぶっ飛びながら思った。
いや、なんのこと?と。
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